「オタマジャクシが降ってくる話」はやはり鳥なんじゃないか、という話が出てきた。産経新聞の「“空からオタマジャクシ”鳥が吐いた? 「昔からある」指摘続々」や、毎日新聞の「<珍現象>空からオタマジャクシ…報道後、なぜか報告急増」など、まるで俺が書いたんじゃないか(笑)と思うくらいだ。
まあ、フツーに考えりゃあ、こういう穏当な推測になるわな。 Webを漁っていたら、こんな記事も見つけた。 「カエルの雨が降るでしょう」The Sun 20 May 2006。 記事によると、British Weather Services の気象学者が、この夏は熱波と気圧の関係で突風が引き起こされてカエルや魚の雨が降るかも…みたいな予報をしたとか。イギリスではBFO (bizarre falling object)「奇妙な落下物」という現象名もついてるみたいだ。 まあ、イギリスの東スポ The Sun の記事なんで、どこまでホントかはわからんが。 「幕末にも騒動?降ったのはドジョウ 儒学者日記に記述」というプチ雑学情報が朝日新聞によって記事にされていたが、わざわざ大発見のようにいわなくても、ファフロツキーズ自体は超常現象分野ではポピューラーなもので(笑)、苦労なく事例が集められる。 一般的なオカルト・超常現象関係の書籍では欧米の例がほとんどなので、『明治妖怪新聞』・『地方発明治妖怪ニュース』(柏書房・湯本豪一編)から、日本のファフロツキーズと思しきケースを挙げてみよう。 尚、「家の中に物体が降る」というケースも多数あるのだが、個人的にはそれらは「ポルターガイスト」的文脈で語るべきもので、ファフロツキーズとはちょっと違うかなぁと思うので恣意的に省く。 東京日日新聞 明治7年7月18日 東京日日新聞 明治8年3月6日 郵便報知新聞 明治9年9月6日 新潟新聞 明治15年6月20日 新潟新聞 明治15年8月4日 東京日日新聞 明治15年8月4日 信濃毎日新聞 明治15年8月24日 伊勢新聞 明治16年7月28日 伊勢新聞 明治18年6月16日 山陰新聞 明治18年8月16日 土陽新聞 明治20年8月27日 日出新聞 明治21年5月9日 郵便報知新聞 明治21年6月9日 郵便報知新聞 明治21年6月10日 徳島日日新聞 明治22年3月11日とまあ、枚挙にいとまがない。 さらに時代を遡って、江戸時代頃ではどうか。 『奇談異聞辞典』(『随筆辞典 奇談異聞編』柴田宵曲編著、ちくま学芸文庫)をざっと眺めてみると、ちょっと驚いたのは「毛が降った」という話が多いことだ。 甲子夜話 巻五十ニ 遊芸園随筆 塩尻拾遺 巻二十ニ 北窻瑣談 梅翁随筆 巻八いわずもがなな注釈を加えておくと、この『奇談異聞辞典』は、編著者の前書きにあるとおり「随筆による奇談異聞集」である。ある程度の客観性や信頼性が期待できる歴史書や公文書のようなものではなく、今の言葉で言うと「エッセイ」を集めたものなので、「実際」にあったことなのかどうかはかなり割り引いて考える必要がある。 多くが伝聞や体験談に依るもの ― このいずれも、どれだけ積み重ねても証拠能力は皆無であるというのは言うまでもない ― だし、極端な話「作り話」という可能性もある。 まあ、この場ではとりあえず字句通りに「あった」こととして見ておくことにしよう。そうでないとおもしろくないしね。 さて、最後の「梅翁随筆」の事例なんか、現代の超常現象用語(笑)でいうと「エンゼル・ヘア」そのもののようである。 「エンゼル・ヘア」は、一般的には「蜘蛛の糸(gossamer)」や「火山毛(Pele's hair)」といった説明がなされている。 江戸期は特別に火山活動が活発だったわけではないようだが、火山列島日本のことで、始終あっちこっちで火山活動は起きている。火山活動で生成された火山毛が、気象条件によって空に吹き上げられ、遠く離れた場所に降ることもあり得なくはなかろう。 「蜘蛛の糸」に関しても「雪迎え」という雅な表現があるくらいで、比較的よくある自然現象である。 雷雨との関係性も、例えば火山活動で空気中に噴煙の粒子が多量にあったため電荷が溜まりやすくなり…的な推測 ― これは我ながらトンデモだが ― も振り回せなくもないかもしれない。 だが、「手でもむと消えた」だのという記述をみると、火山毛説はむむむむむ?とも思われる。 ましてや、「色がついてる」「初夏や真夏の頃の話」と言われると、「蜘蛛の糸」ではうまく説明が出来そうにない。 トンデモさん流に、わからないことをわからない理屈で説明しても仕方がないので、素直に「よくわからん!」と言っておこう(^^;) ところで、もうひとつ気づいたのは、江戸時代当時でも「懐疑論者」という人種はいたらしい、ということである。 例えば、以下の随筆。 中稜漫録 巻十四今の目で見ると「ちょっとその説はどうよ?」と思わないでもないが、200年前の話である。当時のパラダイムの中では十分に合理的考え方だと思う。 もうひとつ。 塩尻 巻十著者は天野信景。 さすがに「神道や儒教・仏教への歴史的な批判や、『万葉集』や『源氏物語』の他、歌語・俗語などの言語学的検証、そして本草学・天文学といった広範な分野において、実証学的な見地から考察を加えている」(wikipedia)つー人物である。 「合理的」であるということはカガク知識の多寡の問題ではなく、思考の方法であるということがよく分かる一文だ。 「オタマジャクシ騒動」でカラ騒ぎしている連中は、この300年前の人の箴言をよく噛みしめてみるべきだろう。 ■
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by signal-9
| 2009-07-03 16:22
| 奇妙な論理
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