![]() 今回はマトモなとこなんだよね? ![]() ラブホ街に墓場、とくりゃあ次は火葬場とか。 ![]() 違うって…。 ![]() ![]() イイ感じの路地ね。 ![]() 初めての場所なのに、なんだか懐かしい感じ。 ![]() 軒先に置いてある植木がいかにも東京の下町って感じだな。 ![]() ![]() …東京の人ってスキマさえあれば植物育ててない? ![]() あぁ、確かにそんな感じ。 ![]() この左側のコンクリートの壁は…堤防かい? ![]() そうさ。ここは島だからね。 ![]() 島? ![]() 地下鉄で来たからわかりにくかったかな。ここは佃島。隅田川の河口にある島さ。 ![]() あれ、さっきの駅は「月島」じゃなかったっけ。 ![]() このあたりは埋め立てで地形が大きく変わってるからね。 月島っていうのは明治になってから、佃島の沖を埋め立てて作った土地なんだ。 だからさっき降りた駅は「月島」だけど、ちょっと歩いたここは、住所は佃、もとは「佃島」だったところさ。 ![]() へぇ。 ![]() そういえばさっき、石川島播磨重工業って看板も見かけたけど。 ![]() 今は埋め立てで佃島と一体化しちゃってるけど、石川島というのは佃島のすぐそばの独立した島だったんだ。 昔は対岸の鉄炮洲の「向嶋」なんて呼ばれていたみたいだけど、旗本の石川八左衛門が拝領してから石川島とか八左衛門殿島なんて呼ばれるようになった。 ![]() ![]() これは『明和江戸図』(1771)。石川島と佃島が分かれて記載されているだろ? ![]() 島に自分の名前が付くなんて素敵だね。 ![]() う~ん、素敵かどうかは…。石川島は四方を水に囲まれた地形を利用して、監獄が建てられてたんだから。 江戸のアルカトラズってところじゃないかw ![]() 監獄? ![]() 刑務所の事ね。 ![]() そのきっかけは、鬼平こと長谷川平蔵だ。 ![]() 「鬼平犯科帳」の? ![]() 実在の人物だよ。寛政二年(1790)、平蔵の建白に基づいて石川島と佃島の間の葦沼を埋め立てて人足寄場というものが作られた。勘当されたりして籍を抜かれた人々を収容して職業訓練を行なう施設のことだ。つまり最初は更生施設だったんだけど、その内に罪人も収容するようになって、結局、明治九年には監獄所になってしまった。 ![]() でもさっきの看板は… ![]() 石川島は幕末、水戸藩がわが国初の洋式造船所を設立した場所でもある。明治には兵部省の造船局が設置され、その後、造船や工業の拠点になった。明治二八年、石川島監獄が巣鴨に移転した後にその跡地を利用したのが石川島播磨重工業の前身だ。 ![]() ![]() これは明治17年の『参謀本部陸軍測量局東京五千分一図』。石川島造船所と石川島監獄が出ているだろ。 ![]() ![]() こっちは明治25年の『新選東京全図』。佃島の端に砲台があって、その先のまっ四角の空白地、これが当時の埋め立て予定地。今の「月島」さ。 ![]() ![]() なにあれ! 家から木が生えてるよ! ![]() ホントだ! いってみようぜ! ![]() ![]() 「佃天台地蔵尊」だって。 ![]() でも、この路地、向こうにつき抜けてるだけじゃない… あ! こんなところにお地蔵さんが! ![]() 木が生えてるよ! ![]() ![]() この木がさっき見えてたあの銀杏なのね。 ![]() うわ~、軒を突き抜けてるよ…。ちょっと無理矢理すぎるんじゃないかい。 ![]() 落ち葉の季節とか大変そう…。 ![]() ここを抜けたところが、今日の目的地だ。 ![]() ![]() 小さな港と高層ビル…、なんだか不思議な風景だね。 ![]() あの高層マンションのあたりが、昔の石川島。監獄と造船所の跡は、今やおしゃれなリバーサイド・タウンというわけだ。 ![]() 水路の脇に神社があるよ。 ![]() 佃島のホントの中心地、住吉神社だ。 ![]() ![]() こぢんまりしてるけど、手入れの行き届いた良い神社ね。 ![]() ![]() 確かにきれいな神社だけど、中心と言うにはずいぶん端っこじゃないか。すぐそこが川だし。 ![]() 精神的中心地ってことさ。 佃島は、寛永年間に摂津国西成郡佃村、今の大阪市の漁民が江戸幕府に招かれて移住したのに始まる。 元々は漁師町だったのさ。佃島と言えば佃煮、これも漁師町だった時代の名残だね。 ![]() ああ、だからこの水盤舎(おみずや)の欄間、漁の様子なのね。 ![]() ![]() いわば、この神社は佃村の漁民といっしょに移住してきたわけだ。月島の造成の時の地鎮祭もここで行なわれたし、だからここが"中心地"といっていいと思うんだ。 ![]() なるほどね。 ![]() 同じように佃島の住人達が関西から持ち込んだ文化に盆踊りがあるな。江戸には元々ほとんど無かった風習だけど、ここ佃島だけは盛んだったんだ。あんまりはっちゃけ過ぎて,江戸町奉行の遠山左衛門尉景元―遠山の金さんに「町中での盆踊り禁止!」って怒られたこともある。 ![]() 今は東京中で普通にやられてるけどね。盆踊り。 ![]() ところで、なんでここが目的地なんだい。漁師町の神社ってことは水難避けとかの神様なんだろ。あたしたちとはあんまり関係ないじゃないか。 ![]() ガンちゃんまさか、正月はワイハで過ごすからとか? ![]() 違う違う。確かにここは漁業や水運関係の人たちの信仰が厚い場所だけど、他の御利益でも有名なのさ。 あの鳥居にかかっている額を見てごらん。 ![]() ![]() あ、あれ陶器なんじゃない? ![]() そう。陶製の額というのはかなり珍しい。 ![]() そりゃそうよね、壊れやすいもの。 ![]() 落としたら割れちゃうものね。 ![]() 明治15年って日付が書いてあるだろ。つまり、あの額は130年も壊れもせずに残ってるわけだ。 去年の東日本大震災でも、あの大正の関東大震災でも、傷つかなかったんだ。 ![]() えー。そりゃあタマタマって奴なんじゃないかい。 ![]() いやいや。 遡ると、元禄十六年(1703)十一月二十二日、大地震のため、江戸は高波で死者37,000余人を出したんだけど、この時、比較的被害がなかった佃島の漁師は官命をうけて救助に尽力した。 安政年間に続発した前後13回の地震を総称して安政の大地震というけど、特に安政二年十月二日、江戸周辺をおそった大地震は、大きな被害をもたらした。死者は埋葬された者だけでも七千人にのぼったという。 ところが、この時も佃島には大きな被害はなかったらしい。 木村荘八が『東京繁盛記』という本で昭和三十年頃の佃島の取材を行なっているのだけれど、佃島の住人のこんな証言が記録されている。 『あの鳥居だってそうです。大正の地震には大した揺れだったが、倒れなかった。あの額は瀬戸ものだからね。セトモノがあの地震で壊れねェなんて、住吉さんのおかげだ』 佃島は大火では何度も被災しているけど、地震に関しては信じられないほど幸運な土地らしいんだ。 ![]() へぇ。河口の島とか埋め立て地は地震には弱そうに思うけど。 ![]() 『東京繁盛記』には地元住民の『この島の下は元々岩だてェます』なんて言葉も記録されてるけど、確かに、地質的には砂州みたいな軟弱な堆積土壌ではなく、上野台地や日本橋台地と呼ばれる地盤の地続きらしい。強固な地盤の上で、埋め立た厚さもそんなに厚くないせいかもしれないな。 科学的には色々説明は出来るんだろうけど、地震に対しての御利益はありそうじゃないか。 ![]() 最近、また大きな地震があったものね。 ![]() お参りしとこう!
by signal-9
| 2012-12-17 15:18
| 町歩き
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