評論家の立花隆氏が月刊「文藝春秋」7月号の巻頭随筆で、東京文京区本郷の菊坂にある「樋口一葉の井戸」が「住民の希望によって」「一切排除」されたと主張。
そこは昔から文学通の間では樋口一葉旧居をしてよく知られている露地だった。しかし、いまは存在しない。 あのあたりは、樋口一葉旧居だけでなく、近代日本の文化遺産的史跡がゴロゴロころがっている地域なのに、その最大の遺産を一部の住民の意志で全部放り投げてしまったのだ。→目黒区議の須藤甚一郎氏がツッコミ。須藤甚一郎ウィークリーニュース! 2011-06-15「640号 立花隆が本郷の樋口一葉の井戸消滅を嘘の随筆を「文藝春秋」に! 」 12日(日)の午前10時ごろ、家をでて菊坂の一葉の井戸に向かった。都営三田線の「春日」で降り、菊坂の下から上っていった。→「週刊新潮」が『地元住民も耳を疑う「知の巨人」の仰天随筆!?『文藝春秋』巻頭に「立花隆」が書いた虚構の光景』記事化(引用元は須藤氏のブログ) “知の巨人”は一体どうしてしまったのか。俺もたまーにこのあたりは散歩するのだが、問題の路地は確かに判りにくい場所ではある。 2年くらい前に『モヤモヤさま~ず2』の『湯島』の回でも取り上げられていたが、まさに「モヤってる」場所で、メインの通りの一本裏だし、家と家の間の狭~い路地の奥なんで、探す気でいかないと、まあ絶対に気づかれないようなところだ。 須藤氏の批判記事が出た後で、菊坂の近所に用事があったので念の為に見に行ったのだが、須藤氏の記事通り、井戸も路地も健在である。もともと案内板があったのかどうかは記憶していないが、「なんだ、ちゃんと前の通りじゃん」と安堵したんである。 で、「立花隆、やっちまったなぁ」と思っていたのだが、須藤氏の続報に依れば、立花氏は「文藝春秋」8月号でこう弁明したのだそうだ。 前号、樋口一葉旧居があった露地が消滅したと書いたところ、それは今も存在するとの異論が一部で報じられた。それは物理的には存在するが一般人が認識できる形では存在しない。かつてそこに至る道案内が幾つもあり、その場所そのものにもここがそうだという公的な表示があったが、今はそういうものが一切消えている。それは物理的には存在するが一般人が認識できる形では存在しない。 いやいやいや、いまさら「案内板」だけのことだなんて強弁しても、無理だから。立花氏の元記事、どう読んでも路地も井戸も地元住民が撤去させたとしか読めないから。 しかし、さすが立花隆、言い訳も名文句だな。「物理的には存在するが一般人が認識できる形では存在しない」。 一葉の井戸はなんかオカルト的な物件にでもなっちゃったんだろうか(笑) 素直に「誤認でしたすみません」と何で謝れないのかすごく不思議だ。 人間誰しも勘違いはある。案内板の撤去(されたのかどうかは俺は知らないが)自体に問題を変更したいにせよ、まずは誤りを認めりゃあいいのに。 さてそういえば、菊坂の近所にある、築106年の歴史ある本郷館はいよいよ取り壊しが始まったようだ。 この震災の後、通りがかったのだが「うわ、無事に建ってるよ!」とびっくりした。失礼な話だが、あの震災の直後、俺は「倒壊」してるんじゃなかろうかと思ってたのだ。それぐらい古いのである。 106年も建っていた、滅多に見かけない木造建築物だ。個人的には「もったいないなあ」と心底思うが、所有者の立場からすれば、取り壊しはやむを得ない選択だろう。 保存するにもカネはかかるし、もしも何か事故でもあれば所有者の責任になるわけだし。 「文化遺産的史跡だから残せ」、耳に快い言葉ではあるが、オカネの裏付けのない要求というのは、なんとも上滑りした説得力のない言辞だと思う。 「物理的には存在しないが、みんなの心の中に存在する」つーことで納得するしかないんだろうなぁ。
by SIGNAL-9
| 2011-08-01 17:03
| 奇妙な論理
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