愛媛県人である知人K氏が、明治40年、北海道十勝の茂寄原野の払い下げを受けて開墾事業をしていたおりの実見談である。 この話、建文はよほど感服したのか、後の著書でも何度か取り上げている。 だが、建文の奇聞で一番扱いにくいのがこのパターンだ。 「いつ」・「どこで」、即ち「明治40年」に「茂寄村」というキーワードに関しては、wikipediaによると「1906年4月1日 - 北海道二級町村制施行に伴い、茂寄村が当縁郡大樹村・歴舟村、当縁村の一部(後の忠類村)と合併し、茂寄村が成立。(1村)」との由。1906年=明治39年なので、矛盾はない。 しかし結局のところ、「誰が」「どのように」に関しては、話の登場人物がすべて氏名不詳では詮索のしようもない。 自己採話だし、話の範囲が極めて限定的で、もし実際にあったとしても、裏付けになるような他の証言や新聞記事などが残っているとも思えない。 K氏の話を丸ごと信じるとして、空中浮遊に襖抜けというのは、確かにスゴイ…のだが、「空中浮遊」と聞くと、オウム事件を体験した我々は自動的に「うさんくささ」を感じるようになっている(笑) そもそも空中浮遊の方はK氏は実際には見ていないわけで、見たのは襖抜けだけだ。 どう考えても空中浮遊の方がスゴイので、そちらを見せてもらえばいいのに、なんで襖抜けで満足しちゃうんだろう。 おまけに場所は相手の家。今時のマジックやイリュージョンを見慣れている我々としては、なんかイロイロ仕掛けを想像できちゃうではないか(笑) 目撃内容もなにかヘン。 目にもとまらぬ早さで襖を開け閉めしてるんだろうと最初は疑った、ということは、見ている目の前で体が縮んで引手の穴をくぐったとか、パッ消えたとか、襖を抜ける瞬間をじかに目撃してるわけではないようでもある。 目撃者と演者(あ。演者って言っちゃった)の位置関係とか、「舞台」(あ。また言っちゃった)の状況がわからないが、どうもイロイロ怪しい。 …と、まあ、この手の話はこういうツマラナい詮索を行なう余地しか残されていないので奇聞としては楽しみにくいのである。 で無理矢理だが、明治の奇術関連でひとつ豆知識を。 日本奇術協会福会長で、伝統的な日本の奇術「手妻」を伝承している藤村新太郎の著書『手妻のはなし』(新潮選書 2009)によれば、明治15年、空前のヒットとなった「一里四方物品取り寄せ」という奇術があったとか(同書p311~)。 どういう奇術かというと 舞台中央に取り出し箱を置き、事前に観客に紙を配り、この場所から一里(4キロ)以内にあるものなら何でも取り寄せるので、紙に書いてくれと頼む。紙を集め、一つ一つ読み上げて、実際それらの品物を次々に箱の中から出して行く、と言うもの。う~ん。スゴイではないか。"アポーツ"ってやつだな。建文も「千里寄せ」なんて言って言及してる技だ。 で、実際にどういうトリックだったのかというと。 種は、事前に仕込まれた十品くらいの品物を順に出している間に、数名の手伝いの者が観客の注文の品を走って取りに行き、箱の裏からどんどん入れて行くというもの。何しろ観客が書いたものを取りに行って箱から出すのであるから、行って帰って来るまでに一時間位かかる場合がある。そのため、一つ品物が出ては、(引用註:アシスタントの)才蔵と掛け合いをして、ひたすら手伝いが帰って来るまで時間をつなぐ。実際に走って取りに行くというのもスゴイが、これを芸として成立させる演出力・演技力もすばらしい。奇術そのものより「間を持たせる」のがスゴイ技術だ。
by signal-9
| 2012-02-07 11:44
| 奇談・異聞
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