コラム 『「場当たり個人情報」から「攻めの情報活用」へ 第6回 過剰な個人情報保護が社会を分断する!~行政や企業は情報公開拒み、個人は詐称のし放題~』という田淵義朗氏のコラムを読んだのだが、「う~ん」と首を傾げてしまった。
以前、俺が「説得力のない記事」と評した読売新聞の「土曜茶論」というコラム(2005年8月20日付け)を手がかりにほぼ同様の論旨を展開されているのだが、どうも俺にはこちらも説得力があるとは思えないのである。 逐一引用-反論はやめておくが、端的に言って、エピソードを書き連ねたところで、エピソードは所詮エピソード-しかもこの場合、又聞きの又聞き-である。汎用性のある「結論」を引き出す根拠としては弱すぎる。 ひとつだけ例を挙げておくと、JRの例である。田淵氏はこう書いている。 JR福知山線の脱線事故が起きた際に安否を尋ねた家族に対して、病院側が入院患者の氏名開示を拒んだ話を書いた。しかしその話よりもっと重いのは、遺族の1人が遺族名簿の提供をJR西日本に要請したことに対して「個人情報なので名簿は渡せない」とした話だろう。なぜ遺族の1人が名簿を求めたのか筆者は知らない。一読者の意見としては、「許されるか・許されないか」などという粗雑な二分論で判断できるような話だろうか、と思う。 「今後の遺族との補償交渉を有利に進めるために、遺族は分断されていたほうがよいので、JR西日本は名簿の提供を拒んだ」というのは、田淵氏自身が書いているように、まったくの推測である。しかも妥当性のある推測かというと、そもそもその「名簿要求が遺族会結成のため?」という点からして「なぜ遺族の1人が名簿を求めたのか筆者は知らない」というのでは、こちらとしても首を傾げたくなる。 「かもしれない」も多段活用すれば信頼性・説得力という点では疑問符を付けざるを得ない。 さらに言えば、これを単純に「個人」対「企業」という図式に当てはめるのは論理の飛躍というものである。遺族「会」といったら「個人」ではないよね的な言いがかりはしないでおくが(笑) 読売のコラムにも言えたことだが、瑣末だったり事実関係があいまいだったりする「エピソード」と、それから引き出そうとする「結論」にかなりの乖離があるのではないか。 個人情報保護法が不正・不適切に利用される場合がある、ということは反論のしようがない。どんな法律だってルールだって「解釈」や「運用」が介在する以上、それによってメリットを受ける場合もあればデメリットをうける場合もある。ここまではいい。 だが、デメリットが存在するから云々(例えば「個人情報を保護する法律なんかイラネ」)という主張には無理がある。 現行法では比較した場合にデメリットが大きいから云々、というのならわかるが、少なくとも読売のコラムも田淵氏のコラムも、メリット面には言及していない。 メリットがまったくないと考えているのかどうかもよくわからない。 個人情報保護法なんてイラナイっていってるの? それともどこか直せっていってるの? あるいは、悪法といえど法は法だから、対処するためにああせいこうせいというのが本意なの? 田淵氏のコラムは連続モノなので、すべてに目を通したが、どうもこのヘンの「立ち位置」がよくわからないのである。
by SIGNAL-9
| 2005-09-29 14:14
| 情報保護・セキュリティ
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