「ドルゲ」さんに関して発作的にググってみた。

 よく読ませてもらっているセキュリティホールmemo経由で、絶望書店日記さんの「2010/11/16 「このドラマはフィクションです」の始まりはバロム1じゃなかった!」という記事を読んだ。
この手の「このドラマはフィクションです」系テロップは1972年の『超人バロム・1』放映時に、ドルゲ少年が学校でいじめられたから悪役の名前を変えてと訴えたときからはじまったと当時も云われていたし、いまもあちこちで云われていて、私もそうだと信じてたんですが、すでにその8年前にはあったのですな。

 うむ、このバロム1の件は、俺にもリアルタイムの記憶がある。
今回ウェブもいろいろ経巡ってみて、何年かのちにテレビ番組でこのドルゲ一家を探したけど見つからずに実在しないことが判明した、「このドラマはフィクションです」系テロップは誰かのいたずらから始まったという、「噂からできた放送業界のルール」なる話が広まっていることを知りました。
 これは『やりすぎコージー』というテレビ番組で3年前にやった「やりすぎ未公開都市伝説」で伊集院光が語ったものらしい。
 ふーん。
 「都市伝説広場」のこちらの記事によると;
どれだけ探してもドルゲさんという人物は見つからないのだ。
神戸に住んでいるドイツ人で音楽講師をしているという、かなり詳細な情報までそろっているにもかかわらず、見つからなかったという。
もう帰国をしてしまったのではないかと思い、その方面も調査したのだがドルゲ氏なる人物を探すことはできなかった。
 この話の出所がタレントの伊集院光氏のテレビでの発言が元になっているのは確かなようだ。

 「絶望書店日記」で指摘されているように、名前も音楽家であることも判ってるヒトが見つからないなんてことあるのかいな? とちょっと奇異に思ったので、発作的に軽くググってみたわけである。暮れも押し詰まってるのに我ながら何をやっているのか。

 さて、まずはこのバロム1とドルゲでググってみると、当時の日本で表記されていたこの音楽家の姓名が出てきた。

 いわく「アルント・ドルゲ」氏。

 念の為、この"アルント・ドルゲ"でググってみると、「大阪音楽大学音楽学部器楽学科ピアノ専攻卒業、アルント・ドルゲに師事」という音楽家の方のプロフィールが出てくる。

 「アルント・ドルゲ」氏は大阪音大で教鞭を執られていた、多分ピアニスト、というのは間違いないようだ。

 さて、本名の綴りがわからないかなぁ、でもドイツ語なんて知らないし…と思ったが、[ドルゲ]―>[ゾルゲ]という連想が湧いたw。

 ゾルゲ事件のリヒャルト・ゾルゲもいちおうドイツ人(ドイツ系ソ連人というのが正しいのかな?)だ。「リヒャルト・ゾルゲ」の綴りは Richard Sorge である事はwikiPediaに出ている。

 「ゾルゲ」が Sorge なら、「ドルゲ」だったら、Dorge なんじゃないか?

 この英語の中間試験で切羽詰まった中学生みたいな推測に基づき再度ググってみると、ツジヤンのドイツ日記というページが見つかった。
1975年3月、僕は留学のためにドイツ・ブレーメンにいた。僕はこのブレーメンの音楽大学(Konzervatorium der fleien Hansestadt Bremen)の指揮科に入学した。 この大学に来ることになったのは、ここの学長(京響の第2代目常任指揮者の)Hans Joahim Kauffmann先生と友人のピアニストで大阪音楽大学の教授をしていたAlndt Dorge 先生が留学生をさがしておられたのであった。ちょうどその頃僕の母親が喫茶店を開いていた…ほんの一年ほどだったのだが。ドルゲ先生はこの店の常連だった。店の中に貼ってあった僕のオーケストラ指揮デビューのポスターがドルゲ先生の目に留まったのだ。それから一年後、僕はドイツへと旅立った。
 おお、綴りが判明したではないか。ご本人と親交があった方の証言なんだからかなり確度は高いんじゃないか?

「アルント・ドルゲ」=Alndt Dorge。

 ところが"Alndt Dorge"でググってみると、グーグルは、
「もしかして: "Arndt Dorge"」
と言ってくる。

 「ツジヤンのドイツ日記」にある他の言葉、"Konzervatorium der fleien Hansestadt Bremen"でググッても「"Konservatorium der freien Hansestadt Bremen"じゃね?」、「"Hans Joahim Kauffmann"じゃなくて"Hans Joachim Kauffmann"じゃね?」と言ってくる。

 Googleが「もしかしてして」きた、"Hans Joachim Kauffmann"は、その綴り通りのWikiPediaにエントリがあるし、Bremen(ブレーメン)の方もGoogleの綴りが正しいようなので、「ツジヤンのドイツ日記」さんの、RとLの勘違いの可能性はあるかも。

 「アルント・ドルゲ」=Arndt Dorge ?

 うーん、残念ながら"Arndt Dorge"で、これ!という検索結果はないみたいだ。

 ただ、「1970年代に、あのブレーメン音楽大学(ブレーメン芸術大学)の学長さんの友達で、日本の大阪音大でピアノを教えていたDorgeさん」だったら、「どれだけ探してもドルゲさんという人物は見つからない」なんてことはないんじゃないかと思うのだよ。

 ちなみに俺がここまでの検索に費やした時間はたった16分だった。

 テレビ局かラジオ局か知らないが、「どれだけ探しても見つからない」というのは、「探し方が悪いんじゃね?」と思うのだが。
 だってシロートの俺が、たった16分、コンピュータ上だけで、この程度の下調べは出来るんだから。
 ブレーメン音楽大学に問い合わせれば、何か判ると思うんだけど。

 遠い異国の地で教育に従事してくれた人を、「都市伝説」と称してまるで妖怪みたいに扱うのは、いくらお笑い番組とはいえ、ちょっとヒドくないかと思うのだが。
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# by signal-9 | 2012-12-26 17:37 | 奇妙な論理

【じょしらくBパート風】佃島


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今回はマトモなとこなんだよね?

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ラブホ街に墓場、とくりゃあ次は火葬場とか。

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違うって…。

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イイ感じの路地ね。

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初めての場所なのに、なんだか懐かしい感じ。

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軒先に置いてある植木がいかにも東京の下町って感じだな。

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…東京の人ってスキマさえあれば植物育ててない?

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あぁ、確かにそんな感じ。

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この左側のコンクリートの壁は…堤防かい?

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そうさ。ここは島だからね。

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島?

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地下鉄で来たからわかりにくかったかな。ここは佃島。隅田川の河口にある島さ。

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あれ、さっきの駅は「月島」じゃなかったっけ。

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このあたりは埋め立てで地形が大きく変わってるからね。
月島っていうのは明治になってから、佃島の沖を埋め立てて作った土地なんだ。
だからさっき降りた駅は「月島」だけど、ちょっと歩いたここは、住所は佃、もとは「佃島」だったところさ。

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へぇ。

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そういえばさっき、石川島播磨重工業って看板も見かけたけど。

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今は埋め立てで佃島と一体化しちゃってるけど、石川島というのは佃島のすぐそばの独立した島だったんだ。
 昔は対岸の鉄炮洲の「向嶋」なんて呼ばれていたみたいだけど、旗本の石川八左衛門が拝領してから石川島とか八左衛門殿島なんて呼ばれるようになった。

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これは『明和江戸図』(1771)。石川島と佃島が分かれて記載されているだろ?

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島に自分の名前が付くなんて素敵だね。

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う~ん、素敵かどうかは…。石川島は四方を水に囲まれた地形を利用して、監獄が建てられてたんだから。
江戸のアルカトラズってところじゃないかw

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監獄?

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刑務所の事ね。

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そのきっかけは、鬼平こと長谷川平蔵だ。

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「鬼平犯科帳」の?

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実在の人物だよ。寛政二年(1790)、平蔵の建白に基づいて石川島と佃島の間の葦沼を埋め立てて人足寄場というものが作られた。勘当されたりして籍を抜かれた人々を収容して職業訓練を行なう施設のことだ。つまり最初は更生施設だったんだけど、その内に罪人も収容するようになって、結局、明治九年には監獄所になってしまった。

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でもさっきの看板は…

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石川島は幕末、水戸藩がわが国初の洋式造船所を設立した場所でもある。明治には兵部省の造船局が設置され、その後、造船や工業の拠点になった。明治二八年、石川島監獄が巣鴨に移転した後にその跡地を利用したのが石川島播磨重工業の前身だ。

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これは明治17年の『参謀本部陸軍測量局東京五千分一図』。石川島造船所と石川島監獄が出ているだろ。

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こっちは明治25年の『新選東京全図』。佃島の端に砲台があって、その先のまっ四角の空白地、これが当時の埋め立て予定地。今の「月島」さ。

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なにあれ! 家から木が生えてるよ!

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ホントだ! いってみようぜ!

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「佃天台地蔵尊」だって。

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でも、この路地、向こうにつき抜けてるだけじゃない…
 あ! こんなところにお地蔵さんが!

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木が生えてるよ!

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この木がさっき見えてたあの銀杏なのね。

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うわ~、軒を突き抜けてるよ…。ちょっと無理矢理すぎるんじゃないかい。

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落ち葉の季節とか大変そう…。

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ここを抜けたところが、今日の目的地だ。

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小さな港と高層ビル…、なんだか不思議な風景だね。

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あの高層マンションのあたりが、昔の石川島。監獄と造船所の跡は、今やおしゃれなリバーサイド・タウンというわけだ。

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水路の脇に神社があるよ。

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佃島のホントの中心地、住吉神社だ。

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こぢんまりしてるけど、手入れの行き届いた良い神社ね。

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確かにきれいな神社だけど、中心と言うにはずいぶん端っこじゃないか。すぐそこが川だし。

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精神的中心地ってことさ。
佃島は、寛永年間に摂津国西成郡佃村、今の大阪市の漁民が江戸幕府に招かれて移住したのに始まる。
元々は漁師町だったのさ。佃島と言えば佃煮、これも漁師町だった時代の名残だね。

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ああ、だからこの水盤舎(おみずや)の欄間、漁の様子なのね。

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いわば、この神社は佃村の漁民といっしょに移住してきたわけだ。月島の造成の時の地鎮祭もここで行なわれたし、だからここが"中心地"といっていいと思うんだ。

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なるほどね。

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同じように佃島の住人達が関西から持ち込んだ文化に盆踊りがあるな。江戸には元々ほとんど無かった風習だけど、ここ佃島だけは盛んだったんだ。あんまりはっちゃけ過ぎて,江戸町奉行の遠山左衛門尉景元―遠山の金さんに「町中での盆踊り禁止!」って怒られたこともある。

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今は東京中で普通にやられてるけどね。盆踊り。

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ところで、なんでここが目的地なんだい。漁師町の神社ってことは水難避けとかの神様なんだろ。あたしたちとはあんまり関係ないじゃないか。

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ガンちゃんまさか、正月はワイハで過ごすからとか?

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違う違う。確かにここは漁業や水運関係の人たちの信仰が厚い場所だけど、他の御利益でも有名なのさ。
あの鳥居にかかっている額を見てごらん。

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あ、あれ陶器なんじゃない?

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そう。陶製の額というのはかなり珍しい。

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そりゃそうよね、壊れやすいもの。

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落としたら割れちゃうものね。

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明治15年って日付が書いてあるだろ。つまり、あの額は130年も壊れもせずに残ってるわけだ。
去年の東日本大震災でも、あの大正の関東大震災でも、傷つかなかったんだ。

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えー。そりゃあタマタマって奴なんじゃないかい。

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いやいや。
遡ると、元禄十六年(1703)十一月二十二日、大地震のため、江戸は高波で死者37,000余人を出したんだけど、この時、比較的被害がなかった佃島の漁師は官命をうけて救助に尽力した。
 安政年間に続発した前後13回の地震を総称して安政の大地震というけど、特に安政二年十月二日、江戸周辺をおそった大地震は、大きな被害をもたらした。死者は埋葬された者だけでも七千人にのぼったという。
 ところが、この時も佃島には大きな被害はなかったらしい。
 木村荘八が『東京繁盛記』という本で昭和三十年頃の佃島の取材を行なっているのだけれど、佃島の住人のこんな証言が記録されている。

『あの鳥居だってそうです。大正の地震には大した揺れだったが、倒れなかった。あの額は瀬戸ものだからね。セトモノがあの地震で壊れねェなんて、住吉さんのおかげだ』

 佃島は大火では何度も被災しているけど、地震に関しては信じられないほど幸運な土地らしいんだ。

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へぇ。河口の島とか埋め立て地は地震には弱そうに思うけど。

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『東京繁盛記』には地元住民の『この島の下は元々岩だてェます』なんて言葉も記録されてるけど、確かに、地質的には砂州みたいな軟弱な堆積土壌ではなく、上野台地や日本橋台地と呼ばれる地盤の地続きらしい。強固な地盤の上で、埋め立た厚さもそんなに厚くないせいかもしれないな。
 科学的には色々説明は出来るんだろうけど、地震に対しての御利益はありそうじゃないか。

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最近、また大きな地震があったものね。

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お参りしとこう!

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# by signal-9 | 2012-12-17 15:18 | 町歩き

【近デジ漁り】バンカラ

 さて、ゆるゆる女子トーク風で書くのはシンドイので、本項は通常モードで。

 「バンカラ」という言葉も、今や解説がいるかもしれない。

 前回のおさらいをしておくと;

 西洋風の服装いわゆる"洋装"の、"丈の高い襟"= "high collar" から、西洋風で目新しいこと、またはそれを気取った人のことを巷間「ハイカラ」と呼んだ。
 「バンカラ」のバンは野蛮の蛮、つまり西洋風で気取った「ハイカラ」に相対する、粗野な風体や態度のこと…である。

 ちなみに、森銑三に依れば、「ハイカラ」という言葉が一般化したのは明治後期―明治30年代だったということだ。これは名著、石井研堂『明治事物起原』(明治41)でも裏付けられる。
ハイカラの始

 明治三十一・二年の頃、毎日新聞記者石川平山氏、ハイカラーという語を紙上に掲げ、金子堅太郎(引用註;政治家。明治憲法の起草に参加。第三次伊藤内閣の農商相、第四次伊藤内閣の法相。日露戦争では対米外交にあたる)氏の如き、洋行帰りの人々を冷評すること度々なりし。泰西(西洋)新流行の襟(カラー)の様に高きを用いて澄まし顔なる様、何となく新帰朝をほのめかすに似て、気障の限りなりければなり。

 「ハイカラ」が明治30年代だから、当然ながら「バンカラ」という言葉はそれよりさらに後、明治末期あたりということになる。

 …というのが、いちおう辞書的な回答であるが、これだけだと具体的にどういう風体・行動が「バンカラ」と表されるのか判りにくい。

 ましてや廿一世紀の現代に於いては「バンカラ」は絶滅危惧種どころか、とうの昔に絶滅済みである。
 残念ながら我々は、「バンカラ」の生態に関しては、文献を頼りに想像せざるを得ないのである。

 バンカラの生態を探る上で好適と思われるのが、『快男児快挙録』(河岡潮風 (英男) 明45)。

 開巻登場するのが、明治の冒険小説作家・押川春浪。

 河岡潮風は春浪の若き友人―「子分」という方が実体にあってるかもしれない―だったので、春浪のバンカラぶりが活写されている。

 前回紹介した『犬絞殺して煮て喰っちゃった』エピソードは春浪バンカラ伝説でもかなり有名なもので、当然本書にも登場する。『快男児快挙録』には、他に春浪のこんなバンカラエピソードが紹介されている。
  1. 早稲田大学在学中のある日、寄宿舎の屋根に山鳩が留まっているのを見つけて、鉄砲をぶっ放した。
     見事命中、鳩は寄宿舎の庭に落ちたが、それを寄宿舎の生徒が横取りしようとしたので、ぶん殴っていたら舎監が飛んできたので、それも恫喝して追い払った。
     「やあい、腰抜け」と祝砲を三発。
     この事件で、東北学院に続き早稲田も放校になりかけた。


  2. 明治44年の春ころ。九十九里浜の別荘からの帰りの汽車の中で、軍人二人が芸者買いの話をしていた。話がどんどん卑猥になるので、春浪は席を立つやいなや、軍人の胸に輝く金鵄勲章を摘んで「おい、君の勲章はオモチャかい」
    「何だって君はそんな失敬なことを聞くのだ?」
    「失敬と怒るくらいなら、もう少し話を慎んだらよかろう。いやしくも帝国軍人としてあんな馬鹿な話がよくできたものだね」
    怒った軍人の一人が「書生上がりの分際でつべこべいうな」と、サーベルを引き寄せた。
     「斬るなら斬れ。武器も持っていない忠良の民に、刀を振り向けて、それで威張れるものなら威張ってみろ、さあ斬れ」
     と啖呵を切った。
     気圧された軍人は平謝り。
     ちなみに春浪、この時は奥さんと子供連れだった。


  3. この事件の直後、両国駅で奥さん達を先に帰して一人料理屋に入った春浪。隣室の客が社会主義について談じる会話が聞えてきた。やがて、幸徳秋水がどうだの社会主義に同情するだのという話になった。
     春浪はやおらその部屋に飛び込んで、「国賊、そこを動くな」と料理をはじき飛ばして膳の上に座り込んだ。
     警官が呼ばれすったもんだの末、家に帰った春浪の尻のあたりに味噌や醤油がべったり付いているのを見て奥さん曰く「アラまあ、また喧嘩なすったの」


 まさに蛮カラ、はっきり言ってメチャクチャである。

 同書には春浪以外にも、様々なバンカラ野郎の「武勇伝」が掲載されている。

  1.  早稲田大学講師の永井柳太郎君イギリス留学中の話。
     有色人種差別も激しい時代。寄宿舎生活をしていた永井君、白人学生達に食いかけのパンを投げつけられたり罵倒されたりしていた。

     ある晩、三階に住んでいる白人連中から、二階の彼の部屋に多量の水が流し込まれ、寝室がメチャクチャにされてしまった。
     あまりと言えばあまりの横暴。永井君は三階に駆け上がる。蜘蛛の子を散らすように逃げ回る白人学生。
     逃げ遅れた一人を捕まえて鉄拳制裁。さらにステッキで打擲しようとすると、逃げ出した連中も、もう降参だ許してくれとわびを入れ始める。
     永井君は白人学生を踏みつけたまま大喝した。

     「自分は英国国民はジェントルマンとして恥ずかしからぬ国民であると聞いていた。しかし実際来てみると実に失望せざるをえない。諸君の誰を見ても一人としてジェントルマンらしい振る舞いをしたものを見ない。諸君の異人種に対する侮辱と冷笑、他の人種はそれでも済むかもしれないが、我輩は大和民族である。日本人には大和魂がある。侮辱されて黙っているわけにはいかない!

     これ以降、永井君は滞在中指一本さされなかったそうだ。

     (ちなみに、この『永井柳太郎君』というのは、後に早大教授となり、雑誌「新日本」の主筆を経て国会議員を八期務め、斎藤内閣の拓相、近衛・阿部両内閣の逓相を歴任した永井柳太郎のことだろう)


  2.  北海道の川上中学校での話。卒業を迎える五年生が後輩に何か置き土産をするべく協議していた。あるものは名士揮毫の額を残そうといい、あるものは貯金して書籍を買ったらどうか、と提案した。
     その時、一人の青年が発言した。
     「諸君、我々は物質ではなく精神を残そうではないか。雨天体操場にストーブが設置してあるが、なんたる愚策だ。北海の健児が炉端にかじり付いてどうする! 上級生として下級生の堕落は見ておられぬ。行きがけの駄賃にあのストーブを叩き潰してしまおうじゃないか!」
     破壊を好む学生ども、たちまち意義無く本案を可決。昼休みに体操場に押しかけて、ストーブの火に小便をかけて消し、ロープで天井までつり上げて、トンガラガンと地上に叩きつけて破壊してしまった。

     爾来、冬場は零下20度を超える極寒の川上中学体操場には、今もストーブが設置されていないという。


  3.  横須賀基地で弾道学の第一人者と言われている井口海軍少佐の中尉時代、日露戦役出征時の話。
     明日は出動という日、名残の酒盛りと称して同僚の士官たちと飲めや歌えの大騒ぎ。
     「なんだなんだ料理の出し惜しみをしやがって」「おまけに料理がまずいわい!」
     酔った勢いでブーたれる若手士官を、古参の副長がたしなめた。
     「何を贅沢な、オイなんか戦時には色々ヒドイものを喰うたもんじゃ」
     それを聞いた井口中尉、
     「ヒドイものといったところで人間の喰うものだろうに」
     と呟いた。それを副長が聞きとがめた。
     「それじゃあ、貴様は人間の喰えぬものが喰えるか」
     「あなたが喰えるものならば」
     「それじゃあ草鞋を喰ってみろ」
     「合点だが、しかしあなたも喰うのでしょうな」
     「貴様が喰ったなら喰おう」
     「武士の一言を聞いて安心しました。さぁ、草鞋を持ってこい」
     井口中尉、口からタラタラと血を流しながら草鞋の片足をバリバリと食べてしまった。
     副長は蒼くなってわびを入れたという。


  4.  いや、もう、ほんとにバカばかりである。

     河岡潮風は、あるバンカラを評して
    「この意気は愛すべし。行いは学ぶべからず」
    としているが、まさに言い得て妙。

     とはいえ勿論、河岡潮風が本書でこのように取り上げているのは、当時でさえ「バンカラ」が既に珍しいものだったからに外ならない。

     例えば、同時期(明治45年)の『全国高等学校評判記』(出口競)をみると、最近の一高生は覇気が無くなったという話が出ている。

     (徳富蘆花の講演会が開催されて、)当日、蘆花氏の演説中、誰一人としてこれに反抗する人は無かった、お客だからとて遠慮するような学生はもともと一人も居なかった筈である。温和しいどころか、約二時間にわたって聴衆は水を打った如く静まりかえってポカンと辯士の顔を見ながら、さながら人形を並べた様に木の腰掛に尻を下ろして居た。その時慌てたのは生徒より先生である、会散じて三々五々、薄暗い校庭を縫うての帰途、一人の大学生は瞳を上げて『一高も駄目だね。誰一人立ち上がって異論を上げる者も無いじゃないか』と呟いた。この一寸した言葉の背景は明らかに一高の近況を語っているのである。


     永井荷風氏がかつて『新小説』に書いた『すみだ川』という小説を見ると、主人公が二十歳まで辿って来た柔らかい生活から、あの荒々しい賄征伐(引用註:賄い所を襲撃して食い物をぶんどったり、食堂で大騒ぎすること)とか、ストウム(引用註:入寮したての新入生の部屋を深夜に集団で襲撃し、石油缶を叩きながらデカンショ節を歌いまくるわ、土足で騒ぎまわるわ、無理矢理酒を飲ませるわ自分も酔っぱらってゲロをぶちまけるわ…の狼藉に及ぶこと)とかで充ち満ちて居る一高の空気の中に、どうしても身を置く気が浮かばないので、上る望みのある試験をわざわざ落第したという事がかいてある。これを読んだ一高の生徒は何と言ったろう。『うまい事を言ってるね』と不器用に腕組みをして首を振った。これが昔の一高ならば、正しく粗暴とか蛮殻とかの肩書きの手前、『何んだベラボーな』と『新小説』を地べたに叩きつけたものであろう。



     「最近の若い者は覇気がない」「俺も若い頃はワルだった」は中二病をこじらせて慢性化させてしまったオッサンの決まり文句だが、明治の御代も変わらなかったわけだ。

     ここでdisられてる一高生たちも、オッサンになったらきっと「今時の若いのは」と言っていたに違いない(笑)。

     なお、河岡潮風の同趣向の著作、『書生界名物男』(明44)も近デジで読めるので、是非。
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# by signal-9 | 2012-12-05 14:22 | 読んだり見たり

【じょしらくBパート風】雑司ヶ谷霊園


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またこの形式でやるのかい。

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ブログ主的にはもう一・二回試してみたいらしいけどね。

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フツーにブログ書くのの三倍くらい手間がかかるのに。ヒマねぇ。

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そういえばMr.Tさんにも「なにやってんのw」って呟かれてたね。

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まあ、本人が幸せなんだから生暖かく見守ってやれよ。

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あ、電車だ!

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唯一残ってる都電、荒川線ね。荒川区の三ノ輪橋から王子を経由して早稲田まで、全長12キロあまり。

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こんな住宅地の間を走ってるんだね。

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むしろ、車道との共有部分が少なかったから自動車の邪魔にならなかったのが、この路線だけ残った理由のひとつみたい。

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この踏切を越えたところが、今日の目的地だ。

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東京都…雑司ヶ谷霊園?!

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いゃああああああああ!

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墓場じゃないか!

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都立雑司ヶ谷霊園。東京有数の霊園だ。総面積106、110平方メートル。一般埋蔵施設だけで約9000人分。小さな町なみの人口だね。

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いや、人口って。生きてないし。

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前回はラブホ街だし、なんでこういうヘンなところにばっかり連れてくるの!

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まあ、そう言うなって。ここ雑司ヶ谷霊園には、かなり有名な人のお墓があって、そこが見所なんだから。

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見所って。バチがあたるぞ。

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例えば歴史上の人物だと、東条英機とかジョン万次郎。

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あ~、学校で習った気が…

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なんで英機と万次郎なのよ……時代もジャンルも全然違うじゃない。

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文芸関係なら小泉八雲、泉鏡花、永井荷風に竹久夢二に金田一京助、サトウハチロー。芸能関係だっているぞ。古川ロッパ、大川橋蔵、いずみたく、川口浩

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うん。誰一人知らない。

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キグちゃんでもこの人は知ってるんじゃないか。

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「目夏」…めなつ???

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「夏目」だよ! 「漱石居士」って書いてあるだろ!

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あ、夏目漱石。

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『坊ちゃん』の人だね。

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ちょっと変わった形の墓石ね。

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椅子を模ったものらしい。洒落てるよな。

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漱石と云えば落語好きで有名だったんじゃなかったけ。

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若い頃は寄席通いもしてたらしいね。「我輩は猫である」なんて、落語の素養が出てるんじゃないかな。

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御利益ありそうだから拝んどこうっと。

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あ、そうだ。このすぐそばにもう一人、有名な作家のお墓があるよ。

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押川春浪先生だ!

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…誰?

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知らないのかい! 明治の大冒険作家だよ! 『海底軍艦』だよ!

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(知ってるかい?)

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(知らないわよ)

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(このパターン、前回と同じじゃない…)

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本当に有名な作家なの?

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そりゃあ確かに漱石みたいないわゆる「明治の文豪」ではないさ。当時でさえいわゆる「文士」よりも一段下みたいな扱いだったみたいだ。だけど当時の青少年の血を沸かせた有名作家だったのは確かだ。特に『冒険世界』・『武侠世界』という軍事・冒険小説雑誌を通じて冒険小説というジャンルを定着させた功績は大きい。
 それにスポーツ、特に野球の普及に与えた影響は小さくない。東京朝日新聞社が新渡戸稲造らを擁して行なった「野球害毒論」キャンペーンに抵抗し、学生野球を守った話は有名だよ。

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それにしては…失礼だけどあまり手入れの行き届いたお墓じゃないね。

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植木も伸び放題だし、まるでジャングルみたい。

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確かに…。
 でも、これも春浪らしいと言えば言えるかも。だって押川春浪といえば、バンカラの代名詞みたいなものじゃないか。

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バン…何?

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バンカラ。明治後期に、西洋風の服装の"丈の高い襟"= "high collar"をもじって、西洋風で目新しいこととか、それを気取った人のことを「ハイカラ」と呼んだの。「バンカラ」のバンは野蛮の蛮、つまり西洋風で気取った「ハイカラ」の反対、粗野な風体や態度のこと。

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ああ、マリイさんみたいなヒトの事ね。

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おい!

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学生時代の押川春浪にはこんなエピソードがある。
 東北学院在学中の話。生理学の解剖実習に使うために教師の飼い犬を校庭で絞殺した。

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ぇぇぇええええ!

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春浪のために弁護しておくと、犬の死骸を持ってこいというのは生理学の教師の指示だし、解剖に使うのなら殺して持って行って良し、と許可したのも犬の飼い主の教師だ。

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…なんていうか、豪快な時代ねぇ。

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でもさすがに「動物虐待だ」と先輩学生に咎められたんだ。

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そりゃそうだろ。

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これにキレた春浪、先輩たち相手に、犬の死体の転がる校庭で大乱闘。

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おいおい。

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翌日、解剖に使った犬の肉を、空き缶に醤油と水をぶち込んで教室のストーブで煮て喰っちゃった。

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ぃぃぃいやぁ!

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教室に立ちこめる異様な臭気に気づいた外国人の英語教師に見とがめられた。
「これは一体なんだ!」
 春浪平然と答えて曰く「イット、イズ、エ、ドッグ!」

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なにそれひどい。

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激高した教師が煮犬を窓からうち捨てると、「正直に答えたのに、人の物を勝手に捨てるとはなんだ」と逆捩を食わせ、教師を教室から追い出してしまった。
 この事件で春浪は東北学院を放校になった。

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…デタラメな人だなぁ。

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春浪にはまだまだバンカラ伝説があるんだけど、とても話しきれないや。ということで、この続きはまた今度。

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続くのかい!

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# by signal-9 | 2012-12-03 11:17 | 町歩き