世の中は澄むと濁るで大違い、ハケに毛がありハゲに毛が無し。
「秋葉原」の語源に関して、例えばwikipediaの秋葉神社 (台東区)の項では 秋葉大権現が勧請されたものと誤解した人々は、この社を「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、社域である周辺の火除け地(空き地)を「秋葉の原(あきばのはら)」「秋葉っ原(あきばっぱら)」と呼んだ。「あきば」は下町訛りで、本来の秋葉大権現では「あきは」と読む。牧太郎二代目・日本魁新聞社BLOG 2006年8月23日 鎮火社が出来てから、この「秋葉の原」を「秋葉大権現」と勘違いする向きが多くなったのだろう。「あきば」は江戸下町訛り。秋葉大権現では「あきは」である。「あきば」と「あきは」は違う。などとする文章がある。 さて、「秋葉」という文字を「アキバ」と読むことが「訛り」だろうか? 言語学的定義は知らないが、一般に「訛り」といえば、「東」を「しがし」と、「社長」を「ひゃちょう」と読むなど、<標準的な発音>とは異なる発音の仕方という意味である。 確かに秋葉山本宮秋葉神社の「正しい」読みは「アキハ」なので、「アキバ」は「間違った」読みである。だが、漢字表記「秋葉」を「アキバ」と読むことは<標準>から逸脱した読み方であるとは言えないのではあるまいか。 やはりこれは「訛り」ではなく、「誤読」等というべきなのではないか。 …とまあ、こういうのは揚げ足取りの言いがかりに近いか(笑)。 だが、この「秋葉は下町訛りでアキバと発音した」という話、いささか問題があると思っているのである。 この話、断定できるだけの根拠があるのだろうか? この「アキバ=下町訛り」説は、『下町では"秋葉"は常に"アキハ"ではなく"アキバ"と読まれた』という認識を含意している。 ところが、神田のすぐ近くに、秋葉と書いてアキハと読んだ町名があったらしいのだ。 明治41年発行『新撰東京名所図会第五十二編』の『下谷區の部 其二 池之端七軒町』の項; ○秋葉横町慶安寺という曹洞宗のお寺がかつては上野池之端(不忍池のほとり)にあり(大正二年に現在の杉並区に移転)、『老中阿部豊後守忠秋が本尊虚空蔵菩薩、秋葉権現を寄進。それで秋葉寺、秋葉横丁、紅葉寺などと呼ばれた』のであるが、どうもこの秋葉横町は「アキハ横町」と読まれたらしいのである。 上の『名所図会』の原文には振り仮名が振られているのだが、「あきはよこちやう」となっている。ルビの活字の問題かと思ったが、同じページにある「不忍池」のふりがなには「しのばずいけ」と振られている。どう見ても「ば」「は」は別のルビ活字である。 江戸~明治に池之端の秋葉横町をアキハ横町と読んだすれば、「江戸っ子だったらアキバでぇ」みたいな説は少々あやしく思える。 「池之端は上野のお山の上だ。下町じゃない」と言われると確かにそうかもしれない。だが、湯島天神のすぐ隣、秋葉原から1キロちょっとしか離れていない場所である。江戸ー明治当時でも、それほど生活環境が違ったようにも思えないのだが。 高輪の「白金」、神田の「白銀町」はどちらも「しろかね」と濁らない振り仮名を使った文芸作品が多数確認できる。。 今ではほとんどの人間が「こまがた」と濁って発音している「駒形」も、明治期の文章では「こまかた」とフリガナしてあるものが見受けられる。夏目漱石『彼岸過迄』、芥川龍之介『大川の水』)、その他。 「しろかね」「こまかた」はどちらも鼻濁音なので「アキバ」と単純には比較できないが、「秋葉の原」も調べてみると、「アキハ」というフリガナが確認できるものもいくつかある。 以前引用したとおり、森鴎外『雁』(明治44)は「アキハ」である。 三遊亭圓朝の『真景累ヶ淵』でも 根津七軒町の喜連川(きつれがわ)様のお屋敷の手前に、秋葉(あきは)の原があって、その原の側(わき)に自身番がござります。極端な例として、『東京名所図会』(原田眞一、明治二十三年)では、『秋葉原』という表記に対して『あきハの』というひらがなカタカナ混在のフリガナを振っている(『原』にはフリガナなし。記述は鉄道建設計画時点のもの。まだ秋葉原駅は出来ていない)。 確かに文学作品や観光ガイドの例では著者が「実際の読まれ方」を反映して表記したなどと断言は出来ない。 だが、生の証言の例もある。 ひつじ書房『東京弁は生きていた』に浅草育ちの土岐善麿のインタビューが載っている。 秋葉原の読みを問われた善麿翁、断言して曰く「アキハッパラですね」。 「浅草」も「下町」じゃないといえばその通りだが、それは些か狭量に過ぎないか。 確かに「秋葉つ原」「秋葉ノ原」「秋葉ガ原」と<表記>されたことは文献で容易に確認できる。 だが、それらが「下町訛り」によって、必ず「秋葉」が濁って「アキバ」と、「アキバッパラ」「アキバノハラ」「アキバガハラ」と発音された、などと断言してしまっていいのだろうか? 「アキハッパラ」「アキハノハラ」「アキハガハラ」と濁らずに発音された-即ち、「アキバ=下町訛り」説の基準では「訛って」いない例も少なからずあった、とみるのが妥当なのではないか。 個人的キモチでは、『正しくはアキハだが、下町訛りでアキバと読んだ』などと断定口調で言われると、「もしかして下町の人間全員が、ホントはアキハと知ってたとしてもアキバと読むような馬鹿もしくは言語能力的に不自由な連中だとでも思われてんのか?」と軽く腹立たしくもある(笑) 「アキハ」と知ってりゃあ「アキハ」と読むだろう、普通。 「アキバ=下町訛り」説にいくつか疑問を呈したが、誤解しないで欲しいのは、俺は「アキバと発音されたのではない」と主張しているのではない、ということだ。 「アキバ=下町訛り」説に内包されている「秋葉は常に"アキハ"ではなく"アキバ"と読まれた」という予断、俺が問題視しているのはこの『常に』の部分である。 実のところ俺は、この「予断」があるから、ここから展開される論理そのものがおかしくなってるのではないか、と思っている。 冒頭で引用したwiikipedaの文章も牧太郎二代目氏の文章も、「下町訛りでアキバなので、、駅名のアキハが問題になった」と読める。 これ、本当にそうなの? というのが次回のネタ。
by SIGNAL-9
| 2007-02-05 09:05
| 秋葉原 研究(笑)
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