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【近デジ漁り】 「秘伝」

 適当なキーワードで近デジ検索してみて目に付いたモノを読んでみる、という使い方は俺みたいな乱読タイプの人間にはよくあるはず(勝手な思い込み)。
 で、「秘伝」というキーワードを使うと、けっこう面白げな本が見つかるよ、という話である。


『萬呪秘法』(己羊社 大正9)。

 「よろず まじない ひほう」と読む。「呪」の一文字がオドロオドロしいが、これは「のろい」ではなく「まじない」、要するに「おまじない」の本である。

 例えばこんな感じ。

 ■家運隆盛となるまじない

  十二月中に豚の耳を切り取って、家の梁の上に懸けておく。

 ■出世のまじない

  八月の月見に供えた月見団子を盗んで食べれば出世する。

 「豚の耳を切り取るとか無理だし」「盗んで食べればって、出世どころか窃盗罪で人世棒に振ることになるんじゃね」などの冷静なツッコミは止しておくべきなのだろう(笑)。

 こんなのだけだと「おばあちゃんの知恵袋(迷信)」みたいだが、いわゆる呪符(おふだ)を使うものも結構載っているのがもっともらしい。

 ■金持ちになるまじない

  下のような符を作って、常に首に掛けておけば金持ちになる。

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こういうイミフだが怪しい香りのするガジェット何となく御利益のありそうな気になるではないか(笑)。

 俺はこの種のモノにはトント疎いので、これらの呪符に何が書いてあるのか・どういう意味があるのか、さっぱり分からないが、「急急如律令」(きゅうきゅう‐にょりつりょう)というのは、元々は漢の時代の公文書の末尾に記した定型文で「上記趣旨理解の上、取り急ぎ律法の如く実施すること」的な意味だったものが、道教や陰陽道に取り入れられて、悪鬼退散的な意味でまじないの言葉に使われるようになったもの、と記憶している。

 見る人が見れば、こういうわけのわからない呪符でも「あ、これは真言密教の影響」とか、いろいろ興味深い解釈は出来るのだろうな。

 ■女の嫉妬を止めるまじない

  1.ウグイスを煮て喰わせるべし

  2.その婦人の月経の付いた布にヒキガエルを包んで
、便所の前30センチほどのところを掘って、地中15センチくらいに埋める。

 喰わせちゃいますか、ウグイス煮。

 「鶯煮」って漢字で書くとちょっと旨そうにみえるから不思議だ。
 味付けはどうするんだろう、やっぱり味噌煮かなぁ。

 ウグイスはまあ、ペットショップなどで購入できないことはなかろうが(よく知らない)、その煮たのをどうやって女に喰わせるか、という方が嫉妬を止めさせるより難しいのでは無かろうか。

 ヒキガエルの方がミッション的には多少難易度が低いかなぁ。
 「お前の経血の付いた布をよこせ」とかいったら、ドン引きされて、結果的に嫉妬どころぢゃなくなりそうだし。

 とまあこんな感じで、福徳・恋愛・健康から災難よけ、害獣避け、虫除け、退魔法から安産まで、ムリョ250項目オーバーのおまじないが記載されているが、なんだかどれも手順がスッゲー面倒くさいか、手順が簡単なものはあまり効きそうにない(笑)


 もうちょい簡単で効きそうな秘術はないのかしらん、と探してみて発見したのが、『発明奇術 廿一法秘伝書』(信本峻峰 明治23)。

 本書に挙げる奇術廿一法は信本峻峰先生が自己他人の発明、あるいは家伝の数百秘法を実地に経験せられ、その中もっともなり

 だそうで、いわゆる「おまじない」ではなく、怪しげな漢方秘薬生成法みたいなのが並んでいる。

 ■酒を嫌いになる妙法

  白ゴマと黒ゴマを煎って、細かく挽き、熱湯で溶かして毎日二回呑む

 ■肥満解消

  山椒を毎日10粒程度服用するといい具合にやせる

 と、この辺りなら、目指す効果があるかどうかは別として、まあまあ健康には悪く無さそうであるが、

 ■毛はえ薬

  芫青丁幾、肉荳蒄油、刺賢垤兒油、と芳香水を混ぜて、刷毛で一日三回塗る。

 ■記憶力を増進する薬

  塩酸規尼涅、還元鉄、康桂皮末、橙皮末、甘草末を蒲公英エキスで溶いて丸薬にして服用。子供と赤ん坊は量を減らして服用させること。

 この辺りになると、もはや素人がほいほい作って試していいようなシロモノとも思えない。

 ググってみると、「肉荳蒄油」というのはナツメグ油、「刺賢垤兒油」はラベンダーオイルらしいのでまあ危険は無かろうが、「芫青丁幾」つーのは、昆虫のアオハンミョウのことみたいだ。
 アオハンミョウから取れる「カンタリス」(カンタリジン)というのは昔は媚薬に使われてたことぐらい知ってたが、Wikipediaによれば「皮膚につくと痛みを感じ、水疱を生じる」というくらい強い副作用があるそうで、量を間違えて禿頭に塗ったらエラい事になりそうな。

 「記憶力増進」の方も、俺みたいな脳みそが毎日耳からこぼれ落ちてるんじゃないかと思うほど物覚えの悪い奴には魅力を感じる話だが、塩酸規尼涅=塩酸キニーネなんてマラリヤみたいな熱病の時に使う鎮痛解熱薬だ

 原著にはちゃんと量が明示してあるが単位がみんな古いから、試してみようと思う炎のチャレンジャーは、よくよく調べてからにしたほうがいいぞ(笑)。

 ■梅毒必治法

  ヨードカリを水で溶いて日に三回に分けて服用すれば必ず治る

 確かにヨウ化カリウムは「第三期梅毒のゴム腫の吸収を促進します」、と現代でも使われているようなので、症状を抑える上ではまるっきり間違いではなさそうだが、梅毒自体を「必治」するものぢゃないだろう常考。

 …というようなツッコミは、書かれた時代を考慮しないといけないよな。

 現代において梅毒治療で使われる抗生物質(ペニシリン)が発見されたのが、昭和3年(1928年)。この本が書かれた明治23年(1890年)は、40年近く前だ。
 その時代で書かれたモノにしては、「秘伝書」を名乗ってもいいんじゃなかろうかという気もする。

 俺はバケ学とかヤク学とかにはまったく無知だし、「よい子はマネしちゃダメだよ」としか言えないが、そーゆー方面に知識のある人なら面白く読めるかもしれない。

 意外と「忘れ去られていた知見」とか「現代でも応用可能なアイディア」が得られるかもしれないし。
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by signal-9 | 2012-09-07 14:28 | 読んだり見たり | Comments(0)

【近デジ漁り】ハウツーもの(2) 『なるまで叢書』

 近デジを漁っていて、フト見つけたのが、章華社という出版社の『なるまで叢書』

『なるまで叢書』の刊行に就いて

 古き器は潔く捨てよ。新しき酒は新しき革袋に盛ろうではありませんか。新しき時代に息づく私共の切実な欲求は、この新しき革袋でなくて何でありましょう。古き時代の無味乾燥な職業案内や空疎な成功物語に潔くさようならを告げた若き人々は、この『なるまで叢書』の出現によって、始めて尽きぬ興味と悦楽の裡に時代の光明をハッキリと認めることが出来ましょう。

 無謀な企て! そうです、内容頗る豊富、四六版各冊百五十頁内外総ポイント組で、しかも一冊僅か五十銭という驚くべき廉価は、算盤を無視した無謀の企てに近いでしょう。けれども私共はこの仕事の背後に常に幾万幾十万の心からなる読者を味方に有っていることを思うとき、無限の勇気を以って力強く、この仕事を続けて行くことが出来ます。

 敬愛なる読者諸君! 私共の本計画を意義あらしめるべく奮って御愛読を願います。

 と、かなりの怪気炎かつ商売っ気マンマンの序文で判る通り、なにかに「なるまで」どうするか、というハウツーもののシリーズである。

 もちろん、今の時代には実際の参考になるものではないが、これが中々にイイ感じの風俗史の資料として読めるのである。

 例えば「映画女優」を目指す女性向けの職業案内、『映画女優 スタアになるまで』(小池善彦 大正15)。

 口絵写真でいきなり田中絹代だの松井千枝子だのが登場するので、俺みたいな偏った映画好きは、もうそれだけで映画が娯楽の王様だった時代に引き戻される感じである。
 …なに、田中絹代って誰、だと? そういう人はひいおじいちゃんにでも聞いてくれ。

 職業としての女優の紹介なので、当然いちばん重要な収入(ギャラ)の話も出てくる。

…蒲田の人気スタアの収入を調べてみると、確定的にはいえませんが、その人気の最高時に当たって、川田芳子の月給が五百円、粟島澄子が四百円、筑波雪子、松井千枝子がずっと下って二百五十円見当だそうです。

 「蒲田の人気スタア」というのは、当時ブイブイいわせていた松竹蒲田撮影所のこと。 
 月給五百円は今で言うとどのくらいなのか。換算は難しいが、大正15年当時、東京・大阪間の鉄道料金、三等片道で六円五銭。東京・上野間が十銭の時代である。ざっくり1000~2000倍見当で50~100万くらいだろうか。

 意外と少なく感じるが、消費財そのものの値段が安い時代だ。公務員の初任給が75円くらいなので、ケタ違いの高給であることに間違いはない。

 当時の(日本から見た)ハリウッドの状況や、人気女優のエピソードなど、映画史に興味のある向きには面白く読めると思う。
 なお、ハウツーものではないが、昭和22年刊行の『映画五十年史』(筈見恒夫 著)なども近デジで読めるので、映画ファンは是非。

 『なるまで叢書』からもう一冊、『名探偵になるまで』(須藤権三 大正15)。

 現代において「探偵」という言葉は、ほぼ「私立探偵」と同義だが、この当時はちょっと違う。

 (嘉永年間以来)探偵といえば犯罪捜査に従事する刑事巡査のことであって、今日でも警視庁の刑事巡査には密行係、掏摸係、探偵係という区別があって、内部でも刑事巡査のことを探偵といい、これを動詞に使えば犯罪捜査と殆ど同じ意味になるのである。

 同じく探偵といわれる人の中に、刑事巡査以外に私立探偵と軍事探偵とはあるが、日本の現状に於いては私立探偵の仕事は刑事巡査の仕事のごく一部分に過ぎない観があり大事件の捜査に従事することなどは極めて稀であるのと、軍事探偵のことは軍事上の機密であって、外界の者の窺窬(きゆ)を許さぬ事情の下にあるため、本書に於ては主として刑事巡査の仕事を中心とし、私立探偵のことはこれを従とし、軍事探偵には全然触れないことにした。

 つまり、この本は今でいえば「名刑事になるまで」ということになる。

 刑事係、即ち刑事巡査となるには、どうしても先ず只の巡査にならなければならない。 然らば巡査となるにはどうするかといえば、これを詳しく書くと「警察官吏になるまで」という別冊の本が出来上がる訳であるから、ごく簡単にしておくが、

 「名探偵になるまで」のキモであるべき「なる方法」が、「警察官採用試験を受けなさい」というのは、あんまりじゃなかろうか(笑)

 さよう、この本、「名探偵に、俺はなる!」と意気込んでこの本を手に取ったであろう読者に、現実という名の冷や水をぶっかけまくるのである。

報酬は少ない

 刑事係には一定の勤務時間というものはない。…仕事の性質上一般官吏や銀行会社員の如き規則的生活はとうてい出来ない。…

 収入は一般巡査並びに巡査部長としての俸給及び家賃(夫婦者で七円から十一円まで)の外、刑事手当として最初は月に五円、古い者でせいぜい十円である。
 時に旅費として月額六円、ボーナスは年末に一回俸給一ヶ月分貰えるだけであるから、一人前の刑事係の月収はすべてを引っくるめて月に六十円から最高で九十円どまりという貧弱なものである。
 命がけの大格闘をしたあげく、重大犯人を逮捕しても逮捕賞金はせいぜい二円くらいしか貰えず、一世一代の大捕物をして警視総監から直々の賞金を貰うと、これが大枚五円くらい、勘定づくではとても馬鹿馬鹿しくて出来た仕事ではない。

 う~ん、昔も今も現場の辛さは変わらないのだなぁ。

 だから名探偵になりたい一心の人は別として、人間並みに高位高官に登り、立身出世をしようという人は断じて刑事係などになるべからず。勉強する時間は無し、身体は疲れる、とても試験を受けて次第に立身していくなどという見込みはないからである。
 刑事係となる人は探偵の仕事に異常な興味を持ち、薄給と激務に甘んじて、一生を犯罪捜査に投じ得るほどの覚悟がなければならぬ


 要するに、探偵の仕事が好きで、どんな辛い忍耐も出来る人で、初めて探偵を志望する資格があるといえるのである。探偵小説や活動写真で、探偵の面白い事ばかり見て、楽しい空想ばかり描いている人たちは、実際探偵に従事すれば、第一日目から直ちに幻滅の悲哀を感ずるに相違ない。


 「君にもなれる!」的に、安易に読者に迎合することなく、「軽い気持ちで出来るような仕事じゃないんだ」と真実を伝えようとしている、非常に良心的な本ではある。

 でも、これじゃあ『名探偵になるまで』じゃあなくて『名探偵になってはいけない』だよ!

 さてこの『なるまで叢書』、近デジには現在の所、他に『化粧秘訣 美人になるまで』『野球選手 主将になるまで』『囲碁初段になるまで』が収められている。

 それぞれに、当時の社会風俗を反映しているので、そのジャンルに興味のある人にはけっこう面白く読めるだろう。

 巻末の宣伝によると、『大臣になるまで』『小説流行作家になるまで』『博士になるまで』などが続刊予定とされている。

 これらが本当に出たのかどうか判らないが、あるのだったら近デジへの格納を期待して待ちましょう。
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by signal-9 | 2012-09-04 13:41 | 読んだり見たり | Comments(0)

【近デジ漁り】ハウツーもの(1)

 今も昔も「ハウツーもの」には一定の需要がある。

 このジャンル、何冊か紹介したいのだが、本日はまず比較的普通なものから。
 まあ、フツーと言っても、俺セレクトなんでけっこうヘンなんだが。

 まずは、『患者吸収の秘密』(日本医事会 編 昭和10)。

 最初に書名を見たときには「なんのこっちゃ」と思ったが、要するに「開業医向けの、患者=お客獲得のハウツー本」である。
 昭和10年といえば1935年。景気もあまり芳しくない時代。
 「患者吸収」即ち「顧客獲得」は開業医にとって一大テーマだったようだ。

 ところで開業さえすればその日の生活に事欠かぬかといえば、半世紀も以前なら知らず、現代じゃそうは安く問屋が卸してくれませぬ。そこでまず開業と同時に、いの一番に考うべき殊は他の商売と同じく、一家を支えるだけ得意先を作ることである。

と、いきなり身も蓋もなく始まるので、こりゃあ【医は算術】的な本か?! 「患者は生かさず殺さず」とか書いてあるのか? と期待して(笑)読み進めたのだが、あに図らんや、これが中々、イイことが書いてあるのだ。

 ― 患者の心から焦慮(焦りや苛立ち)を取り離し、常に平和にする事が重要。医者自身の行動によって、患者の心に焦慮を注ぎ込むことは絶対に慎まなければならない。

 ― ちょっとした言葉の端にも感情を傷つけられて悲しむ病人の心を「愚かしい」と笑うことなかれ。言葉は医者が持つ薬物の中で最も有効にして、かつ最も有害なものである。

 ― 病気以外のことに対しても諸事万端正常な判断を下し得るだけの知識が必要である。政治・宗教・教育、何でも、患者から問われたり聞かれたりして、これに受け答えが出来ぬようではサッパリ駄目である。

 ― 患者を甘くみたり、世間を軽くみたり、近所の同業者を患者の前でこき下ろしたりしていると、いつの間にやら界隈で一番不景気な、流行らぬ医者になってしまう。時分の家族は申すに及ばず、使用人に至るまで、行いを正しく慎ましやかにさせるべきである。
 ― 何が開業医を不人気にさすかといって、恐らく患者の地位や身分や貧富によって態度を変える程つまらぬ事はない。医師たる者の心境は常に明鏡の如く、神の如く、一切平等・無差別であらねばならぬ。

 …なんかキレイ事ばっかりでちっともハウツーじゃないなあ。

 我慢して読み進めると、ようやく『どこで・いつ開業したらいいのか』という多少泥臭い話題になったのだが。

 ― 開業の時期は人々が活発化する春夏が比較的よい。またその土地の同業者とか、あるいは地方的に医師に関する大問題が起こって一般の注意が医療に向いているときは開業のチャンスである。

 ― 医者が居ないようなド田舎で開業するなら「全科」を標榜する方がいい。田舎は土着人だから、一度その医者の門をたたいてくれば何かトンデモない大失敗でも無い限り、お得意さんにすることができる。逆に都会だと住民の流動性が高いから専門科を名乗った方がいい。

 …うん。まあ、確かにそうだろうね。

 とまあこんな感じで、「酒と女には気をつけろ」とか「不景気の時には診療費を上げるようなことをせず、量をこなしてカバーしろ」とか「使用人とする書生と看護婦は繁盛の重要な問題」とか、全般的にはすっごくマトモな本である。

 「女医で成功するには、独身で、看護婦は自分よりブスにしろ」(意訳)なんてあたりは微苦笑を禁じ得ないが、サービス業全般にも通用するような心構えと身の処し方が平易に書いてあって、概ね「うん、なるほどね」と首肯できる。

 …ということは逆に言えば、「秘密」というほど大仰なことではなく、ごく常識的なことしか書いて無い、ということだ(毒)

 ちなみにこの本、奥付によると『非売品』なのである。内容的には独立を考えている若い医者とか医学生向きだと思うのだが、いったいどこでどのように販売(配賦?)したものなのだろう?

 これを読んでうまく「患者吸収」できた人はいたのかなぁ。

 続いては『男女共用 暑中休暇日記の栞 附 紀行文 』(安田香雨 明42)。

 「学生の夏休みの日記の書き方」というトンでもなくピンポイントな指南書である。

 暑中休暇は学生にとって最も長い休みである。…… 何れにしても、ただ空しく日をくらすものはあるまい。然らばその日その日の行事、出来事などを、後日の記念として書き残しておいたならば、どんなに愉快であろう。殊に老後の憂さ晴らしにもなって、至極面白いことであろうと思う

 …何も学生のうちから「老後の憂さ晴らし」の心配することも無かろうと思うが。

 今日は、各学校で、その校の生徒に、日記を記すべき命を下すのが例になっているが、その受け身になっている学生の日記を見ると、最初に二三日は、真面目に丁寧に記しているが、漸次日を逐うに従って粗略になり、甚だしきに至っては、「同上」「同上」で手数を省いているものも少なくないのである。

 …すみません耳が痛いです。

 それ故ここに日記の栞なるものを著して、その内容に関する種々の実例を示して、その弊を救おうと企てたのが余の理想である。

 うむ、なるほど、つまりこの本を読めば学校に提出しなきゃいけない「夏休みの日記」のうまい書き方が習得できるというわけだな。これはブログ書くときの参考にもなるかも知れん。
 ということで読み始めたのだが。

 びっくりした。

 この本、薄いとはいっても本文70ページ以上あるのだが、「日記の書き方」の解説は、その内のわずか9行。
typoではない、ホントに、たったの9行なのである!

 1.日記文紀行文の書き方

 日記には、日付、天気模様、起臥の時間、自分の事や自分の家の出来事、訪問先、及びその用向き、来信発信、およびそのわけ等を、簡明に記すがよい。時によっては、自分の所感をも書いた方がよい。
 紀行文の日記は、殊に後日の為に一層注意して認め、出発、着泊の時間、行った所、見聞した事柄、それについての所感、人情、風俗等を、簡明に書くべきだ。
 然し、単に簡明だけでは面白くないから、多少趣味のあるように、書くことが必要である。

 以上。

 マジで、解説はこれだけなのである。

 んじゃあ、残りのページは一体何が書いてあるのかというと、著者曰くの「種々の実例」がひたすら載っているのである。

 まずは著者が書いたものなのだろう、架空の日記が延々と30日分以上。
 その後は、著者の友人の杉田翠江氏(誰?)や清水楓葉山人(だから誰?)、吉花筑南氏(マジで誰?)の日記の実物が、そのまんま収録されているのだ。

 …どうも、著者の意図が分からない。

 「暑中休暇日記の栞」と題しているのだ。小学校の「旅のしおり」でもわかるように、「ナントカのしおり」というのは普通不案内な人や初学者の道しるべになるような平易な案内書のことのはずだ。「栞」というのは「枝折る」から来ている言葉で、枝を折って道しるべにすることなんだから。

 それがこんな投げっぱなしジャーマンみたいに、解説も講釈も無く、ひたすら現物だけ並べただけで役に立つのだろうか。

 「習うより慣れろ」だから「お手本」をよく読んで勝手に頑張れ、と言いたいのか、それとも適当にパクれと言いたいのか。

 おまけに、これらの「お手本」がホントに「お手本」になってるのかという疑問がある。

 著者作の架空日記なんか、「こりゃ日記じゃなくて小説だろ」と思うような書き込みっぷりだし、他に収録されている実物の日記も、「子供の夏休みの日記」にしてはかなりハイレベルのものばかりである。

 例えば、著者の学友だったという清水楓葉が「往年小学生時代に作られたもので、何れも訂正を加えず」引用したという「鎌倉江島紀行」と題する日記はこんな感じ;

 静かな朝の海は、油のように心地よい朝風に縮緬のような漣をを立てて居る。それに日光の映った所に黄金色の波紋を書いて実に美しい見物である。

 遙かに向こうを見渡すと、近くは点々と黒山のような、旧台場の陰を、見えつ隠れつ、真帆片帆かけた船が、静かな波の上を音もたてず辷るように行きすぎるのも見える。遠くは房総の山々が(以下省略)

 …これが小学生の夏休みの日記だぜ、諸君。

 スゲェはスゲェが、こういうガキとは仲良くなれそうもないじゃないか(笑)

 まあ、確かに明治時代の学生というのは概ね早熟である。
 当時の平均寿命や就学率を考えると、学生という身分でいられること自体エリートの証明みたいなものだし、「知識」はさておき「教養」という観点では、現代の学生と比較にならないほど高かった、というのは常々感じるところだ(例えば、漱石と子規の学生時代の往復書簡なんか読むと特にそう思う)。

 だがいくら早熟とはいっても、こんな「夏休みの日記」、フツーの小学生は中々書けないだろう。

 「各学校で、その校の生徒に、日記を記すべき命を下すのが例」なので、その栞にしたい、というのが著者の意図のはずだが、こんな特殊な「お手本」、下手にパクッたりしたら一発で先生にバレるんじゃなかろうか(笑)。
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by signal-9 | 2012-08-30 15:56 | 読んだり見たり | Comments(0)

【近デジ漁り】発禁

 さて、何度も肴にさせてもらっている酒井勝軍であるが、酒井の本みたいに、社会的・思想的に難しいコースを狙ってる近デジ本でよく見かけるのが、検閲の痕跡である。

 一例として酒井の『神代秘史百話』(昭和5)の2コマ目を見てほしい。

 安寧禁止 7.4 警視庁 32,33,124,125頁削除 三月十六日午後二時 警視庁へ示達

 『安寧禁止』、よーするに「発禁」つーことである。

 これは前に書いた「伏せ字」と関連する。

 昭和11(1936)年の九月、全国特高課長会議で、「伏せ字」の扱いについての論議があった(蛇足ながらゆとり世代のために解説しておくと、特高というのは「内務省特別高等警察」の略称だ。一般的犯罪ではなく、出版・集会・結社・・火薬・怪獣など、国家体制の根幹に関わる『犯罪』の取り締まりにあたった組織だな)

「いままではマズいとこは伏せ字にしてありゃギリ通してたけどさ、伏せ字って憶測生んで逆効果じゃね?」

「てゆーか、むしろ伏せ字なんて一掃しちゃえないの?」

「伏せ字を一掃するには、そもそもその本出版させなきゃいいんじゃね」

「ちょwおまwwwww」

「天才登場」

 そんなこんなで(どんなだ)、伏せ字一掃 → 発禁という、最悪のウルトラC級解決方法が決定されたわけだ。

 この決定に基づく発禁処分は、今だったら「なんで?」と思うような本も引っかけられている。

 例えば福沢諭吉の『文明論之概略』。織田作之助の『夫婦善哉』
 酷いのになると、「巻末の広告に禁止対象本が載ってるから」という理由だけで、内容に関係なく発禁を喰らった本まであった。

 この時の発禁には、大きく分ければ、『安寧禁止』即ち「安寧秩序紊乱に相当するから禁止」と、『風俗禁止』即ち「風俗壊乱に相当するから禁止」の二種類があった。

 「安寧秩序」というのは、国家とか社会が平穏で乱れていないこと。
 酒井の本は、国家の秩序を乱すモノだから禁止処分=『安寧禁止』、ということである。

 で、具体的に酒井の本のナニがマズかったのか、だが。

 大方の推測の如く、検閲官が指摘した問題のページには国体に関わる『異端』の史観が述べられているわけだが、この本通読した感じでは、もっとマズいんじゃね? という箇所があちこちにあるように個人的は思える。

 削除指示されている問題のページだけ特に何がマズかったのか、いまいちピンとこない。

 何度も同じ本を取り上げて恐縮だが、これも酒井の『太古日本のピラミッド』
 これまた表紙裏に、検閲の書き込みがある。
 こっちは、どこが何故マズのかちゃんと記載してあるのでわかりやすい。

 禁止可然哉

 天皇ハ日本一国ノ天皇ニ非ズトナシ世界ニ君臨スベキ事理ヲ論ズルニ當リ其論證方法トシテ神武天皇以前ノ皇統譜出現及鵜草葺不合朝ノ存在ヲ云爲スルハ皇統竝ニ國史ニ紛更ヲ来スモノト認ム
(参照先ページ数は省略)

 「神武天皇以前の皇統譜の出現、及びウガヤフキアエズ朝の存在」。

 『神代秘史百話』も『太古日本のピラミッド』も、いわゆる「竹内文献」(竹内文書・天津教文書)の影響を受けて書かれた本で、ようするにソコがマズかった、というわけだ。
 今時だと「竹内文書」は、一般的にはせいぜい『ムー』か『歴史読本』読者のおもちゃみたいな認識だろうが、当時の社会状況ではかなりヤバいシロモノだったわけである。
 現に酒井は、後にいわゆる「天津教事件」に連座する形で検挙までされているのだ(最終的には不起訴処分)。

 さて、『太古日本のピラミッド』の検閲ページには「神社局考證課同意見」とわざわざ記してあったり、図書課長と事務官が押印してたり、かなり扱いがセンシティブであったことを窺わせる。

 一方、もうひとつの発禁「風俗禁止」の方だが、ハンコ一発で済ましているものが多いような気がする。

 先般、近デジのアクセスランキング一位を獲得した(爆)『エロエロ草紙』 (酒井潔 昭和5)とか、『実話ビルディング : 猟奇近代相』(武内真澄 著 昭和8)なんか、「風禁」のハンコか、小さなレッテルが貼られているだけだ。

 「安寧禁止」に比べ、「風俗禁止」の方は「エログロなんて、わざわざ検閲するまでもない」的なやっつけ仕事感が感じられる…というのは、俺の偏見かねぇ(笑)。
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by signal-9 | 2012-08-23 17:28 | 読んだり見たり | Comments(0)

【近デジ漁り】書き込みウォッチ

 今回も小ネタ。

 近デジには、書き込みがある本もよくある。

 図書館の本に書き込みを行なうようなヤカラは片っ端から極刑に処すべきであるが、止むにやまれぬ衝動からついつい迸るパッションをぶつけてしまうことはあるのかもしれない。

 論争的な本などでは、この種の書き込みがよく見られる。
 サンプルとして、
『斯の如き迷信を打破せよ』(牧田弥禎 大正10)をみてみよう。

 これ、いわゆる「迷信打破」本なのだが、あちこちに読者の書き込みが残っている。

 たとえば17コマ目、『第五章 民間流行せる愚劣なる誘惑の失敗』は家相見・人相見、いわゆる易者を批判している章だが、その欄外に誰かがこんなことを書いている。

 大イニ結構多イニヤレ マー易者トハ一体何物ダ、国家ガ許シテイルガ分ラナイ 須ク全滅スベキダ

 さらに23コマ目(34ページ)では、いわゆる「鬼門」を批判している著者に対し、

 文 大イニ痛快ナリ 何ゾ鬼門アランヤ

 とエールを送っている。29コマ目(47ページ)では

 イト面白シ、愉快々々

 我が意を得たり、だいぶ機嫌が良いようだ。

 そしてしばらく何も書き込みのない状態が続くのだが、78コマ目(144ページ)に、突如「第二の書き込み人」が登場する。

 残念ながら、字があまりにも薄く、なんと書いているのか確と読み取ることは出来ないが、「第一の書き込み人」は本の欄外上部に、本文の邪魔にならないように書き込んでいたのに対し、この「第二の書き込み人」は、堂々と本文の横に書き込んでいる。
 筆跡も文体も「第一の書き込み人」と異なり、明らかに別人。

 83コマ目。ここの書き込みはだいぶはっきりとしている。
 「第三の書き込み人」だ。

 本文の横に書き込んでしまうスタイルは「第二の書き込み人」と似ているが、文字の濃さがかなり異なる。たぶん筆記用具の違いだろう。

 残念だが、こちらも何と書いているのか俺にはうまく読み取れなかった。
 判読できた感じでは、著者への反論らしきものを書き込んでいるような雰囲気だ。

 92コマ目(179ページ)。ここでなんと、二人の書き込み人が邂逅している。

 自分の闘病体験を元に祈祷などに頼る風潮を批判する著者に対し、「第三の書き込み人」が

 病ハ治モノト信ゼヨ 神仏頼ムニ(判読不能)

 と反論しているが、その書き込みに対して「第一の書き込み人」が、

 君 ソートモ限ルマイ

 と、いささか呑気な突っ込みを入れているのだ。

 つまり、「第三の書き込み人」のほうが先に書き込んでいた、ということだ。
 「第一の書き込み人」は、いい気持ちで読み進めていたら、突然、著者に反論する先行書き込みを発見したのだろう。で、思わずレスを付けてしまった、と。

 そして101コマ目(190~191ページ)がエライ事になっている。
 ここでは著者は、井上円了の論説に批判を加えているのだが、「第三の書き込み人」は、何かスイッチが入ってしまったのか、怒濤の書き込みを開始するのである。

 しかも、「第二の書き込み人」までかなりの書き込みを行なっているので、191ページはまともに地の文章が読めなくなってしまっているのである!

 その勢いは是非現物を確認してほしい。

 あれ、「第一の書き込み人」はどうしたのかな? と思って探してみたら、あったあった。
 190ページの下の方、「第三の書き込み人」のアツい書き込みに一言ツッコミ。

 君モ迷信家ダナ

 …一体、何時どこの誰が書き込んだものなのか、今となっては知るよしもないが、文体から見て、この本が出た大正10年(1921年)からさして間がない頃だろう。
 書きっぷりから見て、三人ともたぶん学生なんじゃないかなぁ。

 自分たちが勢いで書き込んだ文章が、90年あまり未来で電子化されて全世界で閲覧可能な状態になり、それを見つけて喜んでいるヒマ人(俺だ)がいるなんてことは夢想だにしていなかっただろうな、この書き込み人たちは。

 それを思うと、なんだか不思議な気がする。
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by signal-9 | 2012-08-21 16:43 | 読んだり見たり | Comments(3)

『ビアンカ・オーバースタディ』読了。

 いたいけなラノベ好きの少年たちよ、ダマされてはいけない。

 「21世紀の“時をかける少女”」というあまりにもキャッチーなヒキ文句や、いとうのいぢの美麗なイラストレーションで、「うむこれは時をかける少女的なロマンチックでおされな健康的ジュブナイルSFに違いない」などと早合点してジャケ買いしてはいけない。

 中身はツツイだ。

 ツツイは諸君みたいないたいけな青少年愛情なんか持ってないし、それどころか青少年の劣情に迎合して搾取(エクスプロイテーション)の対象にしてやろう的なスケベ根性もこれっぽっちも持ち合わせちゃいないぞ。

 で、まかり間違って読んじゃったいたいけな青少年。
 もしかしてツツイは初めてか? ちょっと気に入っちゃった?
 だったら毒を喰らわば才たけて六分の狂気四分の熱。さっそく他のツツイ作品に手を出してみて、ダメな大人を目指すのも悪くないと思うぞ。

 太田が悪い。
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by signal-9 | 2012-08-20 15:06 | 読んだり見たり | Comments(0)

【近デジ漁り】伏せ字

 今日はちょっと趣向を変えて、本の紹介ではなく近デジを漁っていて目に付いた小ネタについてひとくさり。

 現代ではギャグ的に使っている例をのぞいては殆ど見かけないが、近デジが扱っている時代(明治~昭和初期)では、伏せ字は珍しくない。

 例えば、特に大正中期以降の本だと、「天皇」の二文字は、否定的な文脈ではないにも関わらず伏せ字になっているものがある。畏れ多い、ということなのだろう。

 甚だしくは、毎度おなじみ酒井勝軍の『進んで○○を敵とすべし』みたいに題名から伏せ字になっているものまである。

 本文読めば判る―どころか、開巻四行目で伏せ字にせず書いてあるので、これは目を引くためか、逆に検閲逃れのためか、要するにある意図を持って故意にやってる伏せ字だろうが。

 伏せ字といってすぐに思いつくのはいわゆる「エログロ」方面だが、実際にはこれも、「故意の伏せ字」が多いと思う。
 一例を挙げる。

 殊に人もあろうに、己が舊主同列の、舊殿様の息女を………………、殊に殊に場所もあるべきに、夜陰をなりとて往来の馬車の中にて………………………………。嗚呼是れをしも英雄不羇の行いとせば、英雄畢竟禽獣を去る幾何。

 『淫風猥俗肉慾世界』というすごい書名だが、現代(明治40年)の政財界の紳士面した連中が陰でやってるヒドいことをバクロする、的な本である。
 引用部は、現在は「元老中の元老」に収っている「勲位他に類なき某老侯」がかつての主人の息女に対して暴行に及ぶシーン…を見てきたように描写している部分。
 「……」を伏せ字の記号に使ってるのはちょっと珍しい。

 ご覧のように、別に伏せ字にしなくてもなんてこと無い文章で、これは明らかに効果を狙った「故意の伏せ字」である。
 そもそも、ブンガク作品なんてのは表現はいくらでも書き換えが出来るわけだし、伏せ字にしたくないのなら、問題にならないように表現を変えるのが文士の能力だろう。

 こういう作為的なモノではなく、「ああ、これはホントにマズかったんで、編集の手が入ったんだろうな」と忖度させてくれるものではないと伏せ字とは言いたくないではないか。

 『大正の大震災 惨禍実況』(奥豊彦 大正12)

 又極端にして奇怪なりしは、○○○○何千名各所に出没し、井戸水及水道貯水池に毒薬を投じ、爆弾兇器を携へて民家に闖入せりとか…

 と、こんな調子で伏せ字を使っているのだが、同じページで時の政府が出した虚言浮説取締まりの勅令を引用しており、その中に『今次の震災に乗じ一部不埒鮮人の妄動ありとして』と書いてあるので、伏せ字にしている意味がない。

 いや、意味がないは言い過ぎか。要するに著者および・あるいは出版人が「俺たちは伏せ字にすべきだと思ってるんだ」と旗幟鮮明にする以外の意味はない。
 ま、早い話が、特に何も考えておらず、習慣的にマズそうな単語を伏せ字にした、ってあたりが真相なんじゃなかろうか。

 かなり極端な例がコレ。

『山窩の生活』(鷹野弥三郎 大正13)

 山窩の族としての歴史、その系統の不明であるが爲めに、此處にいろゝの俗説が現はれてゐる。それは○○○○○○俗説よりも尚甚だしいものである。
○○○○○○○、比較的後來朝鮮、又は支那から來た者が、全国各地に聚合散在して生活したが、他に容れられず、又自らも他の族を容れる事なく、何時とはなく其處に○○○○○○○○○○○○。且宗教上から殺生肉食を厭ふやうになつてゐる日本人の間に、彼等が挾まつてゐて平気で殺生肉食をした爲めに○○○○○○○、○○○○○○○○○○○○○○○。それは彼等が獸皮を以て武具を作った結果でもあらう。○○○○○○○○○○○○○○「○○○」○○「○○○○」○○「○○○○○○」○○「○○○」などと稱してゐるが、此の名稱によつて○○○○○○○○○全く別にしてゐるのがある。

(中略)

 其處で山窩と○○○○混同すべきものでないとされてゐる。然るに山窩をして○○○一種又は○○○○○最も不良の徒が 夜盗をこれ事として生活した其の夜盗の子孫の繁殖したものと稱し ○○○○山窩との系統を同じにしてゐるものもある。

 何が何だかわからんちゅーねん!

 とお約束のツッコミはしたが、実際には「何が何だかわからない」ことはないな。

 ちょっと近現代の風俗史や人権問題に関心のある人ならこの文章が何を言わんとしているかは容易に推測が出来るだろう。

 そう、明らかに○○○○○○○○○○○○で、○○○○や○○○○、○○○○には○○○○○○○○。○○○○○、○○○○○○○○が○○○○○○○○○○○。

 文脈が文脈なので、たしかに現代でもおおっぴらに開陳するに憚られる文章だが、こんだけ伏せ字にするくらいなら書き直すなりすればいいんじゃないかなぁ…というのは、平和ボケした現代人のあま~い考えなのかしらん。
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by signal-9 | 2012-08-14 23:04 | 読んだり見たり | Comments(0)

【近デジ漁り】女性(2) 『女は魔性である』と『女罵倒録』

『女は魔性である』(野元北馬 大正5)
『女罵倒録』(よぼ六 大正9)

 ― 本日の【近デジ漁り】、座談会形式でお送りします。
  ご参加くださるのは
  『女は魔性である』(大正5年)の著者、野元北馬さんと
  『女罵倒録』(大正9年)の著者、よぼ六さんです。
  早速ですが、お二人とも女性に関してはかなり厳しいご見解をお持ちのようですね。

 よぼ六

仏者は女を外面如菩薩・内面如夜叉と言ったが実にその通りである。花の如く美しく優しい容貌をして居るが、内心の醜悪は実際悪魔外道と撰ぶ所のない凄まじいものがある。見よ、美しく飾り立てた化けの皮を引剥く時、第一に出てくるものは燃え立つばかりの猛烈な性欲ではないか。その猛烈なる性欲も、彼らは巧みに虚偽を以て隠し包んでいる。虚偽は女の命である


 野本

遠慮無く申せば、我輩は、『女』という動物に対して、原始的に、且つ根本的に大なる疑問を有して居る一人者である。
 『女は果たして人であろうか』
 即ちこれである。
 女は『人』として、絶対の権利を有する代表的資格者ではない。女は直覚的に『人』と称し、『人』と許さるべき生物ではない。『人』という意義ある名称は、男性に依りて代表せられ、女は男性に依りて始めて『人』という意義と、存在と、資格とを付与せられて居るのではあるまいか


 ― 『女性は人ではない』ということですか?

 野本

女は『人』として男性と相対並立すべき資格者でなく、ただ『人』としての『参与者』に過ぎない。一面から言えば、女は男の付随者・付属物である。
 『奴隷』即ちこれである。女は先天的に男の『奴隷』として、僅かに『人』たるの参与権を神は付与している


 ― 『奴隷』ですか…

 よぼ六

当世の才媛方は口を開けば、女が男の奴隷状態に在るのは自立の精神と才能とが無いからである、ただ食わして貰うために夫に服従する妻は売春婦と撰ぶ所がない、なぞと恐ろしいことを仰有る。だが立派に生活を続けて行かれる女が、その生活を続けようとはせずに、世間から物笑いになっても構わず男に飛びついていくのは何としたものだろう


 ― 旦那さんに先立たれ、ご自分で六人のお子さんを育て上げた、大正三美人にも数えられる日向きん子さんのことですね。

 よぼ六

この賢母良妻たる才媛が、病夫の死後、その墓の土の未だ乾かぬ間に、まさか自分よりはるか年下の二十七歳の青年と結婚しようとは誰が知っている者があったろう。虫も殺さぬような優しい顔をした女、男なぞには用も無げに見える品行方正らしい女も、その上皮一枚引剥けば、恐ろしや身も魂も焼き尽さんばかりの猛烈な性欲が燃え立っているのだ。優しい顔も品行方正も、所詮はその醜い性欲を包み隠す方便道具に過ぎない者である



 野本

世の実例に徴するに再縁の女は兎にも角にも尻が軽い。何となく浮き腰で気に落ち着きがない。これもそのはずだ、いったん前夫に『処女』の『神聖』な生血と『秘密』とを捧げて『性』の地色を新しく染め変え様とするのだもの。エバが毒果を喰ったような『眼明き』になった、彼と是と、昨日と今日とを対照比較せずにはいられない


 ― (『大正美人伝』によると、きん子さんはそんな軽薄な女性じゃなかったみたいなんだけどな…) えー、お二人とも女性の虚栄心ということについても書いておられますね。

 野本

女は虚栄の化身である。詮約していえば、『虚栄』は女の全生命である。女からこの『虚栄』を抜き去るのは、その生命を奪うのにも値しよう

 よぼ六

女ほど虚栄心の強いものはなく、服装の華美を誇りたがるものはない。だから何事かあって人中へでも出るというようなことになれば、身上ありったけを尽して美装して出かけなければ虫が納まらぬのだから厄介な代物と言わなければならぬ


 野本

『虚栄』は女が男に対して、自己の権利を保障する武器であると同時に、一面には同性間に『自我』の幸福を誇る、慢心の発露である。今やあらゆる女の脳裏に、かかる『虚栄』の血が湛えられて、女の道徳とか、女の『分』とかいう問題などは、陳腐がられて、新しがる女の血管には一点だも宿っていない


 よぼ六

今の女に節操なぞと言うだけ野暮だ、と言ってしまえばそれまでだが、さほど極端なことは言いたくない。とは言うものの新しい女なぞという連中の放縦極まる淫奔生活を見ては、実際節操などと今時言うのが時歳錯誤かも知れん、というような情けない感も起こる


 野本

女は家庭より外に、社会もなければ世間もないはずだ。これが女の宿命である。要するに女は『奴隷』ではないか。『従僕』ではないか。己を鼻に掛けて事を誇るというのはその身の『分』でもあるまい



 …とまあ、こんな調子なのであるが、俺の恣意的引用で誤解させては申し訳ないので念のために言っとくと、この二冊、実際にはかなり趣が異なる。

 『女は魔性である』の方は観念的で、はっきり言えば晦渋で、楽しむために読む類の本ではない。
 ではあるが、そこここに中々鋭い分析・フレーズが垣間見える。風俗・文化史的には興味深い本である。

 片や『女罵倒録』、おちゃらけたペンネームからも判る通り、世相や女性の生態を揶揄・風刺するという趣旨のエッセイである。
 日向きん子(きむ子)とか、女優の村田喜久子とか松井須磨子など、当時の著名な女性のうわさ話や、見てきたようなバクロ話を盛り込んで、よぼ六氏の筆は軽妙に進む。
 こなれた文章といい、匿名だが実は割と名の通った操觚者なのではなかろうか。

 大正中期と云えば、「新しい女」・女性の社会進出が進んだ時代である。
 『女は魔性である』も『女罵倒録』も、そんな時代ならではの「女性批判」本なのだろうが、こういう本が出せていたのも、社会がある程度平穏だったからで、このしばらく後には、こんなノンキな本は出そうと思っても出せなくなるわけだ。

 「女なんて」と、男どもが愚痴っていられる時代というのは、そーゆー意味では「よい時代」といえるのかもしれないな。
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by signal-9 | 2012-08-13 20:31 | 読んだり見たり | Comments(0)

【近デジ漁り】女性(1) 女子宝鑑

 「宝鑑」とは「手本・模範。またはそれを書いた書物」のこと。

 近デジをこのキーワードで漁ると、いろいろな「宝鑑」が見つかる。
 今日は、女性向けの「宝鑑」を二冊紹介。


■『現代女学生宝鑑』(星野すみれ 著 明39)

 Wikipediaによれば、著者の星野すみれは「美少女アイドル歌手として幅広い世代に絶大な人気を誇る」人物だそうだ。amazonで確認したところ『いけない官能教室』、『妖精少女Y―禁断の蜜のしたたり』といった著作もあるようである。アイドル歌手にしては中々ハジケているではないか……と、ちょっとボケてみましたがおもしろくなかったですねすみません。

 女子学生を目指す少女に向けた本である。

 学校生活の心得、下宿屋の選び方や生活の指針、勉強にあたっての豆知識など、宝鑑というだけあって、扱っている内容は多岐にわたる。

 例えば「作文の栞」という、女学生らしい文章の書き方について指南する項。

 文を作らんには雅言葉を知りて、そを巧に用ゐなば其文しとやかに女たる性にもかないなん。されど文法により論じたる起結転略を知らざれば文にして文ならず、句にして句ならざらむ

 として、まずは候文の文法を概説し、サンプルとして樋口一葉らの雅な文章を引用し、さらに「海外にある友の許へ遣す文」などユースケースごとの模範文を掲載するという念の入れようである。

 さらには和歌の作り方、新体詩の作成、万葉仮名に美文調に漢文の熟語解説。四季折々の料理に西洋料理のレシピ、生け花、裁縫、運動(テニス)、水彩画法。英文法に数学公式。衛生法に養生法に化粧品についての解説…

 模擬入試問題まで出ている。

 「高等女子師範学校程度の入学試験問題」なのだそうだ。
 女子高等師範学校といえば、だいたい16~17才で入学試験に臨む勘定である。年齢だけで考えると、今の大学入学試験相当といえるだろう。

 いくつか引用するので、ちょっと挑戦してみてほしい。


■国語及び文法

下線の部分につきて文法上の差異を説け
(1) 啼く鶯の声「すなり」
(2) 今これを説明「するなり」
(3) そこに人「ありや」
(4) あな、たのみなき人の「心や」

■数学

(1) 一円未満の元金には利息を附せざることとして年利六分元金二六六円の三年間に生ずる複利を求めよ
(2) 等辺三角形ABCに外接する円あり、今劣弧BC上の任意の一点PよりPA・PB・PCを引く時はPAはPBとPCとの和に等しい。これを証明せよ。

■英語

 英訳せよ
 (1) 貴女の方が考え違いをしていらっしゃる
 (2) それを思ひ出すばかりで身震ひがします

■歴史

 以下の人々の事蹟を記せ
  松下蝉尼 林子平 藤原豊成 恒良親王 承明門院

■地理

 アメリカ合衆国の図を書き、以下の地名を記入せよ
  サンフランシスコ シカゴ フィラデルフィア セントルイス ガルベストン ロザンジェル ピツバーグ

■物理

(1) 弦の振動数とその長さとの関係如何
(2) 音の調和の物理学的理論を略説せよ

■化学

 強酸と強塩基との中熱常に同一量なるは何故なりや。又塩酸とアムモニヤ水との中和熱著しく少なるは何如なりや

■博物

 昆虫の血管と呼吸器との関係を説明すべし

■裁縫

 中幅の紋縮緬にて本裁無垢並に上着廻り無垢二枚の裁ち方を図解し、これに各部の名称、寸法を記し、かつ積り方の算法並びに用布の総丈をも記せ

 …さすが師範学校、かなりレベルが高いではないか。

 特に「裁縫」の問題など、今時のJKで明答できるヤツはそうはおるまい。
 …当たり前か。

 さて、もう一冊は、

■『女子宝鑑(婦人重宝玉手函)』(大西啓太郎 編 明治39)

 こちらは、進学ではなく結婚し家庭を持つ女性をターゲットにした宝鑑である。

 同じ『宝鑑』でも『現代女学生宝鑑』と違い、本書は編著者が男性である。
 そのせいか、『現代女学生宝鑑』とはかなり趣が異なっている。

 単なる実用的知識の集成ではなく、随所で編著者の思いが熱く語られているからだ。

 ちょっと著者の御高説を聞いてみよう。

 恋愛というのはいつの世でも若いご婦人の一大関心事と思いますが、そのあたり先生はどうお考えで?

 「ハイカラ者流は、しきりに恋愛の神聖を唱道するが、我々はむしろ結婚の神聖を望む上から、初め熱くて後は冷ややかな恋愛主眼の西洋風結婚よりは、初めは冷ややかだがだんだんと相知り相慣れついに相愛する日本風の結婚の方を奥ゆかしく思うものである」

 ふむ。なるほど。まあ、そういう考え方もあるかも知れないですね。
 ところで、最近は「結婚の道」を選ばずに、学問の道に進む女性も多いようですが。

 「女子もまた学問さえすれば偉いものになれる、ナニ男子などに負けるものか、と自己の体質やまた先天的特性を忘れて、無闇に学問万能でやり通そうとする、そのうちに二十歳が二十五となり二十五が三十となって、最も大切な結婚期を通り越しいわゆるオールドミスとなって、やむを得ず独身論を唱えだすような不具者になり終わるのである」

 (きょろきょろあたりを見回しながら)えー、先生、そろそろお時間ですので…

 なんつーか、こりゃ「宝鑑」というよりは檄文

 俺は女性ではないので、本来の読者たるべき女性の感想はわからないが、今だったら女権拡張論者から焚書を食らいそうな激しさではある。

 だが諸君、こんなもので吃驚してはいけない。

 近代文書の宝庫である近デジには、さらにトンデモない「女性」本が埋もれているのである!

 といったヒキを作りつつ以下次回。
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by signal-9 | 2012-08-09 14:24 | 読んだり見たり | Comments(0)

【近デジ漁り】奇談・奇聞

 奇談といえば、まず第一に書いておかなきゃイケナイのは、岡田建文の『動物界霊異誌』が近デジに登録されたこと、である。

 『幽冥界研究資料 第2巻 霊怪談淵』に続いて、二冊目の近デジ登録である。

 日本で唯一の岡田建文評論家(自称)である俺としては非常にうれしい。この勢いで『大自然の神秘と技巧』など、中々一般の人の目に触れにくい建文本が登録されることを願っている。

 さて。岡田建文以外にもいわゆる「奇談集」の類は近デジに多く登録されている。

 有名どころでは『三州奇談』(日置謙 校注 昭和8)とか、900ページオーバーで読み応え満点の『世界奇聞全集』(加藤栗泉 編 大正6)とか、『日本伝説叢書』シリーズなどがあるが、ここでは
  1. いわゆる「怪談」ではないこと
  2. 明治以降の奇談であること
という俺の好みに合致したものをいくつか紹介したい。

『珍事奇聞 一読百驚 第1集』(小野田孝吾 編 明20.11)

 これ、岡田建文の記事の時にもちょっと触れたが、この手の本には珍しく、ほとんどの記事の出典が明記してあるので、資料的に非常に貴重。
 いわば、湯本豪一氏の労作『明治妖怪新聞』の元祖、といえよう。
 活字が細密充填で読みにくいのが難点だが。

『怪世界 珍談奇話』(鈴木英四郎 (華僊人) 編 明41.7)
『世界探険怪奇談』(仙洞隠士 著 明治42)
『怪奇談 世界探険』(仙洞隠士 著 大正7)

 なんで三冊並べているかというと、この三冊、中身が同じで、書名と著者名(編者名)と出版社は違うという(笑)。古書にはままあることではあるが。

 内容的には、普通の奇談本で特筆すべき特徴もないが、ちょっと笑っちゃったのは「勇少年の冒険」という一節。
 「仕立屋の少年が巨人退治に出かけ」…って、なんかどっかで読んだような気がするぞと思ったら、編者曰く

 これはドイツ国著名のグリム氏の神話に有る話にて、もとより作り物には相違あるまじきけれど、その構想の頗る奇にして、かつ活気ある事、外のおとぎ話の類にあらざるをもて、特に訳して奇談のひとつに加えたるなり

 いやいやいや。グリム童話を加えちゃいかんだろう…

『妖怪実話』(山内青陵 著[他] 大正6)

 著者曰くは「本書に蒐録した話は、皆著者の聞書です」なのだそうだが、残念ながらかなり「お話」化されているので、怪談話としてはいいのかもしれないが、奇談としては創作臭が強くてイマイチの感がある。

 むしろ、付録として載っている水野葉舟の「霊怪の実話」の方が、生っぽくって俺好みだった。
 水野葉舟といえば『あらゝぎ』などで知られる詩人/文士だが、心霊関係に興味を持っていたので、こっち方面にも著作がある。

『内外珍談集』(鏡陽学人 編 大正4)。

 これ俺的には拾いもの。好みのタイプ。

 編者は「本書の材料は、多くの書籍及び新聞雑誌の記事中、もっとも珍しく、且つ又もっとも面白きものを精選したもので、その事実の正確なることは云うまでもないことである」と宣言している。

 「その事実の正確なることは云うまでもない」かどうかはそれぞれの読み手の判断に委ねるとして、あっちこっちからネタを集めたのだけは確かなようで、国内外の奇祭・奇習から珍獣奇人、超常現象などなど、バラエティに富んでいて、読み物として楽しい(出典がないのが玉に瑕)。

 個人的にそそられた記事をいくつか挙げておく;

 マニラ在住の雑貨商・児玉音松(もちろん実在する。大アジア主義を標榜した政治団体「玄洋社」の設立にも関わった人物)のレポート。
「ルソンの先に住んでいるゴロテという種族は、奇妙なことに日本人を先祖だと尊敬していて、他国人が足を踏み入れることを許さない場所でも日本人なら喜んで案内するようなことがある。彼らが釣りをする時の工夫や鍛冶の方法が日本古代の風俗に酷似していることで、我ら東洋人には少なからぬ奇異の感を与えるのである」


 東京は神田明神そばに住む早川置造という爺さん。
 明治44年の冬、病気になって医者も匙を投げる重体に陥った。覚悟を決めた爺さん、死んだ後では役に立たないからと、前もって知己に香典を督促し、眷属を枕元に呼んで生前にお通夜をさせた。
 ところがその後、爺さんの病気はだんだんと快方に向かい、快復してしまった。
 「迎えに来るはずの釈迦が来ないというのは、ワシが平素、お釈迦様の悪口をいってたので、迎えに行くのもケガらわしいと怒ってるからに違いない。そういうことならこっちにも考えがある」
 文明世界の今日、事の是非は投票で決めるべきだと、お釈迦様に抗議するべく署名運動を展開。「はじめは千人ほど頼むつもりだったが、釈迦に三千の仏名あり、孔子にも三千の弟子ありだから、少なくとも三千人の書名がないと負けになる」と既に渋沢男爵ら有名人を含め七百人から揮毫してもらっているそうな。

 もっともそそられたのはこの記事。

 6・7年前(本書は大正4年刊なので明治41.2年頃か)の岡山県吉備郡の山田村での話。
 干ばつに苦しんだ村は、思案の末、明治6年に同村の菊池茂八が開発した雨乞いの機械に頼ることにした。
 小学校から発電機二台を借り、附近の山林に持って行って、10メートルくらいの竹竿を立てて、その先端に紙張り子のヒョウタンに金粉を塗りつけたモノを口を下にしてぶら下げ、銅線を引いて発電機と接続し、村の若い衆が発電機を回して空中に放電した。 数時間の後、辺りは急に暗くなりにわか雨が盛大に降り始め、同村は干ばつ被害を免れたという。

 この記事が事実だとすると、雨が降ったことは「偶然」だとしても、なにやら文明開化テクノロジーっぽい人工降雨の試みとしては日本でも最初期の例なのではなかろうか(ま、だから珍談とされてるのだろうが)。

 そもそも明治6年(1873年)の日本で、雨を呼ぶ為に空中放電なんてことを思いつくだけでも、かなりウィアードな感じがする。

 この菊池茂八という人物、いったい何者だったのだろう。

 「岡山県吉備郡の山田村」というと、今で言うと岡山県総社市のあたりかと思うが、現地には何か記録は残ってないのだろうか。

 岡山といえば、空飛ぶ表具屋・浮田幸吉伝説が思い出されるが、お土地柄なのかねぇ。
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by signal-9 | 2012-08-07 18:45 | 読んだり見たり | Comments(0)