人を食ったようなこの表題の事実の出所を先頭に書き出す必要がある。
京都生まれの三上家の老刀自と、松江市の小笹某という老人とが一室に寄り合ったときに、明治維新前の京都の浪人騒ぎなどを語り合い、あのときはエラかったなどと昔を偲ぶうちに、京都の酒造家の庭へ裸の乙女が降ってきて大騒動が起こった話になったのである。
小笹老人は今は按摩をしているが、若いときには松江藩の下男として京都勤番の侍のお供で京都に仮住まいしていた。
三上刀自は、京都市立高等女学校の教諭の母親で、家は松江にある。
この二人の話は正直な話であるけれど、話中の肝心な人の住所が一致しなかったり姓名が知れていないという残念なところがある。なにしろ昔の話であるから記憶が怪しくなったためである。
そのため著者は先年、老刀自の子供の三上教諭に、事実関係の調査をお願いしたい旨手紙で依頼した。
二回も三回も催促したのだが、一回の返事もない。
老刀自が「今の若い人間にこの事を話しても、何をとぼけたことを言っているのかと言わんばかりに耳にも入れないから、話のおさらいもされぬので、おいおいと忘れるばかりです」と言われていた意味がわかった。
そこで、人を換えて調査を始めた。
刀自は、「問題の酒屋は上京丸太町筋鳥丸通り。自分の家の近くで、屋号は忘れたが場所は覚えている」という。一方、小笹老人は「鳥丸通り六條あたりで、店名は恵美須屋か大黒屋だった」という。
また、小笹老人は「今から四・五年前に京都の某商人に訊ねたら、問題の裸の乙女は七十余歳で今なお元気であると聞いた」と証言した(この証言は大正12年のもの)。
場所に関しては、生家の近所という刀自の言うことの方が正しいようなので、丸太町方面を探索させたが、結果は空振りという報告だった。
この上は小笹老人の方の情報に従って六條筋を調べたいのだが、本書執筆時点では未着手である。かといって本書から省くのも残念と思い、場所や人の姓名は仮名としてとにかく掲載することにしたのである。
慶応三年十一月二十日ころのこと。
みすぼらしい姿の一人の乞食坊主が、造り酒屋の暖簾をくぐって入ってきて「酒を飲ませてくれ」といった。いかにも酒好きと見え、背中には60センチくらいある大ひょうたんを背負っていた。
ちょうど店先には酒屋の主人がいた。
「どれくらい必要ですか」と聞くと、
「まず一升」というので、そのとおり量って出すと、そこらにあった茶碗で瞬く間に滴も残さず平らげた。
「もう一升」というので、主人は二升目を出した。
それも飲み干した坊主は、「さらにもう一升」
主人も驚いたが、言われるがままにまた一升出すと、坊主はそれもみな平らげたが、さすがに満腹したような顔つきになって、「酒代はいくらになるか」と言いながら懐に手を入れ財布を出そうとした。
その時、主人は何を思ったか、「お代はいりません」といった。
乞食坊主は大して喜ぶでもなく軽く会釈をして、「アア気の毒じゃなァ」と言ってギロリと光る眼を主人に浴びせながら、
「すまぬが、ついでにこのひょうたんにも詰めてはもらえぬか」
周りで見ていた店のものたちは、けしからぬ厚かましい乞食坊主だ、と小腹を立てて主人の顔を見た。
主人は怒るでもなく静かに、
「どれ、入れてあげよう」といって坊主の背中から大ひょうたんを受け取り、口から溢れるばかりに酒を詰めてやった。
すると乞食坊主は初めて破顔した。ちょっと腰を低くして「どうもかたじけない」と礼を述べ、大ひょうたんを肩にかけて立ち去り際に、
「この家にはまだ嫁がいないではないか。近いうちに良いのを世話しよう」
といって何処へともなく立ち去った。
店の人々は、乞食坊主の分際でよくもまあ嫁の世話などと、と笑っていたが、主人だけが「どうも並の坊主じゃなさそうだ」と言っていた。
それから数日後の11月26日の夕方のこと。
店の従業員が裏庭の池で桶などを洗っていると、腰巻きもしていない素っ裸の若い女が空中からヤンワリと墜ちてきた。
稀代の珍事に、主人以下店の全員が駆け集まった。
その女は十六・七の可愛らしい美しい女で、地上へ降り立ったときはグッタリとして意識もなさそうだったが、今や両手で前を押さえてうずくまってキョトキョト四方を見回し、血の気のない顔色で震えている様が痛々しげだった。
寒空の風が辛かろうと、とにかく着物を出して着せてやり、色々いたわって様子を訊ねた。
女は江戸の日本橋辺りの商家の娘だという。
その日、我が家で風呂から上がって濡れた肢体を拭いたまでのことは記憶にあるのだが、それから後のことはまったく覚えていないらしい。
「ここはいったいどなた様のお屋敷ですか」
ここは京都だ、と告げられて泣き出した。
酒屋では江戸の娘の親に早飛脚を出した。
娘が神隠しにあったと毎日夜祈祷をしている最中だった娘の両親は、無事との消息に大喜びし、娘の叔父と手代が直ちに京都に向かうことになった。
一方、娘を保護していた酒屋では、家事を手伝わせてみると何一つ欠点のない女だったので、これこそ例の乞食坊主先生が世話すると言っていた嫁候補であろう、きっとあの坊主先生は神か天狗の化身だったのだと、にわかに祭壇を作ってお祀りする騒ぎ。
江戸の親元がなんと言おうがこの娘は手放さぬ決心になった。
そうしているうち、娘の叔父が到着した。
酒屋では、是非とも嫁にもらいたいと談じ込んだが、叔父は自分の一存で決定は出来ぬから、よく相談してくるといったん江戸に引き返した。
翌年三月、結婚式が盛大に挙行された。
その後、酒屋には評判の嫁を見るために客が押しかけて大いに繁盛したという。
ちょっと長めだが、前段で建文の奇談調査の一端が見えているのが珍しいので紹介。
老刀自と小笹老人の談話は、おそらく松江で行なわれたものだろうから建文の松江時代の取材だろう。で、京都にいる刀自の子供に手紙で調査を依頼したが無視されたので別の人に頼んだが結局空振りだった。でももったいないから書いちゃう…って正直なことだ(笑)
ド田舎だったらいざ知らず、京都の町でこんな大事件が発生してりゃあ、何か記録なり口伝なりが残ってると思うのだが。
だいたい、証言者が自分の親の家の近くだといっている問題の酒屋の場所もわからないなんてこと、常識的にはちょっと考えにくい。
発生したのが
慶応三年というのがミソかもしれない。
時まさに徳川幕府崩壊の年。世情騒乱大混乱。
省略したが、小笹老人の証言の中には「護符も降った」云々というものもあり、明らかに同時期に起きていた
「ええじゃないか」を反映していると思われる。
各種年表に寄れば、「ええじゃないか」の騒乱が京都に波及したのが10月20日頃とのことなので、時期的にも一致する。
ということで、
「裸の娘が降ってきた」話をちょっと漁ってみたら、誰あろう
柳田國男が『故郷七十年』で、「ええじゃないか」のお札降りに触れて;
私の故郷・兵庫県の北条にも降ったという。これは実は、興奮しそうな地域や家に「降る」ので、極端な例では、家の床の間にお札が置かれていた、との話もある。すると多くの人が集まって来て祝辞を述べ、家の人も酒樽を開いて祝わざるを得なくなる、という仕組みなのだ。降るのはお札ばかりではない。裸の娘が降った、という馬鹿げた例もある。つまり捏造である。
といっているではないか。
柳田が『霊怪談淵』を読んでるのは確実なので(書評『岡田蒼溟著『動物界霊異誌』』で「泉鏡花君と共に頻りにこれを愛読した」と言及)、もしかして
柳田が例示したこの裸の娘の話、『霊怪談淵』がソースなのかもしれない。
いずれにせよ柳田はこの時点(昭和33年、1958)では捏造と思っていたようである。
確かに、親切の報償として素晴らしい花嫁が与えられメデタシメデタシという、この話自体が
極めておとぎ話的であり、フィクション臭が強い。
「空から女の子が落ちてくる」話というのは、現代でもファンタジー作品で
よく利用されているシチュエーションであることは周知の通り。
『天空の城ラピュタ』なんか代表的だ。シータは裸ではなかったが。
老刀自、小笹老人の二人がその場で「作り上げた」にしては
ストーリが出来上がりすぎているので、何らか
元になった話があると思うのだ。
残念ながら、今のところそれらしい話を見つけられないのだが、今回の結論としては、
昔から「裸の娘」は最強だったのだなぁ、ということである。
■■■■■■■■ 2012・09・15追記
最近近デジで、
『時局問題批判』(朝日新聞社 編 大正13)という本を見つけた。
朝日新聞が主催した『時局問題大演説会』の講演録である。
この中に、当時朝日新聞と記者契約を結んでいた柳田圀男(肩書きが「本社記者」になっている)の「政治生活更新の期」という講演記録が収められていた。
講演で柳田は、「ええじゃないか」に触れ、こう語っている。
六十年以前、俗に御一新と称する日本の大政変の前頃には、伊勢の御祓の札が青天より降り下り京、大阪、中国、四国では、老若男女は大道へ出て、毎日毎晩 ヨイヂヤナイカゝと踊りました。私の生地は播州ですが、其時分五十歳以上の祖父や大叔母なども、こっそり手拭を持出して裏口から踊りに出たと申しました。
叉色々の雑説が行なわれました。或る村では麦がふり小豆がふったと言い、甚しきははだかの娘が風呂桶ごと降ったと云う村さえあったそうです。
建文の採話は「村」が舞台ではなく、風呂桶も降ってきていない。
柳田が『故郷七十年』で語っているのは、てっきり建文ソースだろうと思っていたのだが、ディテールが全然違うので、これは別の話だったのだろう。
…しかし、だとすると、あっちでもこっちでも裸の娘が降ってきたつーことだな。なんというかうらやましいことだ(笑)
ちなみにこの『時局問題批判』、柳田の講演が他に二本収められている。
柳田が時局や政局についてアツク語っているのはちょっと珍しいかも。柳田ファンはご一読を。