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『特撮博物館』を観てきた。

 とっとと行かなきゃいけなかった(義務かよ)のだが、ずるずる先延ばしにしていたら10月8日までだったので慌てて、館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技を見に行った。



 いや、もうね。 なんつーか、燃えるわ。

 メーサー砲台を始めとする東宝自衛隊の特殊車両の数々。我が青春の轟天号。テレビ版に改修された"わだつみ"。しれっと置いてある妖星ゴラスの"実物"。足場からしたたり落ちた鉄錆の後まで再現している電柱のミニチュア。

 思わず隠し撮りしたくなるお宝の山。
 いや、もちろんそういう不正行為はやらないが。

 ちゃんと撮影用のミニチュアは用意されているしな。



 みよ、この作り込み!



 安物のデジカメで撮っても、このクオリティ!









 我ながら不思議なのだが、今や「絵」という観点だけに限れば、CGIでほとんどカバーできるからミニチュアの出番なんかないだろ、とアタマでは思ってるのに、何で"物理的現物"というのはこんなにも魅力的なのだろう。

 二次元の絵では満足できないからフィギュアが欲しくなったりするのと同じなのかなぁ。物神崇拝の変形? それともやはり、俺には言葉には出来ないけど、どこかが「違う」から?

 夏休みも終わったというのに、かなりの見物客が来ていたことにびっくりした。

 なんだよ、特撮好き、まだまだいるんじゃん!

 こんだけ客が入るんなら常設館でもイケんじゃね?

 この博覧会の為に作られた『巨神兵東京に現わる』も良かった。何よりも作り手が楽しんでいるのが伝わってくる。

 "特撮映画"が作られなくなってからかなり経つ(申し訳ないが、今のウルトラマンとか仮面ライダーや戦隊ものの"映画"は、俺的には"特撮映画"とは思えないので)。

 『巨神兵東京に現わる』を観て、「これが最後の特撮とは思えない…」と無邪気に呟ければ幸せなのだが、興業という側面から考えると、中々難しいだろう。
 でも、適当な機会と場所と、作り手の熱意があれば、これだけの集客力はあるわけだ。
 あえて文句――というか、嘆いておくと、そこここの説明書きに「是非大画面で!」という趣旨の一文が添えられていたのだが、現実問題として、その「大きな画面」で見ることが出来る「場所」が無い。

 このレベルの展示内容で、ミニシアター規模でもいいから上映システムが併設されていて、昔の"特撮映画"のローテーション上映でもやってくれる常設施設があったら、けっこうやっていけるような気もするのだがどうか。

 例えば、往事、映画興行の一大拠点だった浅草は、この10月でとうとう映画館が無くなってしまうそうだ。
 いまや「映画だけ」で食ってくのは無理だろうが、こういう"忠誠心のあるファン"が付いているジャンルのものなら、合わせ技でナントカ商売になりそうな気がするのは素人の甘い見積もりなのかなぁ。
 浅草のある台東区は、上野に美術館群も抱えてるわけだし、「コメディ映画祭」もいいけど、こーゆー"ヲタク向け"のジャンルにも目を向けてくれないかなぁ。

 …と、浅草の映画館で東宝特撮の黄金期の作品を鑑賞したオジサンは思うわけだ。


 帰りがけ、スカイツリーが遠くに見えた。

 『あれ、どうやったら格好良くぶっ壊われるかなぁ』

 と、妄想が広がった。
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by signal-9 | 2012-09-24 12:33 | 読んだり見たり

【近デジ漁り】江見水蔭の『実地探検』


 断崖百丈の下に一大岩窟がある。ここに悪灘の海水が絶えず突入して奥の奥まで波頭を打込むために、その音響が百雷千雷の轟く如くに聴えて、恐ろしくもまた物凄さというものは、如何なる勇者をも思わず知らず戦慄せしめて、永く窟内を窺うに堪えざらしめる。

 断崖百丈…一丈は3メートルなので、300メートルの断崖の下。そこに荒波の轟音渦巻く謎の洞窟があるという。

 あの龍窟、即ち龍池穴には、実に往事より深く進んで、その奥の奥、底の底、それを探求した者が無いとの事。何故ならば、この窟の奥には、毒龍が封じ込められているとの俗説を信じている者が多いので。

 その名は龍池穴…。「龍」の名の由来は、そこに毒龍が封じ込められているという伝承があるからだという。
 だが、この「龍」の伝説、まんざら根も葉もないことではないらしい。

 名を聴いても身の毛を立たしめるところの海蛇が棲息しているからである。
 口広く、牙鋭く、一度人に噛み付かんか、如何にしても離す事なく、首を切られても頭のみは噛み付きて離れず、かれこれする内に牙毒が全身に廻りでもすれば、見る見る五体紫色に変じて、一命をこれがために失うのもある。
 殊に最も龍窟に多く棲息するとの事であるから、古人がこれを毒龍と称して恐れたのかも知れぬ。


 しかし、斯くも恐るべき龍窟の探検を、思い立った者が、今より以前無いのでもあらぬ。しかも二人まであった。
 が、二人とも失敗した。

 一人は嘉永年間、荒行の場にこの龍窟を選んだ行者。三日目に荒波に掠われ死体も上がらなかった。もう一人は明治の初年、蝋燭を五箱ばかり背負い、奥深く進んだ無謀な者があったが、遂に生還しなかったとか。

 うううううむ。
 300メートルの断崖の下、荒波と猛毒海蛇に守られる前人未踏の大魔窟! 血が騒ぐじゃないか。

 で、その魔窟はいったい、いずこにあるのか?! 

 そのすさまじき岩窟は何処にあるかというに、余が片瀬の假居からほど遠からぬ江の島の南岸、かの奥の院と称して世人がよく見物に出入する第一の龍窟に隣っていて、山二つの下へ廻ろうとする海角の東南面に開いてあるのだ。

 ええええええええええ江の島ぁあ?!

 片瀬の江の島って、あの神奈川県の江の島だよな… たまにお天気カメラで中継されている… アニメ「つり球」の舞台だった… 
 一番高いところでも標高60メートルくらいしかないじゃないか。断崖百丈ってもしかして、高さ300メートルじゃなくて幅が300メートルの崖って事なの?

 いや諸君、多少オーバーな表現は大目に見てほしい。

 何しろ著者の江見水蔭は、明治の冒険小説家なのだから。

 『怪竜窟 : 実地探検』(江見水蔭 明40)。

 江見水蔭の名は、ヨコジュンこと古典SF・近代奇想小説研究家の横田順彌の読者だったら記憶にあるだろう。
 大部の著作『近代日本奇想小説史』(ピラールプレス 2011)で、ヨコジュンはかなりの頁を費やして「江見水蔭を再評価せよ」と訴えている。
 小説家としての江見水蔭に関してはヨコジュンのこの本を参照してほしい(『近代日本奇想小説史』はとてもよい本なのでみんな買うと良いと思うぞ。まあ、1万2千円はちょっと高すぎだろとは思うが)。

 ところで、江見水蔭といえば有名なのがアマチュア発掘家としての顔だ。

 アマ発掘家としての水蔭の活動に関しては、『魔道に魅入られた男たち: 揺籃期の考古学界』(杉山 博久 1999)が詳しいので詳細は同書を参照してほしい。
 簡単に言えば水蔭は、書斎に閉じこもるタイプではなく、アウトドア活動を好み、その実地体験を生かした作品も残している。會津信吾は江見水蔭を日本初のアウトドア作家と評している。

 この『怪竜窟:実地探検』は江見水蔭の、初めての「探検実記」なのである。

 個人的感想を述べさせて貰うと、面白い――というか、実に「楽しい」作品だ。

 探検隊員を募り、家の裏手に繋いである愛艇「不二號」を駆って一路竜窟を目指したが、なんと干潮のために船では乗り込めないので仕方なく泳いで突入足に絡まった命綱を海蛇と勘違いして思わず自分で切断してしまうわ、遭難者らしき骸骨だの謎の大蛇の石像を発見するわ、しまいには火薬を仕掛けて障害物を爆破するわ。

 江の島に「大魔窟」なんて…という「常識」は、本書が書かれた明治末期でも現代と同じだった。
 本編は前半部と後半部に分かれており、前半部は先に新聞連載されたものだったようだ。後半部の冒頭、水蔭は前半部連載中に寄せられた世評について、このように書いている

 余等が「龍窟」探検を企て、その記事を読売新聞紙上に連載するや、意外の好評喝采を江湖に博して、それと同時に、また意外の悪評罵嘲をも世上に漲らした。その罵言の内には、果たしてその様なる怪窟が、江の島の周囲にあるや否やとの、疑念を含んだ攻撃である。

 疑念を持たれても当然だろう。なにせ江の島である。絶海の孤島でもなきゃ人跡未踏の秘境でもない、明治どころか江戸の昔から「観光地」だった場所だ。

 だが、この疑念の声に対し、水蔭は高らかに宣言するのである。

 探検記は、小説とは違う。虚構は無い。架空の事実は有らぬ。

 俺は、これはハッタリではないと思う。
 水蔭は本気だ。

 映画やドラマのジャンルには、いわゆる「モキュメンタリー」というものがある。「ドキュメンタリー」の体裁で作成された架空の物語のことだ。「フェイク・ドキュメンタリー」とか「ウソメンタリー」なんて呼ぶ人もいる。

 探検モノで例を挙げると「川口弘探検隊」とか「食人族」みたいなヤツだな。

 「モキュメンタリー」は、ウソをウソとして楽しむという暗黙の前提が、作る側と鑑賞する側で共有されて成立している――まあ、タマ~に観る側はホンモノだと思い込んじゃうケースもあるようだが、少なくとも作ってる側は意識的に作ってるわけだ。
 こういう作品を「ウソッパチだ作り事だ映倫とBPOとJAROに訴えてやる」と作り手を非難したところで、「はあ。別にドキュメンタリーとは言ってないですが何か」「あんまりヤボなことは言わないで下さい」と、鼻白まれるだけなのは言うまでもない。

 だが作品を成立させるために、作ってる方も観る方も、お互いに斜に構えて「それは言わないお約束」を守らないといけないというのは、やはりちょっと歪んでいるような気もする。

 水蔭の「探検実記」は、「モキュメンタリー」とは明らかに違う。
 「断崖百丈」みたいな冒険小説家らしい文学的誇張・ハッタリはあるにせよ、水蔭本人はどうみても「本気」なのである。

 この「本気」さが、水蔭の「探検実記」の「楽しさ」の根幹のような気がするのだ。

 近デジには他に、『奇窟怪嶽:実地探検』(明40)という作品も収められている。
 『奇窟』というのは東京都西多摩郡日原の鍾乳洞、『怪嶽』とは信州の戸隠山のことなのである。

 江の島、日原、戸隠山。

 明治末期という事を割り引いて考えても、「探検じゃなくて観光なんじゃないの」と揶揄したくなるような近場ばかり(水蔭は主に神奈川と東京に居住)ではあるが、そのいずれの場所も、水蔭は本気で「探検」に取り組んでいる。

 探検隊を組織し、探検装備を用意し、怪しげな穴には潜り、断崖絶壁があればよじ登る。

 書いてる当人が本気で楽しんでいる本というのは、その楽しさが読み手にも伝染するようだ。

 言ってみれば、"いい年をしたオトナの夏休みの冒険"
 日々の生活に倦み草臥れたオッサンである俺には、この邪気のなさが眩しくてならない。
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by signal-9 | 2012-09-20 13:13 | 読んだり見たり

【近デジ】アンケートに答えて思ったこと。

近代デジタルライブラリー利用者アンケートに答えてみた。

 全般的には大いに称揚し激励したつもりなのだが、不満てゆーか要望? てゆーか希望? を書いたのも事実だ。
 ちょっと書ききれなかったので、ここにつらつら書いてみる。

 俺的にはこの設問がちょっと引っかかったのだ。


問17 今後、近代デジタルライブラリーにどのような機能等があったらよいと思いますか? ( 1 個以上選択)
  1. 本文の全文検索
  2. スマートフォンでの閲覧
  3. 音声読み上げ対応
  4. 全文のダウンロード

 この選択肢の選択の基準、つまり、何故こういう選択肢を選んだのかが、国会図書館内部の意見なのか、従来のアンケート結果を踏まえてなのかは判らない。
 だが、コンピュータ屋の目で見ると、どうも選択肢のレベル感が不揃いなのではないかという疑問が禁じ得ないのである。

 例えば、「全文のダウンロード」というのは(再三繰り返しているように)、システム的にはおそらく単純なスケールアウトでほとんど対処できる問題だと思う。
 同じデンで、「スマートフォンでの閲覧」というのがどういうレベルを指しているのかは判らないが、現状通り「本文は画像だけ」の提供であれば、技術的にはさして難易度が高いとは思えない(というか、現に利用者側で対応 ― いわゆる「自炊」している人もいるわけだし)。

 これらに比べて「本文の全文検索」というのは、まったくレベル(端的にはコストの)が違う話なのではなかろうか。

 俺の誤解でなければ、「本文の全文検索」というのは「本文を画像データではなくテキストデータにする」ということと同じ事である。

 この「本文の全文検索」ができる・できないで、他の選択肢はまったく実装解(設計)が異なるはずだ。
 「音声読み上げ対応」なんて「本文の全テキストデータ化」が出来てなきゃあまり意味は無かろう。スマフォ対応や全文DLも、これが出来る・出来ないで、まったく違うシステムができる、と思うのである。

 こういう風に並べられると、「本文の全文検索」というのが、如何に高い頂、しかし一番求めている(俺が)ものであるか思い知ったわけである。

 極言すれば、「本文の全文検索」=「本文のテキストデータ化」ができりゃあ、後はなんとでもなるのではなかろうか。

---- こっからテクニカルな独り言なので適当に読み飛ばしてほしい --------

 現状の近デジでは、PDFダウンロードすると各ページはJPEG 2000(静止画のJP2形式)でエンコードされたデータで落ちてくる。

 どういう環境でエンコードしてるのかは、それぞれのPDFの中身を見ればちゃんと記録されているが、例えばKakadu softwareの製品とか株式会社寿限無の「JuGeMuJPEG2000バッチエンコーダ」(for NDLとあるのでカスタム版かな)などを使っているようである。
(株式会社寿限無は 『戦後日本 少年少女雑誌データベース』でも知られているが、図書館関係のデジタル化のコアベンダ。)

 ご存じのように、ベアなWindows環境にはJPEG 2000用のCODECが付属していないので、近デジPDFをページ単位にバラしてアレコレしようとすると、JPEG 2000が扱える何かが別途必要である(Acrobatで一ページずつ手作業でコピペ、なんて馬鹿なことは考えない。JPEGダウンロードは一冊丸ごとでは時間がかかりすぎ)。

 まあ、プリンタ経由でEPS/EMFとかopenJPEGとか、方法は色々考えられるのでそれぞれ好いたらしい方法でヤることになる。

-----------------------------------------------------------------------

 とまあ、このような面倒くさいことを色々考えつつ、PDFをページ単位にバラして、Windowsで扱いやすいイメージに変換して、余白だの明度だのアレコレして読みやすくして、もう一回、テメエの読みやすいようにPDFなりXPSなり電子ブック形式だのに変換する……みたいなことをやってる奴は、多分(俺以外にも)いるだろうと思ってるわけだ。

 さらにいうと、パソコン用のOCRで読んでみるとか、Google Docs(ドライブ)のアップロード時のOCR機能を通してみる、程度のことはやってる奴は(俺以外にも)いるだろう(で、けっこうガッカリしてる奴も多いだろう。俺みたいに)。

 もっと単純な例を挙げると、近デジで付与されている「目次」はおそらくOCRを使ってるのだろう、けっこう誤認識が多いし、章・節の区別無くフラットなデータのようなので、私的必要に応じて文字を直して章・節のレベル付け直してるような奴もいるはずだ。

 さらにいえば、近デジの文書を引用する為に手で打ち直しているデータ。OCRで読ませただけよりは当然ながら精度も高いはずだ。

 この「近デジ」の外で発生しているコスト&リソース、もったいないなあ、と単純に思うのである。

 現状の近デジにはこういう、「外で発生したデータ」をフィードバックする仕掛けがない。

 昔(2007年頃)GoogleのreCAPTCHAを初めて見たときには、大いに感心した。

 Web入力時にスパムロボットを排除する為に、画面に表示された機械読みしにくい文字を入力させるCAPTCHAという仕掛けは当時でも周知のモノだったが、reCAPTCHAは認証で入力されたデータをOCRの読み込み精度向上の為に流用する、という仕掛けだ。

 例えばこの種の仕掛けを近デジの「全文テキスト化」推進に応用できないものだろうか。
  1. とりあえず、OCRでベースになる読み取りデータを提供してしまう。
    これはGoogle Booksという先例が既にあるが、近デジに含まれているような、縦書き旧かな旧漢字当たり前では精度は期待できないだろう。

  2. 善意の利用者がそのOCR読み取りデータに修正を加えられるようにする。
    reCAPTCHAみたいな一挙両得な仕掛けが考えられればそれに越したことはないが、旧漢字対応とか考えるとすごく難しそうだ。場合によっては 舊→旧 みたいな書き換えは人間判断でOKみたいなルールは必要かも。

  3. 人間の修正データによってOCR読み取りデータを直すと同時にOCRを賢くする。


 ああ、わかってる。

 今の世の中、善意の利用者なんて想定する方が間違ってるかもしれないし、何らかのインセンティブがなきゃあ、こんなこと進んでやるような奴は皆無かもしれん。

 おまけに図書館といえど国家機関。
 妙なイタズラでもされて「テヘペロ」で許してもらえないかもということを考えると、わけ判らない「一般市民」どもなんか介入させちゃあいけないのかもしれない。

 一般利用者側からみても、Googleに任せておけばいいじゃん、という判断だってあるかもしれないし、どうせ著作権切れなんだから個人で勝手に焼き直して公開しちゃえばいんじゃね? という判断もできるかもしれない(法的にどうなのかは知らない)。

 ただねぇ、なんかこう、勿体ないような気がするんだよなぁ。せめて目次だけでも修正させてくれないかなぁ。

…というのが、俺がアンケートに書いた真意なので、よろしくご検討ください国立国会図書館様。
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by signal-9 | 2012-09-13 17:40 | 電算機関係の話題

【近デジ漁り】 「秘伝」

 適当なキーワードで近デジ検索してみて目に付いたモノを読んでみる、という使い方は俺みたいな乱読タイプの人間にはよくあるはず(勝手な思い込み)。
 で、「秘伝」というキーワードを使うと、けっこう面白げな本が見つかるよ、という話である。


『萬呪秘法』(己羊社 大正9)。

 「よろず まじない ひほう」と読む。「呪」の一文字がオドロオドロしいが、これは「のろい」ではなく「まじない」、要するに「おまじない」の本である。

 例えばこんな感じ。

 ■家運隆盛となるまじない

  十二月中に豚の耳を切り取って、家の梁の上に懸けておく。

 ■出世のまじない

  八月の月見に供えた月見団子を盗んで食べれば出世する。

 「豚の耳を切り取るとか無理だし」「盗んで食べればって、出世どころか窃盗罪で人世棒に振ることになるんじゃね」などの冷静なツッコミは止しておくべきなのだろう(笑)。

 こんなのだけだと「おばあちゃんの知恵袋(迷信)」みたいだが、いわゆる呪符(おふだ)を使うものも結構載っているのがもっともらしい。

 ■金持ちになるまじない

  下のような符を作って、常に首に掛けておけば金持ちになる。

c0071416_1419816.jpg

こういうイミフだが怪しい香りのするガジェット何となく御利益のありそうな気になるではないか(笑)。

 俺はこの種のモノにはトント疎いので、これらの呪符に何が書いてあるのか・どういう意味があるのか、さっぱり分からないが、「急急如律令」(きゅうきゅう‐にょりつりょう)というのは、元々は漢の時代の公文書の末尾に記した定型文で「上記趣旨理解の上、取り急ぎ律法の如く実施すること」的な意味だったものが、道教や陰陽道に取り入れられて、悪鬼退散的な意味でまじないの言葉に使われるようになったもの、と記憶している。

 見る人が見れば、こういうわけのわからない呪符でも「あ、これは真言密教の影響」とか、いろいろ興味深い解釈は出来るのだろうな。

 ■女の嫉妬を止めるまじない

  1.ウグイスを煮て喰わせるべし

  2.その婦人の月経の付いた布にヒキガエルを包んで
、便所の前30センチほどのところを掘って、地中15センチくらいに埋める。

 喰わせちゃいますか、ウグイス煮。

 「鶯煮」って漢字で書くとちょっと旨そうにみえるから不思議だ。
 味付けはどうするんだろう、やっぱり味噌煮かなぁ。

 ウグイスはまあ、ペットショップなどで購入できないことはなかろうが(よく知らない)、その煮たのをどうやって女に喰わせるか、という方が嫉妬を止めさせるより難しいのでは無かろうか。

 ヒキガエルの方がミッション的には多少難易度が低いかなぁ。
 「お前の経血の付いた布をよこせ」とかいったら、ドン引きされて、結果的に嫉妬どころぢゃなくなりそうだし。

 とまあこんな感じで、福徳・恋愛・健康から災難よけ、害獣避け、虫除け、退魔法から安産まで、ムリョ250項目オーバーのおまじないが記載されているが、なんだかどれも手順がスッゲー面倒くさいか、手順が簡単なものはあまり効きそうにない(笑)


 もうちょい簡単で効きそうな秘術はないのかしらん、と探してみて発見したのが、『発明奇術 廿一法秘伝書』(信本峻峰 明治23)。

 本書に挙げる奇術廿一法は信本峻峰先生が自己他人の発明、あるいは家伝の数百秘法を実地に経験せられ、その中もっともなり

 だそうで、いわゆる「おまじない」ではなく、怪しげな漢方秘薬生成法みたいなのが並んでいる。

 ■酒を嫌いになる妙法

  白ゴマと黒ゴマを煎って、細かく挽き、熱湯で溶かして毎日二回呑む

 ■肥満解消

  山椒を毎日10粒程度服用するといい具合にやせる

 と、この辺りなら、目指す効果があるかどうかは別として、まあまあ健康には悪く無さそうであるが、

 ■毛はえ薬

  芫青丁幾、肉荳蒄油、刺賢垤兒油、と芳香水を混ぜて、刷毛で一日三回塗る。

 ■記憶力を増進する薬

  塩酸規尼涅、還元鉄、康桂皮末、橙皮末、甘草末を蒲公英エキスで溶いて丸薬にして服用。子供と赤ん坊は量を減らして服用させること。

 この辺りになると、もはや素人がほいほい作って試していいようなシロモノとも思えない。

 ググってみると、「肉荳蒄油」というのはナツメグ油、「刺賢垤兒油」はラベンダーオイルらしいのでまあ危険は無かろうが、「芫青丁幾」つーのは、昆虫のアオハンミョウのことみたいだ。
 アオハンミョウから取れる「カンタリス」(カンタリジン)というのは昔は媚薬に使われてたことぐらい知ってたが、Wikipediaによれば「皮膚につくと痛みを感じ、水疱を生じる」というくらい強い副作用があるそうで、量を間違えて禿頭に塗ったらエラい事になりそうな。

 「記憶力増進」の方も、俺みたいな脳みそが毎日耳からこぼれ落ちてるんじゃないかと思うほど物覚えの悪い奴には魅力を感じる話だが、塩酸規尼涅=塩酸キニーネなんてマラリヤみたいな熱病の時に使う鎮痛解熱薬だ

 原著にはちゃんと量が明示してあるが単位がみんな古いから、試してみようと思う炎のチャレンジャーは、よくよく調べてからにしたほうがいいぞ(笑)。

 ■梅毒必治法

  ヨードカリを水で溶いて日に三回に分けて服用すれば必ず治る

 確かにヨウ化カリウムは「第三期梅毒のゴム腫の吸収を促進します」、と現代でも使われているようなので、症状を抑える上ではまるっきり間違いではなさそうだが、梅毒自体を「必治」するものぢゃないだろう常考。

 …というようなツッコミは、書かれた時代を考慮しないといけないよな。

 現代において梅毒治療で使われる抗生物質(ペニシリン)が発見されたのが、昭和3年(1928年)。この本が書かれた明治23年(1890年)は、40年近く前だ。
 その時代で書かれたモノにしては、「秘伝書」を名乗ってもいいんじゃなかろうかという気もする。

 俺はバケ学とかヤク学とかにはまったく無知だし、「よい子はマネしちゃダメだよ」としか言えないが、そーゆー方面に知識のある人なら面白く読めるかもしれない。

 意外と「忘れ去られていた知見」とか「現代でも応用可能なアイディア」が得られるかもしれないし。
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by signal-9 | 2012-09-07 14:28 | 読んだり見たり

【近デジ漁り】ハウツーもの(2) 『なるまで叢書』

 近デジを漁っていて、フト見つけたのが、章華社という出版社の『なるまで叢書』

『なるまで叢書』の刊行に就いて

 古き器は潔く捨てよ。新しき酒は新しき革袋に盛ろうではありませんか。新しき時代に息づく私共の切実な欲求は、この新しき革袋でなくて何でありましょう。古き時代の無味乾燥な職業案内や空疎な成功物語に潔くさようならを告げた若き人々は、この『なるまで叢書』の出現によって、始めて尽きぬ興味と悦楽の裡に時代の光明をハッキリと認めることが出来ましょう。

 無謀な企て! そうです、内容頗る豊富、四六版各冊百五十頁内外総ポイント組で、しかも一冊僅か五十銭という驚くべき廉価は、算盤を無視した無謀の企てに近いでしょう。けれども私共はこの仕事の背後に常に幾万幾十万の心からなる読者を味方に有っていることを思うとき、無限の勇気を以って力強く、この仕事を続けて行くことが出来ます。

 敬愛なる読者諸君! 私共の本計画を意義あらしめるべく奮って御愛読を願います。

 と、かなりの怪気炎かつ商売っ気マンマンの序文で判る通り、なにかに「なるまで」どうするか、というハウツーもののシリーズである。

 もちろん、今の時代には実際の参考になるものではないが、これが中々にイイ感じの風俗史の資料として読めるのである。

 例えば「映画女優」を目指す女性向けの職業案内、『映画女優 スタアになるまで』(小池善彦 大正15)。

 口絵写真でいきなり田中絹代だの松井千枝子だのが登場するので、俺みたいな偏った映画好きは、もうそれだけで映画が娯楽の王様だった時代に引き戻される感じである。
 …なに、田中絹代って誰、だと? そういう人はひいおじいちゃんにでも聞いてくれ。

 職業としての女優の紹介なので、当然いちばん重要な収入(ギャラ)の話も出てくる。

…蒲田の人気スタアの収入を調べてみると、確定的にはいえませんが、その人気の最高時に当たって、川田芳子の月給が五百円、粟島澄子が四百円、筑波雪子、松井千枝子がずっと下って二百五十円見当だそうです。

 「蒲田の人気スタア」というのは、当時ブイブイいわせていた松竹蒲田撮影所のこと。 
 月給五百円は今で言うとどのくらいなのか。換算は難しいが、大正15年当時、東京・大阪間の鉄道料金、三等片道で六円五銭。東京・上野間が十銭の時代である。ざっくり1000~2000倍見当で50~100万くらいだろうか。

 意外と少なく感じるが、消費財そのものの値段が安い時代だ。公務員の初任給が75円くらいなので、ケタ違いの高給であることに間違いはない。

 当時の(日本から見た)ハリウッドの状況や、人気女優のエピソードなど、映画史に興味のある向きには面白く読めると思う。
 なお、ハウツーものではないが、昭和22年刊行の『映画五十年史』(筈見恒夫 著)なども近デジで読めるので、映画ファンは是非。

 『なるまで叢書』からもう一冊、『名探偵になるまで』(須藤権三 大正15)。

 現代において「探偵」という言葉は、ほぼ「私立探偵」と同義だが、この当時はちょっと違う。

 (嘉永年間以来)探偵といえば犯罪捜査に従事する刑事巡査のことであって、今日でも警視庁の刑事巡査には密行係、掏摸係、探偵係という区別があって、内部でも刑事巡査のことを探偵といい、これを動詞に使えば犯罪捜査と殆ど同じ意味になるのである。

 同じく探偵といわれる人の中に、刑事巡査以外に私立探偵と軍事探偵とはあるが、日本の現状に於いては私立探偵の仕事は刑事巡査の仕事のごく一部分に過ぎない観があり大事件の捜査に従事することなどは極めて稀であるのと、軍事探偵のことは軍事上の機密であって、外界の者の窺窬(きゆ)を許さぬ事情の下にあるため、本書に於ては主として刑事巡査の仕事を中心とし、私立探偵のことはこれを従とし、軍事探偵には全然触れないことにした。

 つまり、この本は今でいえば「名刑事になるまで」ということになる。

 刑事係、即ち刑事巡査となるには、どうしても先ず只の巡査にならなければならない。 然らば巡査となるにはどうするかといえば、これを詳しく書くと「警察官吏になるまで」という別冊の本が出来上がる訳であるから、ごく簡単にしておくが、

 「名探偵になるまで」のキモであるべき「なる方法」が、「警察官採用試験を受けなさい」というのは、あんまりじゃなかろうか(笑)

 さよう、この本、「名探偵に、俺はなる!」と意気込んでこの本を手に取ったであろう読者に、現実という名の冷や水をぶっかけまくるのである。

報酬は少ない

 刑事係には一定の勤務時間というものはない。…仕事の性質上一般官吏や銀行会社員の如き規則的生活はとうてい出来ない。…

 収入は一般巡査並びに巡査部長としての俸給及び家賃(夫婦者で七円から十一円まで)の外、刑事手当として最初は月に五円、古い者でせいぜい十円である。
 時に旅費として月額六円、ボーナスは年末に一回俸給一ヶ月分貰えるだけであるから、一人前の刑事係の月収はすべてを引っくるめて月に六十円から最高で九十円どまりという貧弱なものである。
 命がけの大格闘をしたあげく、重大犯人を逮捕しても逮捕賞金はせいぜい二円くらいしか貰えず、一世一代の大捕物をして警視総監から直々の賞金を貰うと、これが大枚五円くらい、勘定づくではとても馬鹿馬鹿しくて出来た仕事ではない。

 う~ん、昔も今も現場の辛さは変わらないのだなぁ。

 だから名探偵になりたい一心の人は別として、人間並みに高位高官に登り、立身出世をしようという人は断じて刑事係などになるべからず。勉強する時間は無し、身体は疲れる、とても試験を受けて次第に立身していくなどという見込みはないからである。
 刑事係となる人は探偵の仕事に異常な興味を持ち、薄給と激務に甘んじて、一生を犯罪捜査に投じ得るほどの覚悟がなければならぬ


 要するに、探偵の仕事が好きで、どんな辛い忍耐も出来る人で、初めて探偵を志望する資格があるといえるのである。探偵小説や活動写真で、探偵の面白い事ばかり見て、楽しい空想ばかり描いている人たちは、実際探偵に従事すれば、第一日目から直ちに幻滅の悲哀を感ずるに相違ない。


 「君にもなれる!」的に、安易に読者に迎合することなく、「軽い気持ちで出来るような仕事じゃないんだ」と真実を伝えようとしている、非常に良心的な本ではある。

 でも、これじゃあ『名探偵になるまで』じゃあなくて『名探偵になってはいけない』だよ!

 さてこの『なるまで叢書』、近デジには現在の所、他に『化粧秘訣 美人になるまで』『野球選手 主将になるまで』『囲碁初段になるまで』が収められている。

 それぞれに、当時の社会風俗を反映しているので、そのジャンルに興味のある人にはけっこう面白く読めるだろう。

 巻末の宣伝によると、『大臣になるまで』『小説流行作家になるまで』『博士になるまで』などが続刊予定とされている。

 これらが本当に出たのかどうか判らないが、あるのだったら近デジへの格納を期待して待ちましょう。
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by signal-9 | 2012-09-04 13:41 | 読んだり見たり