今も昔も「ハウツーもの」には一定の需要がある。
このジャンル、何冊か紹介したいのだが、本日はまず比較的普通なものから。 まあ、フツーと言っても、俺セレクトなんでけっこうヘンなんだが。 まずは、『患者吸収の秘密』(日本医事会 編 昭和10)。 最初に書名を見たときには「なんのこっちゃ」と思ったが、要するに「開業医向けの、患者=お客獲得のハウツー本」である。 昭和10年といえば1935年。景気もあまり芳しくない時代。 「患者吸収」即ち「顧客獲得」は開業医にとって一大テーマだったようだ。 と、いきなり身も蓋もなく始まるので、こりゃあ【医は算術】的な本か?! 「患者は生かさず殺さず」とか書いてあるのか? と期待して(笑)読み進めたのだが、あに図らんや、これが中々、イイことが書いてあるのだ。 ― 患者の心から焦慮(焦りや苛立ち)を取り離し、常に平和にする事が重要。医者自身の行動によって、患者の心に焦慮を注ぎ込むことは絶対に慎まなければならない。 ― ちょっとした言葉の端にも感情を傷つけられて悲しむ病人の心を「愚かしい」と笑うことなかれ。言葉は医者が持つ薬物の中で最も有効にして、かつ最も有害なものである。 ― 病気以外のことに対しても諸事万端正常な判断を下し得るだけの知識が必要である。政治・宗教・教育、何でも、患者から問われたり聞かれたりして、これに受け答えが出来ぬようではサッパリ駄目である。 ― 患者を甘くみたり、世間を軽くみたり、近所の同業者を患者の前でこき下ろしたりしていると、いつの間にやら界隈で一番不景気な、流行らぬ医者になってしまう。時分の家族は申すに及ばず、使用人に至るまで、行いを正しく慎ましやかにさせるべきである。 ― 何が開業医を不人気にさすかといって、恐らく患者の地位や身分や貧富によって態度を変える程つまらぬ事はない。医師たる者の心境は常に明鏡の如く、神の如く、一切平等・無差別であらねばならぬ。 …なんかキレイ事ばっかりでちっともハウツーじゃないなあ。 我慢して読み進めると、ようやく『どこで・いつ開業したらいいのか』という多少泥臭い話題になったのだが。 ― 開業の時期は人々が活発化する春夏が比較的よい。またその土地の同業者とか、あるいは地方的に医師に関する大問題が起こって一般の注意が医療に向いているときは開業のチャンスである。 ― 医者が居ないようなド田舎で開業するなら「全科」を標榜する方がいい。田舎は土着人だから、一度その医者の門をたたいてくれば何かトンデモない大失敗でも無い限り、お得意さんにすることができる。逆に都会だと住民の流動性が高いから専門科を名乗った方がいい。 …うん。まあ、確かにそうだろうね。 とまあこんな感じで、「酒と女には気をつけろ」とか「不景気の時には診療費を上げるようなことをせず、量をこなしてカバーしろ」とか「使用人とする書生と看護婦は繁盛の重要な問題」とか、全般的にはすっごくマトモな本である。 「女医で成功するには、独身で、看護婦は自分よりブスにしろ」(意訳)なんてあたりは微苦笑を禁じ得ないが、サービス業全般にも通用するような心構えと身の処し方が平易に書いてあって、概ね「うん、なるほどね」と首肯できる。 …ということは逆に言えば、「秘密」というほど大仰なことではなく、ごく常識的なことしか書いて無い、ということだ(毒) ちなみにこの本、奥付によると『非売品』なのである。内容的には独立を考えている若い医者とか医学生向きだと思うのだが、いったいどこでどのように販売(配賦?)したものなのだろう? これを読んでうまく「患者吸収」できた人はいたのかなぁ。 続いては『男女共用 暑中休暇日記の栞 附 紀行文 』(安田香雨 明42)。 「学生の夏休みの日記の書き方」というトンでもなくピンポイントな指南書である。 …何も学生のうちから「老後の憂さ晴らし」の心配することも無かろうと思うが。 …すみません耳が痛いです。 うむ、なるほど、つまりこの本を読めば学校に提出しなきゃいけない「夏休みの日記」のうまい書き方が習得できるというわけだな。これはブログ書くときの参考にもなるかも知れん。 ということで読み始めたのだが。 びっくりした。 この本、薄いとはいっても本文70ページ以上あるのだが、「日記の書き方」の解説は、その内のわずか9行。 typoではない、ホントに、たったの9行なのである! 以上。 マジで、解説はこれだけなのである。 んじゃあ、残りのページは一体何が書いてあるのかというと、著者曰くの「種々の実例」がひたすら載っているのである。 まずは著者が書いたものなのだろう、架空の日記が延々と30日分以上。 その後は、著者の友人の杉田翠江氏(誰?)や清水楓葉山人(だから誰?)、吉花筑南氏(マジで誰?)の日記の実物が、そのまんま収録されているのだ。 …どうも、著者の意図が分からない。 「暑中休暇日記の栞」と題しているのだ。小学校の「旅のしおり」でもわかるように、「ナントカのしおり」というのは普通不案内な人や初学者の道しるべになるような平易な案内書のことのはずだ。「栞」というのは「枝折る」から来ている言葉で、枝を折って道しるべにすることなんだから。 それがこんな投げっぱなしジャーマンみたいに、解説も講釈も無く、ひたすら現物だけ並べただけで役に立つのだろうか。 「習うより慣れろ」だから「お手本」をよく読んで勝手に頑張れ、と言いたいのか、それとも適当にパクれと言いたいのか。 おまけに、これらの「お手本」がホントに「お手本」になってるのかという疑問がある。 著者作の架空日記なんか、「こりゃ日記じゃなくて小説だろ」と思うような書き込みっぷりだし、他に収録されている実物の日記も、「子供の夏休みの日記」にしてはかなりハイレベルのものばかりである。 。 例えば、著者の学友だったという清水楓葉が「往年小学生時代に作られたもので、何れも訂正を加えず」引用したという「鎌倉江島紀行」と題する日記はこんな感じ; …これが小学生の夏休みの日記だぜ、諸君。 スゲェはスゲェが、こういうガキとは仲良くなれそうもないじゃないか(笑) まあ、確かに明治時代の学生というのは概ね早熟である。 当時の平均寿命や就学率を考えると、学生という身分でいられること自体エリートの証明みたいなものだし、「知識」はさておき「教養」という観点では、現代の学生と比較にならないほど高かった、というのは常々感じるところだ(例えば、漱石と子規の学生時代の往復書簡なんか読むと特にそう思う)。 だがいくら早熟とはいっても、こんな「夏休みの日記」、フツーの小学生は中々書けないだろう。 「各学校で、その校の生徒に、日記を記すべき命を下すのが例」なので、その栞にしたい、というのが著者の意図のはずだが、こんな特殊な「お手本」、下手にパクッたりしたら一発で先生にバレるんじゃなかろうか(笑)。
by signal-9
| 2012-08-30 15:56
| 読んだり見たり
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