今回も小ネタ。
近デジには、書き込みがある本もよくある。 図書館の本に書き込みを行なうようなヤカラは片っ端から極刑に処すべきであるが、止むにやまれぬ衝動からついつい迸るパッションをぶつけてしまうことはあるのかもしれない。 論争的な本などでは、この種の書き込みがよく見られる。 サンプルとして、 『斯の如き迷信を打破せよ』(牧田弥禎 大正10)をみてみよう。 これ、いわゆる「迷信打破」本なのだが、あちこちに読者の書き込みが残っている。 たとえば17コマ目、『第五章 民間流行せる愚劣なる誘惑の失敗』は家相見・人相見、いわゆる易者を批判している章だが、その欄外に誰かがこんなことを書いている。 さらに23コマ目(34ページ)では、いわゆる「鬼門」を批判している著者に対し、 とエールを送っている。29コマ目(47ページ)では 我が意を得たり、だいぶ機嫌が良いようだ。 そしてしばらく何も書き込みのない状態が続くのだが、78コマ目(144ページ)に、突如「第二の書き込み人」が登場する。 残念ながら、字があまりにも薄く、なんと書いているのか確と読み取ることは出来ないが、「第一の書き込み人」は本の欄外上部に、本文の邪魔にならないように書き込んでいたのに対し、この「第二の書き込み人」は、堂々と本文の横に書き込んでいる。 筆跡も文体も「第一の書き込み人」と異なり、明らかに別人。 83コマ目。ここの書き込みはだいぶはっきりとしている。 「第三の書き込み人」だ。 本文の横に書き込んでしまうスタイルは「第二の書き込み人」と似ているが、文字の濃さがかなり異なる。たぶん筆記用具の違いだろう。 残念だが、こちらも何と書いているのか俺にはうまく読み取れなかった。 判読できた感じでは、著者への反論らしきものを書き込んでいるような雰囲気だ。 92コマ目(179ページ)。ここでなんと、二人の書き込み人が邂逅している。 自分の闘病体験を元に祈祷などに頼る風潮を批判する著者に対し、「第三の書き込み人」が と反論しているが、その書き込みに対して「第一の書き込み人」が、 と、いささか呑気な突っ込みを入れているのだ。 つまり、「第三の書き込み人」のほうが先に書き込んでいた、ということだ。 「第一の書き込み人」は、いい気持ちで読み進めていたら、突然、著者に反論する先行書き込みを発見したのだろう。で、思わずレスを付けてしまった、と。 そして101コマ目(190~191ページ)がエライ事になっている。 ここでは著者は、井上円了の論説に批判を加えているのだが、「第三の書き込み人」は、何かスイッチが入ってしまったのか、怒濤の書き込みを開始するのである。 しかも、「第二の書き込み人」までかなりの書き込みを行なっているので、191ページはまともに地の文章が読めなくなってしまっているのである! その勢いは是非現物を確認してほしい。 あれ、「第一の書き込み人」はどうしたのかな? と思って探してみたら、あったあった。 190ページの下の方、「第三の書き込み人」のアツい書き込みに一言ツッコミ。 …一体、何時どこの誰が書き込んだものなのか、今となっては知るよしもないが、文体から見て、この本が出た大正10年(1921年)からさして間がない頃だろう。 書きっぷりから見て、三人ともたぶん学生なんじゃないかなぁ。 自分たちが勢いで書き込んだ文章が、90年あまり未来で電子化されて全世界で閲覧可能な状態になり、それを見つけて喜んでいるヒマ人(俺だ)がいるなんてことは夢想だにしていなかっただろうな、この書き込み人たちは。 それを思うと、なんだか不思議な気がする。
by signal-9
| 2012-08-21 16:43
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