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やっちゃ場の痕跡

 道行く人は気にも留めていないようだが、秋葉原本通からヨドバシカメラの脇を通って昭和通り方面に抜ける道の、高架の橋脚にペンキで直書きしたこのような表示がある。
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「蔬菜」、"そさい"と読む。
いわゆる「あおもの」、野菜のことである。

 秋葉原に青果市場があったことを知らない世代も多くなってきたようだ。
 東京都中央卸売市場神田分場、通称「やっちゃ場」(のひとつ)である。

 『神田市場史 上巻』(神田市場協会 昭和43年)によると、17世紀頃に成立した市場が神田多町ニ丁目~須田町・鍛冶町・司町あたりに散らばっていたようだが、それが昭和3年に秋葉原に移転したということだ。「秋葉っ原」への移転は、明治5年から東京府によって何度も何度も計画されるも、市場関係者の反対で毎度頓挫した、という経緯もあったらしい。
 結局、大震災のリセットがきっかけになったということか。

 昭和3年の移転後の様子を、今和次郎編纂の『新版大東京案内』(昭和4年。ちくま学芸文庫2001年、P160)から引用しておく。
【青物市場】
 青物市場即ち東京の俗語にいふ「やつちや場」の数は、東京に非常に多い。ちょっと数えて三十七ばかりある。
(中略)
 神田市場の起源は古い。江戸時代から十数度の火事で記録を焼いてゐるから精しくは解らないが、三百二十年前、慶長年間には既に存在したらしい。
 敷地は約二千坪、総工費五百万円。立派な市場である。問屋が二百二十軒、仲買人が百三十五軒、取扱ひ数量は、年額約二十七万四千頓、二千三百万円にのぼつて、東洋一の青物市場である。
 恥ずかしながら、「やっちゃ場」が一般名詞だということは知らなかった。ガキの頃から「やっちゃ場」と言えば秋葉原のアレ、固有名詞だと思い込んでいた(笑)

 昭和30年代のやっちゃ場の貨物集積所の様子。
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 こちらは同じく昭和30年代の競りの様子。
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 昭和43年に東京都観光協会が出版した写真集を見ていたら、こんな写真も見つけた。
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 今とは風景がまったく違うことに感慨を覚えざるを得ない。

 威勢のいい八百屋のオヤジたちが早朝から忙しく働いていた同じ場所を、今やヲタクと似非メイドが闊歩してるんだから(偏見)、時代が流れるのは早い。

 俺も歳を取るもんさねぇ(笑
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by SIGNAL-9 | 2007-05-23 13:56 | 秋葉原 研究(笑) | Comments(0)

記事を書くならちゃんと書こうよ。

高校生が手作り原子炉を作成! 核融合成功に近所はドン引き! 2007年05月21日17時20分 livedoor
インターネットフォーラム『Fusor』によると、アメリカ合衆国ミシガン州オークランドの高校生・オルソン君がガラクタを集めて核融合が可能な原子炉を作り、信じられないことに重水素核融合に成功したという。しかも、成功した場所というのが自宅というから仰天だ。
まあ、穴埋め記事にいちいち突っ込むのも大人気ないが。
高校生が手作り原子炉を作成!
 これは原子「炉」じゃなくて、核融合「装置」じゃないか。いってみりゃあ(微弱な)中性子発生装置。「原子炉」ってねぇ…
火の元(核爆発)だけは用心してもらいたい。
 もしかして核融合と核分裂の区別がついてない?
 もしかしてこの記者殿は水爆みたいに爆発すると思ってんのだろうか。

 この記事自体、かなり旧聞に属すること(ググれば一目瞭然だが、去年の9月の話だ)なんで、何をいまさらニュースにしてるのかもわからんが。

 設計図とか見てないので推測だけど、最近流行のIECF(慣性静電閉じこめ核融合「装置」)なんじゃないのかなぁ。こんな規模でできるし。

 マスコミのヒトってみんな、こーゆーレベルで「核施設の安全性がどーたらこーたら」偉そうに論じてるんじゃねぇだろうな(笑)

 Thiago Olson君自体は立派だしスゴいんだから、こんなデタラメな取り上げられ方じゃぁかわいそうだよ。
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by SIGNAL-9 | 2007-05-22 18:05 | 奇妙な論理 | Comments(0)

高所玄関

 赤瀬川定義の「トマソン」の一ジャンルとして、いわゆる『高所ドア』という分類がある。

 どんなものかということはGoogleのイメージ検索でも見ていただくとして。

 これは岩本町で見かけたもの。
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 たぶん、もう使われていない空き家なのだろうが、昔は荷物の搬出入に使われていたのだろう。二階部分がサッシの引き戸になっていた。
 これはいわゆる高所ドアとは呼べないかもしれない。かつてはこういう風に使われたんだろうな、と容易に想像がつくので、別段奇異には感じないからだ。

 で。これこそが高所ドアなんじゃないか?というのがこれ。
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 普通の民家? 確かにこの角度で見ると、フツーに見える。
 が、逆の側面へ回ってみてたまげた。
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 …この家、どうなってるんだ?
 純和風の木造の家が、モルタルの家に合体しちゃってるように見える。
 おまけによ~く見ていただきたい。
 木造の家の玄関が、二階部分にあるのである。

 一瞬、これは玄関のように見えるけど、窓か、荷物の積み降ろし用のドアなんじゃないか?と思ったのだが。
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 ど~みても『玄関』である。
 このサイズだと読めないだろうが、玄関脇に赤い札が張ってあるのがわかると思う。ここには、『押し売りお断り』てな記述があるんである。

 よくありがちな高所ドアだと、元々一軒家だった建物の半分だけ取り壊したために、渡り廊下のドアが高所に残るというケースがある。が、渡り廊下に玄関を設置というのはちょっと考えにくいし、家の中に『押し売りお断り』の札を掲示するわきゃない

 さよう、間違いなく「玄関」なのである。これは。

 横が駐車場になっている。おそらく、この駐車場部分に、かつては何らかの構造物があったのだろう…と思うのだが、どうも「元」の姿が想像できない。

 元々平地だったとしか思えない場所で、周りを掘り下げたという感じではない。
 ぱっと見まるで、元々あった木造の家の下からモルタルの家がにょきにょき生えてきて、木造の家を取り込んで押し上げてしまったみたいにも見える。

よくある二階建てアパートみたいに、登り階段が付いている通路みたいになっていたのだろうか? しかしそうだとしても何故そんな無理のある構造にしたんだろう? 下の建物と上の建物のオーナーが違うとか?


 俺のモズク頭では、ナニをどうすると、こういう形で玄関が空中に浮くハメになるのか想像がつかないんである。
 頭から二・三個?マークを出しながらもしばし佇む俺であった(笑)
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by SIGNAL-9 | 2007-05-21 09:22 | 町歩き | Comments(0)

緑の侵略者2-陸奥宗光別邸-

 以前、この建築物を紹介した。
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 今は私邸であり「生きている」(=生活に使用されている)建物なのであえて触れなかったのだが、実は歴史のある建築物なのである。

 『東京建築回顧録Ⅱ』(読売新聞社、91年)によると、明治20年前後三井家から陸奥宗光(説明の必要は無いと思うが、千年不敗・一子相伝の最強格闘術の使い手…ではなくて明治時代の外務大臣である)に献上された別邸であるとの由。
木造二階建てで、延べ床面積はざっと四百平方メートル。階段の木製手すりの端には、陸奥家の紋であるボタンの彫り物があり、建物が献上用に新築されたことがわかる。
 使われている木材は、アメリカ産の松で、手で触れると、ぐっと重厚さが伝わってくるようだ。かつては約四千平方メートルの敷地があり、陸奥は、この別邸に外国人外交官を招き、よくパーティを開いたという。
 一階には陸奥が使った暖炉を備えた応接間と書斎がある。ともに十畳はゆうにある広さ。二階には二十畳以上の大広間。天井が高く、左右の長さが約五メートル、高さ約二メートルの鏡が壁に掛かっている。ここが外交官の話がはずんだパーティ会場。華やかな様子が目に浮かぶようだ。
 同書によると、陸奥の死後、この家は当時の実業家の手に渡り商売の拠点に変わったのだそうだ。

 記事の取材日は平成元年三月とあるので、掲載されていたこの写真もその時分のものであろう。
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 要するに、往時はプチ鹿鳴館だったわけだ。

 一枚目の写真は冬に撮ったものだ。
 草木萌える季節を向かえ、どうなっているのか見に行ってきた。
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 萌え萌えである。
 二階の窓なんかこのありさまだ。
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 さらに横手に回るともっとスゴイ状態になっている。
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 前掲書には、平成元年時点で「建って102年、補強されてはいるが、木造建築がこれほど長く持ちこたえるのは珍しい」とある。前掲写真を見るかぎり、取材時点ではこれほどツタに侵食されてはいなかったようだ。

 俺は素人なのでわからないのだが、木造の家にこんなにツタが繁茂していて、家は傷まないのだろうか。余計なお世話だが、ちょっと心配ではある。
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by SIGNAL-9 | 2007-05-09 09:27 | 町歩き | Comments(0)

人類月に立つ歴史、信じない人約2割に

人類月に立つ歴史、信じない人約2割に ORICON 05月06日 06時00分
今でもたびたびテレビ特番のネタになるのが「NASAは、実は月には行っていない」というもの。80年代頃にもこの話題が盛り上がったことがあるような気がするが、最近では『都市伝説』というキーワードで再び軽くブームに。ORICON STYLEの調査でも「人類は月に行っていないと思う」人がなんと2割に達したから驚きだ。

 まずは月着陸懐疑派から。「随分昔の話なのに「2回目」が無いから」(40代/男性/愛知県)。確かに。でもいろいろ事情があるのでは? 「月を開発しないで火星を探査してるのも怪しい」(専門・大学生/女性/愛知県)。月に行ってないのに火星探査の計画なんかするだろうか? 「宇宙へ行くこと自体、半信半疑。SF映画のように思う」(40代/女性/大阪府)。SFのように思える計画を、あの時代に実現したのが凄いところなのだが。「ハローバイバイの人が書いた都市伝説という本を読んでしまったので…」(女性/中高校生/東京都)。やっぱりそれか(笑)。嘘だった、と考える方が楽しいということなんだろうか?
  「随分昔の話なのに「2回目」が無いから」「月を開発しないで火星を探査してるのも怪しい」、この論法だと戦艦大和もホントは存在しなかったことにできるな(笑)

 この話、けっこう息が長い。アポロ計画の最中から捏造だ陰謀だという声はあったと記憶している。記事でも触れられているが、77年の『カプリコン・1』はこの捏造論をエンターティメントに昇華させた作品だ。
 日本で再び盛り返してきたのは「これマジ?」が取り上げたフランスのウソメンタリー番組がきっかけなんだろうけど。

 今を去ることン十年前、俺がまだソーサク活動みたいな恥ずかしい行為をよしとする厚顔の美青年(笑)だった頃、この捏造説をベースに『大砲クラブの月世界旅行は捏造だと誹謗する男を、バービケーン始めとする大砲クラブの面々が「んじゃあ実際に証明してやる」と新たに作った砲弾に詰め込んで月に向かって打ち上げてしまう』つーSFを書いて、若干数名にウケたことを思い出して、いささか甘酸っぱい気分になっちゃった(笑)
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by SIGNAL-9 | 2007-05-07 12:31 | 一般の話題 | Comments(0)