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『怪獣記』


 未確認動物UMA大全(並木伸一郎)を書店で見かけて思わず買ってしまった程度には未確認動物・未知生物に興味がある。

 …つーか告白しちゃうと、ジャン・ジャック バルロワの『幻の動物たち』だの、ロイ・マッカルの『幻の恐竜を見た』だの、それらしい本は目に付いたら読んでいる程度には好きなんである(笑)
 まあ、一般平均から見れば好きモノの部類に入るであろう。

 なぜかというと、未確認生物・未知動物ネタは少なくとも、ユーフォーに乗っかってきたウチュー人の拉致監禁生体実験だの心霊写真だの前世がどうのというヨタ話と比較すれば、ある程度ロマンを感じるからである。

 この手のオカルト話で注意しなきゃいかんのは、オカルト高じてカルトと化すという状態である。
 何らかの「主張」だの「道徳」だのが混ざっていたらかなりヤバいと思わなきゃいけない。

 典型的なのがいわゆる「水伝」である。
 「ありがとう」の心が水に通じるのなら、信者の方みんなで社会保険庁前で「ありがとう」の大合唱をすれば年金問題も解決するんじゃなかろうか(笑)

 勿論十把ひとからげで論じるわけにはいかない。
 俺的には、どこぞの湖にプレシオザウルスだのモササウルスだのの生き残りが跳梁跋扈してるとか、原人の生き残りが徘徊してるとか、ましてや遺伝子操作された謎の怪物がヤギの血を啜ってるとか、そりゃあいくらなんでもウソくさいと思う。

 未確認生物関係も、ちょっと頭がアレな感じの主張が混じっていたりするという点では空飛ぶ円盤だの心霊現象だのと似たり寄ったりなのだが、「平均的には他よりマシ」つー感じがしている(笑)。
 オカルト話につきものの、脅迫的言辞が少ないのも好印象の理由のひとつだ。つまり、怪しげな占い師がご高説を垂れるようなバラエティ番組なんかよりは「謎の生物探索」番組の方がまだしも「健康的」なんじゃねぇかと。

 ただ、未確認生物ネタには他のアレゲなものと違って、金がらみの生臭さがより濃く出るような傾向があるように思う。端的に言えば「観光資源」というやつだ。
 ちょっとその手の本を舐めてみると、日本全国に「○○ッシー」が何匹いるんだ、と苦笑せざるを得ない。
 大抵は薄弱な目撃情報しかないのだが、「名物」にして「村おこし」だ、饅頭だ煎餅だ想像図だ銅像だ、まあ、何とも香ばしい。

つちのこ今年も見つからず… 新潟日報2007年6月11日
糸魚川市西飛山の山奥で10日、「つちのこ探検隊」が幻の怪蛇の大捜索を決行した。捕まえたら賞金1億円、県内外から集まった約80人が夢を求めて、道なき道に分け入り奮闘したが今年も夢は雨の中に消えた。
インドの未確認生物、観光客誘致の目玉に Reuters 2007年 06月 10日
[ニューデリー 9日 ロイター] インドのメガラヤ州では、北米の「ビッグフット」やネパールの「イエティ」のような未確認生物を観光客誘致の目玉にしようとの計画が持ち上がっている。
 同州の深い森の中には、全身が毛で覆われたサルのような未確認生物が生息していると信じられている。
 現地の旅行関係者はヒンドゥスタン・タイムズ紙に対し、この未確認生物の目撃情報や大きな足跡などの証拠を、1997年から記録し続けていると語った。
 現地では、800平方キロに及ぶ広大な生物圏保護区を生かし、滝や洞穴などをめぐる「未確認生物追跡ツアー」を計画している。

 ところで。

 何年か前に、トルコのワン湖(ヴァン湖)に生息するという怪獣ジャノ(ジャナ)のVTRと称するものがメディアに取り上げられたことがあった。静かな湖面を巨大な茶色い動物のような何者かがプカ~と漂っていくアレだ。テレビでも何度も取り上げられたので、ご存知の方も多かろう。

 その後どうなったのか寡聞にして知らなかったのだが、元早大探検部の作家、高野秀行『怪獣記』という本が出た(そういや俺、『幻獣ムベンベを追え 』も初版でもってるよ^^;)。

 同書によれば、現地調査では、このVTR映像はヤラセ(作り物)である可能性が極めて高いとのこと。
 な~んだ…と思ったのだが、取材中の著者自身が正体不明の<何か>に遭遇してしまったというところがおもしろい。

 演出過剰でインチキくさいテレビ局の<現地緊急取材>番組と違い、お日様のにおいが感じられるような気持ちのいい本である。
 暗黒面に堕ちていない未知生物ファンにはオススメ。
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by SIGNAL-9 | 2007-07-25 11:45 | 読んだり見たり | Comments(0)

時をかける少女

 アニメ版「時をかける少女」、数日前に地上波でやっていた。

 劇場でも観たし、DVDも持っているのだが、なんとなく観てしまった。そういや、ジプリのラピュタと魔女宅も、日テレで何回やってもなんとなく観てしまう。テレビっ子世代だからなのか(笑)。

 ところで、「時かけ」といえば、俺的にはやっぱりこれ。
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 書棚の奥底から引っ張りだしてきた、鶴書房盛光社のソフトカバー版である。この筒井康隆の原作は今でも文庫で手に入るが、一緒に引っ張り出してきたこの本はちょっと珍しいかもしれない。
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 石川透版の『続・時をかける少女』である。
 この本はどういうものか、前書きを筒井康隆自身が書いているので引用しておく。
 この「続・時をかける少女」は以前私が書いた「時をかける少女」の続編です。テレビ・ドラマになった「続・タイム・トラベラー」の原作といった方がわかりやすいかも知れません。なまけものの私にかわって、テレビ・ドラマ「タイム・トラベラー」「続・タイム・トラベラー」の脚本を書いてくださっていた石山透先生が、大変面白い物語にしてくださいました。「時をかける少女」に比べると、ずっとSF的でストーリーも複雑になり、小学校高学年から高校生までが文句なしに楽しめるジュニア小説になっています。
 もし私が書いていたとしたら、この本がでるのは一年も二年も先になっていたことでしょう。このページをかりて、石川先生へお礼を申し上げます。
 今で言うメディアミックスのさきがけみたいなもので、NHK少年ドラマシリーズで火が着いたわけだ。
 またテレビ放送中は、少年少女のみなさんから、励ましや質問のおたよりをたくさんいただきました。本当にありがとう。あまりたくさんいただいたので、びっくりして、とうとう御返事は一枚も書けませんでした。まったく申しわけないことをしたと思っています。でも、いろいろな質問の答はこの本の中にくわしく出ているはずです。
 この本を読まれたみなさん方が、ますますSF好きになってくださることを祈ります。

 昭和四十七年十二月十二日
 さよう、このNHK少年ドラマシリーズの『タイム・トラベラー』は人気があった。

 「主演の木下清クンの住所を教えて!」と問い合わせの手紙がきた、と筒井康隆がどこかでボヤいていたが(ソースは失念)、主演の島田淳子(柳ジョージの奥さんだな)と木下清のコンビは実に人気があった。
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 この『続・時をかける少女』のあとがき、『テレビ「タイム・トラベラー」のこと』をNHK青少年部ディレクター 佐藤和哉が書いている。
 私が筒井康隆さんの原作「時をかける少女」をテレビ化するという企画に出会ったのは、46年の夏の終わりでした。SFらしくない日常的なドラマの設定と、巧妙なサスペンスの構成をもったこの原作は、だれにでも親しみやすく、テレビ向けであると思いました。
 テレビ化の許可をいただくために、当時渋谷の放送センターの近くに住んでおられた筒井さんのお宅に、ある夕方伺いますと、起きたばかりらしくまだ眠そうな様子の筒井さんは、「時をかける少女」には是非可愛い少女を配役してほしいということを強調していました。
 ちなみに筒井版の『時をかける少女』では、芳山和子の容姿の描写は皆無である。俺の持っている鶴書房盛光社版の谷俊彦による秀麗な挿絵では、もちろん美少女として描かれているが、筒井自身が書いているのは登場人物に語らせる「やさしくてかわいいけど、少し母性愛過多」といった人物評程度である。

 芳山和子は筒井康隆の希望通り、島田淳子、原田知世、南野陽子、内田有紀 ・・・・・といった当代の美少女が演じてきた。

 で、アニメ版なのだが。

 ストーリ・ラインは、ほぼ原作どおりである。
 であるがゆえに、すっごく違和感を感じるキャラクタがいる。他でもない「芳山和子」である。今回、彼女は主人公のおばさんという役どころだ。

 アニメ版において暗示されているように、過去に未来人と接触していてタイムリープを経験し、その体験が人生に色濃く反映している人間が、自分の姪っ子に同じことが起きたとして、あのように超然としていられるだろうか?
 ケン・ソゴルとの関係を知りたいとか、いっそ姪っ子にタイムリープで30年前に戻ってもらって…とか考えないのか?

 今回のアニメでの芳山和子の役割は原作で言うと”福島先生”の役回りにあたる。いわゆる「解説役」、怪獣映画で言えば「博士」の役割だ。

 逆に言うとそれ以上の役割を果たしていないのである。結果、このキャラクタがなんで「芳山和子」でなきゃいけないのかの明確な理由が無い。
 原作どおり福島先生のままでも話は成立するし、原作を知らない人間にとってはこのおばさんは意味不明の謎の人物以外の何者でもなかろう。

 ファンへのウィンクのつもりなのだろうが、こういうのを楽屋落ちというのではあるまいか。

 原作至上主義的バイアスがかかりまくりであることを自覚した上で、もう少しケナしておくと(笑)、原作では例えば火事とか暴走トラックという突発的で不可避な状況がタイムリープのきっかけになるというシーンがあるのだが、アニメ版でそれに相当するのは自転車のブレーキが故障して踏み切りに突っ込むというシチュエーションである。

 どうにも説得力が無い状況ではないか。チャリンコなら足でブレーキはかかるだろうし、いざとなりゃあ転べばいいだろうに。どんなドジっ子だよ(笑)

 タイムリープの回数制限というアイディアはよい。
 だが、原作版での「ラベンダーのかおり」というギミックの効果が犠牲になっていないだろうか。
 筒井版の冒頭;
 和子は、やっと思いだして手をうった。
 「そう!あれはラベンダーのにおいよ!」
 「ラベンダー?」
 「そうです。わたし、小学生のときだったかしら? いちど母にラベンダーのにおいのする香水をかがしてもらったことがあるんです。そう、たしかに、あれと同じにおいだったわ!」
 和子はそういってから、また首をかしげた。-それだけではない…。ラベンダーのにおいには、何か、もっとほかに思い出がある…。もっとだいじな思い出が…。
 だが、和子には思い出せなかった。
 この未来の追憶という要素は、「時かけ」から切り落とすのは非常に惜しいと思うのだ。

 また原作では、記憶が消去されざるを得ないというルールが淡いながらも悲恋を生み、そこがロマンティックだったわけだが、アニメ版ではそこもすっぱり切り捨てている。

 …とまあ、このアニメ版は原作寄りであるが故に、そこんとこどーなのよ?という思いも感じるんである。

 相対評価として、出来のいいアニメであることは認める。実際、ここ数年のアニメでは、『大きなお友達』ではなくオトナの鑑賞に耐える数少ない作品のひとつだと思う。

 だからこそ、手放しで絶賛するのは、ちょっともったいない気もするのである。

 記憶消去ルールだけでも生かしておけば、少年ドラマシリーズ同様、続編が作れたかもしれないのに(笑)
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by SIGNAL-9 | 2007-07-24 10:46 | 読んだり見たり | Comments(2)

『名探偵コナン』:恐るべき偶然

 先だってテレビアニメの『名探偵コナン』を見ていたのだが、恐るべき偶然に遭遇した。

 第477話『元太の必殺シュート(後編)』という回だったのだが、襲われた被害者がドイツ人で、犯人にばれないように犯人が着ているサッカーユニフォームの背番号11をドイツ語の elf で示す…というのが謎解きのキモだった。

 あれ。俺、この話知ってるぞ?

 おかしいなぁ。どこで読んだんだろう?
 俺はこのマンガ、ごくたまにテレビでやっている映画版を眺めたことがあるくらいで、愛読者ではない。今回もたまたま点けていたテレビでやっていたものを眺めていただけだった。
 だのに、この話、どこかで見たか聞いたかした記憶があったんである。

 本棚を漁って、このデジャ・ビュの原因を見つけた。

エドワード・D・ホック『サム・ホーソーンの事件簿1』(創元推理文庫)所載、「乗務員車の謎」(177ページ)
「オブライアンがさっき切符を数えるのを見たとき、ぴんときたんだ。数だ! 強盗の共犯者だから、きみは本名では旅行しなかった。シュミットはきみが使っている名前を知らなかった。だから、普通の方法-名前ではきみの正体を伝えられなかった。しかし、その代わりにいいことを考えた。きみの寝台の番号を書き殴ったんだ-”エルフ”はドイツ語の11だ。アラビア数字で11と書いたのでは、単に血の筋だと誤解される恐れがあるので、言葉そのものを書いたんだ。”エルフ”とは十一番を意味する。十一番寝台。つまり、きみの寝台だ」
 被害者の謎の(ダイイング)メッセージ elf はドイツ語で11を示す…まったく同じプロットといっても過言ではない。

 すっごい偶然ではないか。人間というのは同じようなことを考えるものなのだなぁ。名手ホックと同じアイディア-説得力はホックの方がだいぶん上のような気もするが-をひねり出すというのは、さすが青山剛昌、たいしたものだ。

 いや、もしかしたらホックの翻案なのかな? 見た覚えは無いけど、どこかに「エドワード・D・ホックの原作による」みたいな文言があったのかな? それにしちゃあ全然違うお話だけど。

 あ、推理小説好きのコナン君、当然ホックは読んでいたんで判ったって設定なんだな。多分。
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by SIGNAL-9 | 2007-07-10 12:16 | 読んだり見たり | Comments(0)

差異の無い相違は相違ではない2

 年度末で忙しいのはどこの仕事でも共通だと思うがおちおちインターネットもしてられない。Blogの更新も滞る。

 そうはいっても週末くらい、のんべんだらりと過ごす時間も必要なのでテレビのザッピングをしていたら、ちょうど番組改変期なので、何本かのアニメの最終回に遭遇した。

 で、ふと思ったのだが。
  • 今の世界と別の世界があって
  • そこでは魔法みたいなものがフツーに扱えて
  • 異世界側からなにやら個人の心情的な理由で突然侵攻が起こり(何故か大抵魔法世界側からの一方通行。フツー戦争つーのは両者間での相互作用で発生すると思うんだが)
  • 両方の世界の友情とか愛の力で侵攻が停止される
みたいな話が目に付いた。具体的に言っちゃうと;
  • デジモンセイバーズ
  • おとぎ銃士 赤ずきん
  • メルヘブン
あたりは、結局この「並行する魔法(的)世界」で世界の関係が語られている。つーか、マジメな視聴者でない俺は、どれがどれやら、まざっちゃってわけがわからなくなるほど似ている。

 そのこと自体クサする気はない。
 浦島太郎などのおとぎ話の昔から、この手の世界観は繰り返し使われてきたわけだ。「いわゆるマンガ」の原初の姿のひとつである『冒険ダン吉』だってこのフォーマットである(ダン吉君は小船の上で居眠りをしていて漂流。南の島に流れ着く)。

 王道といやぁそうなのだろうし、この手のアニメはそれぞれ想定している視聴者層も違うだろうからいいのかもしれないが、こう同じものが並ぶと、なんとなく芸が無いなぁ…と思われてならない。
 王道に依るのは結構だが、同じ時期にこれだけ固まって同工異曲の世界観が語られるというのはど~よ?

 最近とみに「この手の設定」のアニメやマンガが増えてるような気がするんである。別にマジメに調べてみたわけじゃないので単なる気のせいかもしれないが、『ゼロの使い魔』もコレだったし、『妖奇士』も似てるといえば似てるわな。

 もうひとつ似ているところに気がついた。

 最近のお話、異世界と関係した主人公が何故か急に異能力(魔法)が使えるつー設定が多くはあるまいか。ほれ、「覚醒」とかいうアレだ。いわゆるイヤボーンというやつだな。

 例えば『メルヘブン』はフツーの少年だったはずが実は強力な魔法が使えるという話。『赤ずきん』も実は母親が魔法世界の住人で、やっぱり秘められた魔法の力が使える少年が登場。
 『牙』も『デジモン』も『ゼロの使い魔』も同じ。

 『冒険ダン吉』のような昔風の主人公は知恵と勇気と若干の技術知識を持っているだけで特に極端な異能力を持っているわけではない。
 もっと言ってしまうと、特別な出自「血」に起因するようなデフォルト能力を有しているわけではない。

視聴者・読者とたいして変わらないフツーの人間が、特殊な環境の中で生きていくつーところにお話としての面白みがあるわけだ。

 そりゃあ魔法世界みたいな極端な環境でお話を転がしていくには仕方ないつーことなのかもしれないが、もう少し工夫はできないものかねぇ。
 個人的には「魔法に魔法以外で対抗するような主人公」も面白みがあるんじゃないかと思うんだが。

 しっかし、こうも同じような設定のモノがいくつも並んで、観ているコドモは飽きないのかねぇ?
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by SIGNAL-9 | 2007-03-27 16:17 | 読んだり見たり | Comments(0)

『ケータイ小説』という新ジャンルがあるそうである。

 このケータイ小説のひとつである『Deep Love』(Yoshi著)のamazonのレビューがエラいことになっていたので、あわてて本屋に出かけていって立ち読みしてみた。

 …唐突だが、コンビニで売ってる『煎餅』と称するものはなんであんなにマズいのか。
 生地がまるで麩菓子みたいにパサパサで、風味も何も無い、ただ甘っ辛いだけのタレがベタベタと付着している、まるで魚のエサみたいなシロモノが多い。

 まあ、その分安いし、手軽に手に入るのだから文句も言えない。
 素材がどーこー講釈垂れながら、たかがウンコの元に何万円も払うような馬鹿ではない。食い物にウマいだのマズいだの言う内は人間として小物である。

 確かにそうなのだが、恐るべきはどう考えても「水準以下」のものを「普通」と思って喰ってる若い衆が現実に存在することだ。

 「ホントはもっと美味いんだけど、これは安くて何時でも手軽に喰えるからしかたがないよな」、だったらいいのである。何も「創業元和元年厳選した日本米と秘伝のタレで職人が一枚一枚焼き上げた逸品」みたいな話をしているのではない。普通の煎餅屋で普通の値段で購入できる普通の煎餅の話をしているのである。

 「普通のレベル」を知らないで、テメエの喰ってるものが「普通」もしくは「すばらしく美味い」としか思えないのは確実に不幸だ。
 つまり本来の平均値が自分の思ってるトコよりずっと高いのに、その事実に気づく事ができないというのは、かなり「損」ということなんである。

 ほんのちょっとコストを余分に負担すれば、はるかにウマい煎餅が喰えるのに。
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by SIGNAL-9 | 2007-03-05 17:03 | 読んだり見たり | Comments(0)

年末年始の在宅映画劇場

ショコラ
普段この手は見ないのだが、東京MXでたまたまやっていたので鑑賞。

 上のamazonのレビューを見ると、「心温まるファンタジー」みたいな見方が「正しい」のかもしれんが、これって裏を返せばホラー映画だよな。

公式の解釈
「因習に凝り固まるフランスの小さな村に、不思議な雰囲気を漂わせる女性ヴィアンヌとその幼い娘が現れ、チョコレートの店を開いた。その美味しさに、禁欲を強いられている村人たちは驚き、戸惑いつつも少しずつ心を開いていくのだが…。名匠ラッセ・ハルストレム監督が贈るファンタジックなヒューマンドラマ」

ホラーな解釈
「伝統を守って静かな暮らしを営んでいたフランスの小さな村に、流れ者の女とその娘がチョコレートの店を開いた。村人たちは怪しげな製法で作られたチョコレートの虜となり、徐々に女に精神的に取り込まれてしまい、最後の牙城だった村長までが洗脳されてしまう」

 要するに、ハリー・クレッシングの「料理人」とか、キングの「ニードフル・シングス」と同じフォーマットだ。プロットだけ抜き出してみると、いわゆる悪魔の誘惑モノとしても成立するんである。異物の侵入によって安定的な環境が変化する、という黄金のフォーマットはあらゆるパターンで語ることができるんだなぁ、と改めて思った。

 ホラーと言えば、「恐怖の精神病院」「吸血鬼ボボラカ」、さらには「レオパルドマン 豹男」「私はゾンビと歩いた!」がDVD化されてたのでさっそく購入。

40年代RKOクラシックホラーシリーズなのだが、「キャット・ピープルの呪い」と「死体を売る男」は既に見ていたので購入は次の機会に。

 雰囲気で見せるタイプの映画。ユニバーサル流の特殊メイクやら気ぐるみやらは一切出てこない。いわゆる「怪奇映画」ってやつだな。後年もっと洗練されたロバート・ワイズの「たたり」みたいな映画が登場するが、その先鞭といったところか。「レオパルドマン 豹男」「「私はゾンビと歩いた!」はまるっきり初見だったが、ジャック・ターナー(トゥールヌール)つー監督はこの「雰囲気」だけで恐怖を演出するのが実に巧み。「キャット・ピ-プル」でもおなじみの暗い路地・見えない影におびえるヒロイン…、この「おびえ」という奴はショック演出よりも遥かに難しいわけで、やっぱターナー、上手いなぁ。モンスターがももんがぁ、と登場すりゃあ良しと思ってるような三流クリエイターは100回見たほうがいいと思うぞ(笑)

 ついでに、「スーパーマン・リターンズ」「TRICK劇場版2」も。

 「スーパーマン・リターンズ」は「スーパーマン1・2」の正当な続編としてOK。「3,4はなかったことに」というのは激しく同意(笑)。
 ただ主演のブライアン・シンガーがクリストファー・リーヴより線が細そうに見えるのと、ロイス・レーン役の女優がなぁ。リーヴはかなりトレーニングしてムキムキにしたそうだし、シンガー君には「スーパーマンの呪い」に負けずに続編ではさらに頑張ってほしいものだ。
 しかしジョン・ウィリアムズの音楽って改めてスッゲーよなぁ。

 「TRICK」は例によって例の如し(笑)。これで最後といわずに、俺的には上田教授の活躍がもっと見たいのだが。
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by SIGNAL-9 | 2007-01-09 12:56 | 読んだり見たり | Comments(0)

あの映画はなんだったのか?

 東京12チャンネルなどで、アンニュイな午後のひと時穴埋め的に流されているのを何となく一回だけ見ただけなのに、妙に覚えている映画がいくつかある。

 心に残る名作とかそーゆーものではない。かといって余りの酷さにトラウマ、みたいなインパクトがあったわけでもなく、どう美化してみてもフツーかそれ以下の映画なんだが、ふとした瞬間に「はて、そもそもあの映画はなんだったのであろうか?」と思い出してしまうような、そんな映画だ。

 この間も、『ヘルハウス』をDVDで見ていたときに「あれ、そういや、ロディ・マクドウォールが出てた妙なB級映画見たことあるよなあ。NETだったかな? なんか石像が出てきて…」と頭を過ぎってしまうと、もう気になってたまらない。

 まったくいい時代になったもので、ちょっとググってみるとたちまち判明。
 なるほど、「魔像ゴーレム 呪いの影」つーのか。こちらでは、詳しいレビューをしてくれている方もいる

 スーザン・ストラスバーグの「恐怖」を見ていて、「あ、そういや、奥さんが行方不明になって、全然見知らぬ女が『あたしが妻よ』って押しかけてくるって、やたらおもしろいのをみたなぁ。ありゃTVムービーだったのかな?」

 これはさすがにちょっと調べるのに骨が折れたが、「消えた花嫁」と確定。おお、刑事コロンボのリチャード・レビンソンとウィリアム・リンクの脚本だったんだ。こちらの方のレビューなどを読むと、繰り返し映像化されている有名舞台劇が原作だったのだな。うううううん。どうりで。

 「岡田斗司夫の大統領のヘルメット」現象という奴もあるそうだが、それどころか、どう考えても他の作品と混ざってるような記憶違いもあり、テメエのモズク頭には我ながら笑っちゃうこともある。

 「不死身のコプラン」つー映画を昔々テレビで見た記憶があり、題名は覚えていたのだが、俺は何となく中世風のヒーローもののような記憶があったのだ。調べてみたら全然違うイタリア製のスパイ映画ではないか。俺の記憶ってどうなってるのか(笑) いったいどういう脳内麻薬の化学合成でイタリア製スパイ映画が中世モノと勘違いできるのだ。

 このザマなので、検索しようにも手がかりが少なすぎて、いかんともなし難いモノもある。いや、そもそもそんな映画を本当に見たのかどうかすら怪しいものだ(笑)

 例えばガキの頃にテレビで見た記憶がある「化け猫映画」なのだが、これがナンともわからない。

 俺の家のテレビが白黒だったためか、それとも映画自体が白黒だったのか判然としないが、たぶん白黒映画。 覚えているのは、真昼間、お城の天守閣みたいなトコロで、ザンバラ髪の化け猫を、山伏みたいな男が法力で屋根の上に追い詰めるようなアクションシーンがあったこと。

 子供心にやたら怖くて眠れなくなった記憶があり、棺桶に片足突っ込む齢になった昨今、できればもう一回見てみたいと思い、数年前から探しているのだ。

 邦画の化け猫映画というのは一時ブームにもなったので数は限られているものの、そこそこ本数はある。おまけに化け猫映画つーのは、基本的にどれも同じような話なんで困っちゃうわけだ。

 特に有名な大映のシリーズはDVDでも出ているので、暇を見つけてハジから見てみたのだが、どれも違う。うーん。大映ではなさそうだな。とすると、新東宝あたりか?
 「亡霊怪猫屋敷」は化け猫のデザインが記憶にあるものと近いのだが、どうみても新しすぎる(笑)

 調査の結果、消去法で行くと今のところ最有力候補は、菊地秀行が褒めていた東映の「怪猫からくり天井」なんだが、ビデオ未発売だしなぁ。

 何しろ手がかりが「お城の天守閣でのアクションシーン」しかないので困ったものである。
 しかも、「如何なる方策を講じてでも、ど~しても見てみたい!」つーほどでもないので、これ以上努力する気も起きないわけで(笑)

 もっとも、ガキの頃に見た映画を再見してガッカリ、というのは、俺にとってよくある話なので、思い出はそのままにしておいた方がいいのかもなぁ。
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by SIGNAL-9 | 2006-12-25 15:57 | 読んだり見たり | Comments(0)

なんでわざわざ深夜なの

 日本テレビでは11月28日の深夜2:15から「東京ゴッドファーザーズ」を放送していた。

 まあ、同じ今敏監督の新作「パプリカ」の宣伝のためなのだろうが、なんでわざわざこのワクで?という気がする。

 「東京ゴッドファーザーズ」は良作である。アカデミー賞候補は伊達ではない。
 しかも万人受けする良作である。大きなお友達専用アニメというわけではない。老人からコドモまで楽しめる作品だと思う-今監督のほかの作品に比べれば(笑)

 さらにおまけに、珍しや「オカマの星一徹」まで堪能できる(笑)。

 プライムタイムに持ってきても受け入れられたのではあるまいか。
 他局なら知らず、「TRICK」で揶揄されたほど繰り返し繰り返しジプリアニメを放送している日テレだ。

 「○の墓」だの「ものの○姫」だの、さして面白くも無いアニメを流してるくらいなら、というと炎上しそうだが(爆)、何を見ても同じ2時間サスペンスとか、毒にも薬にもならないバラエティ番組よりは、よっぽど訴求力があるような気がするのだが。

 今からでも遅くないのでクリスマスの夜に21:00から再放送するべきではないか。
てゆーか、しろ(笑)
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by SIGNAL-9 | 2006-11-29 16:41 | 読んだり見たり | Comments(0)

怪盗ジゴマと活動写真の時代

 怪盗ジゴマと活動写真の時代 (新書) 永嶺重敏 新潮新書読了。

 労作である。

 おまけにありがたいことに持ち運び便利で安価な新書である。
 こういう本が新書で出てくれると、俺みたいな暇無し貧乏人には移動時間が有効に使えてありがたい。

 ジゴマ「事件」を専門に、俯瞰的に扱った書籍は俺の知る限りほとんどないので、実に興味深く読めた-いささか物足りないくらいだ。矛盾した言い分だが、資料面を増やした改訂増補か続刊でも出してくれるとうれしいのだが。

 という希望が無理無理なのはわかってる(笑)

 例えば、岩波同時代ライブラリーの「みそのコレクション 活弁時代」(御園京平)なんか、トーキー以前の映画産業に興味のある向きにはお勧めなのだが、残念ながら絶版みたいだ。

 今思いついてamazon見てみたら、「キリング・フォー・カルチャー―殺しの映像」とかプロウァーの「カリガリ博士の子どもたち」とか、俺のお気に入りの映画本はみんな絶版じゃないか(笑)

 この手の本は刷数が少なかったり、再版率も低かったり。
 需要があまりないのだろうなぁ。まあ、買うような奴は決まってるもんなぁ。書店で何気に買ってみるつージャンルじゃないし。

 俺も書店で見かけて気になったときには、できるだけ、柳下毅一郎いわくの「義務として保護」を心がけているのだが。

 「げんしけん」の斑目バリに「値段はみない」「迷う前に買え」「買ってから考える」が徹底できりゃあ理想だが、おサイフの問題もあるし、置き場所の問題もあるしで中々ねぇ。

 絶版本の電子情報としての販売・提供が、もっと進んでくれるといいのに。

 書籍用スキャナの類はぼつぼつあるのだが、ページをばらさなきゃならなかったり、自動にせよ手動にせよページを繰らなきゃならなかったりで効率の悪いこと夥しい。
 これだけカガクが進んでるんだから、本なんか閉じたままで全スキャンして、1冊数秒くらいでガンガン電子化するくらいの仕掛けはできんのかなぁ。蛍光X線分析器みたいなもんで、本を細かく輪切りにして、インクの付着量などから総合的に判断してページを割り出して…みたいな。無理だな(笑)


 いっしょに北島明弘の世界SF映画全史も購入。こちらは電話帳バリの大部の本なので、さすがに持ち歩いて読むというわけにはいかない。じっくり読むことにするが、いつまでかかるやら(笑)
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by SIGNAL-9 | 2006-11-29 15:00 | 読んだり見たり | Comments(0)

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society

 DVDで。

 1万オーバーというと、ちょっと購入を躊躇われるものがあるが、薄雲の立ち込めてきた日本アニメ勃興の為の寄付だと思えば腹も立たない(笑)

 などと失礼な事を考えつつ購入したのだが。
 結論的には、良質の作品である。

 1万ちょっと、損したとは思わない。再見に耐える作品なので、数回で元を取れる勘定だしな(笑)

 映像・音楽ともクオリティは高く、劇場用としても十分に通用するはずだ。特に3Dアニメ部分と2D部分のフィット感には感心した。ありがちな3Dの<浮いた>感じが無い-少なくとも気にならない。
 技術はもちろんだが、演出の上手さと言えるだろう。

 欲を言えば、「事件の真相」が、原作版-押井版に通底する、ある登場人物のキャラクタ観の変奏曲(着地点が同じ)という点は、もうちょっと独自性を出してくれても良かったかな。特にマンガ版の「攻殻2」を読んでると早々と推測がついてしまう(俺はそうだった)。
 SAC世界ではアソコまでいかなくても、もうちょっと手前の落とし所の方がよかったような気がしなくも無い(勝手なイイグサ)。

 良かれ悪しかれ「攻殻」なので、例によってバックググラウンドの説明を衒学的台詞回しに頼り勝ち(これは押井版にも共通するが。考えてみりゃあ原作自体もそうか)なキライはあるが、情動やポコチンではなく脳みそで見るアニメというのもたまにはいいものだ。

 ただ、商売として考えた場合、「万人向けか」「一般ウケするか」というと…こりゃあ無理だろう、と。
 フツーのヒトには、「ワケワカンナイ小難しいアニメ」にしか見えんだろうと。その意味では劇場公開ではなくPPV→高額DVDというのも止むを得ないか、とも思う。

 一ファンとしてはシリーズの次に繋がるような収益があがることを望むが、マスなマーケット向けではないのでかなり難しいのではないか(あ、でも「攻殻」だったら海外マーケットもあるか…)。
 つーことで、応援の意味も含めてここにつらつら感想を書いてるわけなのだが(笑)

 アニメの収益と言えば、こんな記事が。

 GDH:DVD売り上げ不振で3月期は赤字に
アニメビジネスのGDH(東京都新宿区、石川真一郎社長)は21日、決算説明会を開いた。07年3月期の連結業績予想を下方修正し、通期の経常損益は当初予想の6億200万円の黒字から16億円の赤字に転落。最終損益も3億4500万円の黒字から16億円の赤字となる見込み。この責任を取り、村濱章司会長が11月1日付で取締役に降格した。

 同社はテレビアニメ「N・H・Kにようこそ!」などを制作したが、無料動画サイト「ユーチューブ」やファイル交換ソフト「ウィニー」などの影響でDVDの売り上げが不振となったことや、6月に公開された劇場版アニメ「ブレイブストーリー」や海外の子ども向けアニメなど新規事業が予算を達成できなかったこと、出資している投資ファンドの決算を計上したことが赤字の要因と説明している。
YouTubeでバラまかれても売れてる作品もあるのは事実なので、この分析には一概に頷けない。この会社の他の作品はよく知らないが(マジメに見てるのは「パンプキン・シザーズ」くらい)、少なくとも「ブレイブストーリー」はさして見るべき所もない作品だったので、あれだけ製作(豪華声優陣)と広宣に金かけたら回収は大変だろうと思うけど(笑)

 この認識だと「YouTubeやnyが存在する限り赤字です」と言ってる様にも聞こえる。それはそれで問題発言なんじゃないのかねぇ。「タダ見」がDVDの売り上げに響くというのなら、さしてカネにはなりそうもないUHF局での放送をしてるのは何故?という気もするし。

 少なくともこの認識を認めると、動画サイトやP2Pを全部潰すという方法が些か非現実的に思える以上、収益性の大きな部分をDVDに依存しているというビジネスモデル自体見直す必要があるように思えるのだが。

 一般論を振りかざす気は無いけど、まずDVDを買いたくなるような良質な作品ありき、という基本は忘れないで欲しいものだ。

 世の中には作品名だけで中身も確かめずにマンガ映画に1万以上払う馬鹿も存在してるわけだし(笑)
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by SIGNAL-9 | 2006-11-27 16:40 | 読んだり見たり | Comments(0)