さて、ゆるゆる女子トーク風で書くのはシンドイので、本項は通常モードで。
「バンカラ」という言葉も、今や解説がいるかもしれない。
前回のおさらいをしておくと;
西洋風の服装いわゆる"洋装"の、"丈の高い襟"= "high collar" から、西洋風で目新しいこと、またはそれを気取った人のことを巷間「ハイカラ」と呼んだ。
「バンカラ」のバンは野蛮の蛮、つまり西洋風で気取った「ハイカラ」に相対する、粗野な風体や態度のこと…である。
ちなみに、
森銑三に依れば、「ハイカラ」という言葉が一般化したのは明治後期―明治30年代だったということだ。これは名著、
石井研堂『明治事物起原』(明治41)でも裏付けられる。
ハイカラの始
明治三十一・二年の頃、毎日新聞記者石川平山氏、ハイカラーという語を紙上に掲げ、金子堅太郎(引用註;政治家。明治憲法の起草に参加。第三次伊藤内閣の農商相、第四次伊藤内閣の法相。日露戦争では対米外交にあたる)氏の如き、洋行帰りの人々を冷評すること度々なりし。泰西(西洋)新流行の襟(カラー)の様に高きを用いて澄まし顔なる様、何となく新帰朝をほのめかすに似て、気障の限りなりければなり。
「ハイカラ」が明治30年代だから、当然ながら「バンカラ」という言葉はそれよりさらに後、明治末期あたりということになる。
…というのが、いちおう
辞書的な回答であるが、これだけだと
具体的にどういう風体・行動が「バンカラ」と表されるのか判りにくい。
ましてや廿一世紀の現代に於いては「バンカラ」は絶滅危惧種どころか、
とうの昔に絶滅済みである。
残念ながら我々は、「バンカラ」の生態に関しては、文献を頼りに想像せざるを得ないのである。
バンカラの生態を探る上で好適と思われるのが、
『快男児快挙録』(河岡潮風 (英男) 明45)。
開巻登場するのが、明治の冒険小説作家・押川春浪。
河岡潮風は春浪の若き友人―「子分」という方が実体にあってるかもしれない―だったので、春浪のバンカラぶりが活写されている。
前回紹介した『犬絞殺して煮て喰っちゃった』エピソードは春浪バンカラ伝説でもかなり有名なもので、当然本書にも登場する。『快男児快挙録』には、他に春浪のこんなバンカラエピソードが紹介されている。
- 早稲田大学在学中のある日、寄宿舎の屋根に山鳩が留まっているのを見つけて、鉄砲をぶっ放した。
見事命中、鳩は寄宿舎の庭に落ちたが、それを寄宿舎の生徒が横取りしようとしたので、ぶん殴っていたら舎監が飛んできたので、それも恫喝して追い払った。
「やあい、腰抜け」と祝砲を三発。
この事件で、東北学院に続き早稲田も放校になりかけた。
- 明治44年の春ころ。九十九里浜の別荘からの帰りの汽車の中で、軍人二人が芸者買いの話をしていた。話がどんどん卑猥になるので、春浪は席を立つやいなや、軍人の胸に輝く金鵄勲章を摘んで「おい、君の勲章はオモチャかい」
「何だって君はそんな失敬なことを聞くのだ?」
「失敬と怒るくらいなら、もう少し話を慎んだらよかろう。いやしくも帝国軍人としてあんな馬鹿な話がよくできたものだね」
怒った軍人の一人が「書生上がりの分際でつべこべいうな」と、サーベルを引き寄せた。
「斬るなら斬れ。武器も持っていない忠良の民に、刀を振り向けて、それで威張れるものなら威張ってみろ、さあ斬れ」
と啖呵を切った。
気圧された軍人は平謝り。
ちなみに春浪、この時は奥さんと子供連れだった。
- この事件の直後、両国駅で奥さん達を先に帰して一人料理屋に入った春浪。隣室の客が社会主義について談じる会話が聞えてきた。やがて、幸徳秋水がどうだの社会主義に同情するだのという話になった。
春浪はやおらその部屋に飛び込んで、「国賊、そこを動くな」と料理をはじき飛ばして膳の上に座り込んだ。
警官が呼ばれすったもんだの末、家に帰った春浪の尻のあたりに味噌や醤油がべったり付いているのを見て奥さん曰く「アラまあ、また喧嘩なすったの」
まさに蛮カラ、はっきり言って
メチャクチャである。
同書には春浪以外にも、様々なバンカラ野郎の「武勇伝」が掲載されている。
- 早稲田大学講師の永井柳太郎君イギリス留学中の話。
有色人種差別も激しい時代。寄宿舎生活をしていた永井君、白人学生達に食いかけのパンを投げつけられたり罵倒されたりしていた。
ある晩、三階に住んでいる白人連中から、二階の彼の部屋に多量の水が流し込まれ、寝室がメチャクチャにされてしまった。
あまりと言えばあまりの横暴。永井君は三階に駆け上がる。蜘蛛の子を散らすように逃げ回る白人学生。
逃げ遅れた一人を捕まえて鉄拳制裁。さらにステッキで打擲しようとすると、逃げ出した連中も、もう降参だ許してくれとわびを入れ始める。
永井君は白人学生を踏みつけたまま大喝した。
「自分は英国国民はジェントルマンとして恥ずかしからぬ国民であると聞いていた。しかし実際来てみると実に失望せざるをえない。諸君の誰を見ても一人としてジェントルマンらしい振る舞いをしたものを見ない。諸君の異人種に対する侮辱と冷笑、他の人種はそれでも済むかもしれないが、我輩は大和民族である。日本人には大和魂がある。侮辱されて黙っているわけにはいかない!」
これ以降、永井君は滞在中指一本さされなかったそうだ。
(ちなみに、この『永井柳太郎君』というのは、後に早大教授となり、雑誌「新日本」の主筆を経て国会議員を八期務め、斎藤内閣の拓相、近衛・阿部両内閣の逓相を歴任した永井柳太郎のことだろう)
- 北海道の川上中学校での話。卒業を迎える五年生が後輩に何か置き土産をするべく協議していた。あるものは名士揮毫の額を残そうといい、あるものは貯金して書籍を買ったらどうか、と提案した。
その時、一人の青年が発言した。
「諸君、我々は物質ではなく精神を残そうではないか。雨天体操場にストーブが設置してあるが、なんたる愚策だ。北海の健児が炉端にかじり付いてどうする! 上級生として下級生の堕落は見ておられぬ。行きがけの駄賃にあのストーブを叩き潰してしまおうじゃないか!」
破壊を好む学生ども、たちまち意義無く本案を可決。昼休みに体操場に押しかけて、ストーブの火に小便をかけて消し、ロープで天井までつり上げて、トンガラガンと地上に叩きつけて破壊してしまった。
爾来、冬場は零下20度を超える極寒の川上中学体操場には、今もストーブが設置されていないという。
- 横須賀基地で弾道学の第一人者と言われている井口海軍少佐の中尉時代、日露戦役出征時の話。
明日は出動という日、名残の酒盛りと称して同僚の士官たちと飲めや歌えの大騒ぎ。
「なんだなんだ料理の出し惜しみをしやがって」「おまけに料理がまずいわい!」
酔った勢いでブーたれる若手士官を、古参の副長がたしなめた。
「何を贅沢な、オイなんか戦時には色々ヒドイものを喰うたもんじゃ」
それを聞いた井口中尉、
「ヒドイものといったところで人間の喰うものだろうに」
と呟いた。それを副長が聞きとがめた。
「それじゃあ、貴様は人間の喰えぬものが喰えるか」
「あなたが喰えるものならば」
「それじゃあ草鞋を喰ってみろ」
「合点だが、しかしあなたも喰うのでしょうな」
「貴様が喰ったなら喰おう」
「武士の一言を聞いて安心しました。さぁ、草鞋を持ってこい」
井口中尉、口からタラタラと血を流しながら草鞋の片足をバリバリと食べてしまった。
副長は蒼くなってわびを入れたという。
いや、もう、ほんとにバカばかりである。
河岡潮風は、あるバンカラを評して
「この意気は愛すべし。行いは学ぶべからず」
としているが、まさに言い得て妙。
とはいえ勿論、河岡潮風が本書でこのように取り上げているのは、当時でさえ「バンカラ」が既に珍しいものだったからに外ならない。
例えば、同時期(明治45年)の『全国高等学校評判記』(出口競)をみると、最近の一高生は覇気が無くなったという話が出ている。
(徳富蘆花の講演会が開催されて、)当日、蘆花氏の演説中、誰一人としてこれに反抗する人は無かった、お客だからとて遠慮するような学生はもともと一人も居なかった筈である。温和しいどころか、約二時間にわたって聴衆は水を打った如く静まりかえってポカンと辯士の顔を見ながら、さながら人形を並べた様に木の腰掛に尻を下ろして居た。その時慌てたのは生徒より先生である、会散じて三々五々、薄暗い校庭を縫うての帰途、一人の大学生は瞳を上げて『一高も駄目だね。誰一人立ち上がって異論を上げる者も無いじゃないか』と呟いた。この一寸した言葉の背景は明らかに一高の近況を語っているのである。
永井荷風氏がかつて『新小説』に書いた『すみだ川』という小説を見ると、主人公が二十歳まで辿って来た柔らかい生活から、あの荒々しい賄征伐(引用註:賄い所を襲撃して食い物をぶんどったり、食堂で大騒ぎすること)とか、ストウム(引用註:入寮したての新入生の部屋を深夜に集団で襲撃し、石油缶を叩きながらデカンショ節を歌いまくるわ、土足で騒ぎまわるわ、無理矢理酒を飲ませるわ自分も酔っぱらってゲロをぶちまけるわ…の狼藉に及ぶこと)とかで充ち満ちて居る一高の空気の中に、どうしても身を置く気が浮かばないので、上る望みのある試験をわざわざ落第したという事がかいてある。これを読んだ一高の生徒は何と言ったろう。『うまい事を言ってるね』と不器用に腕組みをして首を振った。これが昔の一高ならば、正しく粗暴とか蛮殻とかの肩書きの手前、『何んだベラボーな』と『新小説』を地べたに叩きつけたものであろう。
「最近の若い者は覇気がない」「俺も若い頃はワルだった」は中二病をこじらせて慢性化させてしまったオッサンの決まり文句だが、明治の御代も変わらなかったわけだ。
ここでdisられてる一高生たちも、オッサンになったらきっと「今時の若いのは」と言っていたに違いない(笑)。
なお、河岡潮風の同趣向の著作、『書生界名物男』(明44)も近デジで読めるので、是非。