カテゴリ:読んだり見たり( 62 )

【近デジ漁り】小ネタ:若き乱歩と場外乱闘。

 公私ともに立て込んでいるので、今日は小ネタである。

ラヂオ講演集. 第10輯 (東京放送局 編 大正14-15)

 「東京放送局」というのは、今のNHKである。

 初代総裁にかの後藤新平を頂き設立されたのが大正13年の11月、翌14年3月から本放送開始なので、この「ラヂオ講演集」というのはまさに黎明期の記録。
 近デジにはその十編が収蔵されている。

 ご家庭向けの話題から学術的な話題、時代柄の軍事関係の話題・アジ演説wまで、中々にバラエティに富んだ話者・内容である。後藤新平だの高田早苗だの北里柴三郎だの、著名人の「肉声」が記録されているので興味深く読める。

 で、なんでわざわざ第10輯を取り上げるかというと、この「ラヂオ講演集」、話者によっては肖像写真が載っているのだが、こんな写真を発見したからだ。
c0071416_15311198.jpg

 江戸川乱歩若かりし日の写真である。

 流行りのカンカン帽に蝶ネクタイ、白スーツ。
 なかなかの伊達男っぷりではないか。

 乱歩先生は明治27年(1894年)のお生まれなので、大正14年というと三十才前後。文壇デビュー直後、明智小五郎が登場する「D坂の殺人事件」や「心理試験」を書いた頃の写真だろう。

 乱歩先生が日本の推理・SF・怪奇幻想小説分野に堂々たる足跡を残しておられる巨匠であることは言うまでも無いが、ご尊顔として印象に残っているのは、晩年の禿頭・眼鏡の写真、という人は多いのではないか。
 少なくとも俺はそうだった。

 こういう「発見」があるので近デジ漁りは止められないのである。

 もう一個、小ネタ。

 以前、近デジ本の「ラクガキ」について記事を書いたが、最近見つけた面白いラクガキ。

今の世の奇蹟(黒岩涙香 著 大正8)

 その扉と巻末で、またしても読者同士が場外乱闘w
c0071416_15314756.jpg

c0071416_1532583.jpg

 「Y・I生」「政治家志望生」クンはよっぽど感銘を受けたのだろう、「実に貴い本だ」「実に不思議だ」「黒岩先生は偉い」「偉大なる教訓を得ました」と褒めそやしているが、一方で「何が不思議だ 面白くない」「何が偉大だ エラクない」「黒岩先生凡夫」とメチャクチャにdisってるヤツ。

 さて、現代の読者なら先刻ご承知の如く、この本、黒岩涙香「著」となっているが、黒岩涙香を知ってる人ならご推察の通り、中身はウェルズの"The Man Who Could Work Miracles"(「奇蹟人間」)のパクリ「翻案」である。

 その意味では、黒岩涙香的には誤爆、「おもしろくない」だの「凡夫」だのdisられててもいい迷惑という気がしないでもないが、まあ、パクリ「翻案」の常として以て瞑すべしというべきだろうか(笑)
[PR]
by SIGNAL-9 | 2013-04-24 15:36 | 読んだり見たり

【近デジ漁り】逸話 その2 文学者編

 近デジ漁って見つけた逸話集の続き。

 例によってかなり端折ったり盛ったりしてるので、原文の引用ではない。ご注意のほどを。

『文壇風聞記』(妖堂居士 編 明治32)

 幸田露伴が箱根の温泉に遊んだときの話。
 露伴は筮竹占いが趣味だったので、女中の運勢を占ってやったりしていた。
 ある日、お客の金が紛失するという事件が発生した。
 相談を受けた露伴は、女中を残らず集め、筮竹を鳴らしながらこう宣った。

 「なくなった金は、何かのものの下から出てくるだろう。もしも人が盗んだものなら、三日以内に犯人が捕まるだろう」

 その夜、無くなった金は一銭も失わず布団の下から出てきた。
 集めた女中の内にいた犯人が、占いを聞いて恐ろしくなり金を返したのだろう。

 占いが見事的中したと評判になり、
 「台所の魚が盗られたのですが、犯人は犬でしょうか、猫でしょうか。ちょっと占ってください」
 などということまで相談されるようになり、露伴は大いに辟易したとか。


 尾崎紅葉の学生時代の綽名は「漢方医」だった。
 尾崎が大の数学嫌いだったためで、算嫌い=さんきらい=山帰来(漢方薬に使われるツル科の植物)に引っかけたのである。


 福地櫻痴が『新小説』誌に『春雨傘』という作品を掲載した時のこと。
 新型の傘と勘違いしたのか、「上製三十本大至急」という注文が来た。


 饗庭篁村が朝日新聞の連載小説を引き受けたとき。
 挿絵のための打ち合わせや注文があまりに煩雑なのにキれてしまい、

 「小説は文章で意を述べ事を叙するものだ。なんで挿絵の力を借りる必要があるんだ? 挿絵の力で人を感動させるのだったら、むしろ文章なんか不要だ! ぼくは今日限りで文壇を引退する!」

 利にさとい朝日新聞社主は、字だけの小説は婦女子の人気がすこぶる悪いことを心配し、ひたすら篁村を説得した。
 篁村も最終的には折れ、小説は挿絵入りで発表されたが、篁村はその挿絵の上にこう断り書きを入れた。

 「この絵は小説の挿絵にあらず。小説が挿絵の説明をなすのみ


 泉鏡花は自分の草稿に他人が手を触れることを極端に嫌悪した。
 ある人がこれを知らず、何気なく鏡花の原稿を手にとって一読したるや、鏡花は原稿に付いたケガレを払うために、神棚に上げてある酒瓶から原稿用紙に酒を注ぎかけた。

『文壇失敗談』(文壇楽屋雀 編 大正5)

 泉鏡花は凝り性・完璧主義で知られるが、学生時代から外国語だけは苦手だった。
 だから酔っぱらうと今でも

 「世界で俺の嫌いなものは、ロダン親爺にトルストイ」
 などと駄句るのだそうだ。


 「神武天皇も幡随院長兵衛もギリシャ人である」などの怪説で気の弱い学者を煙に巻いている木村鷹太郞が、ある日、知人と呑みに出かけた。
 酒の席でも「神武帝の東征というのは実はイタリア遠征だ」「神功皇后の三韓征伐というのはエジプト征伐である」「在原業平はナイル川のフラミンゴだ」などとトンデモない説で気炎を上げる木村に、知人が質問した。

 「じゃあ、木村鷹太郞はギリシャでは誰に当るんだい?」


 ある日、巡査がみすぼらしい身なりの男を見とがめて職質を行なった。
 「名前は」
 「西田」
 「職業は」
 「京都大学に勤めている」
 巡査はさっそく京大に「西田という小使いはおらぬか」と問い合わせた。
 京大の答えは「そんな名前の小使いはいない」。
 ますます怪しんだ巡査は男を詰問したが、拘束するほどの証拠はなかったので、「西田幾多郎」というフルネームを確認した上でその場は放免した。

 数日後、「西田幾多郎」というのが”西田哲学”で知られる京都帝国大学教授・哲学者の西田博士だと悟った巡査は署長と一緒に詫びに行ったという。


 国木田独歩と呑みに出かけた田山花袋。二人ともぐでんぐでんに酔っぱらって、独歩の家まで帰り着いた。
 酔眼でテーブルの上を見ると、旨そうな羊羹が一切れある。
 元々甘い物にも目がない花袋、ひょいとつまみ上げるとパクリと頬ばった。
 あにはからんや、羊羹と思ったのはマッチの空き箱だった。


 帝大生たちの間で「三四郎」という代名詞が使われている。
 これは言うまでもなく夏目漱石の「三四郎」から来ている新語で、「一高を経ないで、地方の高等学校から帝大に入った者」という意味。
 本郷の通りでは、一高出身でないものは誰彼構わず「フン、三四郎か」と言われるのである。


 自然主義文学の雄、岩野泡鳴の特技は投石だった。
 「木の枝の鳥を狙って投げれば百発百中さ」と自慢していた。

 ある夕暮れ、友達と一緒に芝公園を散歩していたら、向こうの木陰になにやら白いものがチラチラ覗いている。
 てっきり小鳥だと思った泡鳴は、落ちていた瓦のかけらを拾い投げつけた。
 狙いあまたず見事命中したのは、立ち小便をしていた通行人のイチモツだった。

『名士の笑譚』(吉井庵千暦 明33)

 出版社の春陽堂が幸田露伴に原稿を依頼した。
 が、露伴は気むずかし屋で、意にかなわないと筆を執らない性格。
 何十回催促しても原稿は出来上がらない。
 業を煮やした春陽堂の主人は露伴を自宅に招き、原稿を書かせることにした。
 露伴のご機嫌を良くするために、高級料亭から料理を取り寄せ歓待した。
 さんざん呑んで喰って、機嫌が良くなった露伴は、ようやく筆を執って机に向かい原稿を書き始めた。
 主人はしめしめと思い、邪魔をしないように階下に降りて完成を待つことにした。
 やがて夕方。
 主人が様子を窺うと、酔っぱらった露伴は雷のような鼾をかいて寝ていた。
 机上には二・三枚の原稿が書き散らしてあった。
 主人が内容を確認してみると、あにはからんや、それは頼んでいた原稿ではなく、翌日の国民新聞に載せる小説の続きだった。


 『翻訳文範』なる本の編纂を計画していた人が森鴎外に相談した。

 「世の中の、翻訳と称するシロモノの大半は意訳で、内容を勝手に増減したりして、その趣味すら十分に伝えるものは少なく、青少年に間違った知識を与えるものも少なくありません。
 どこかに一字一句原作に典拠していて、かつその趣味を十分に伝えている、模範になるような名訳はないでしょうか」

 これを聞いた鴎外、自分が翻訳した本を差し出して、
 「どっからでもお抜きなさい」

『現代名士抱腹珍談』(語句楼山人 大正1)

 夏目漱石は蔵書家としても有名。それゆえ、非常に火事を恐れていた。
 ─― いつ何時どこから火事が起こらぬとも限らぬ。大切な本を守るためにはどうしたらよいか ――

 漱石が三日三晩考えた結論は、大きな袋を五十ばかり用意することだった。
 いざという時には自分と奥さんでその袋に本を詰め込んで、担いで逃げるつもりらしい!


[PR]
by SIGNAL-9 | 2013-04-01 12:13 | 読んだり見たり

【近デジ漁り】逸話 その1

 拙ブログへの検索キーワードで、常時上位に入ってるのが「陸奥亮子」なのである。
 彼女の写真を掲載したのが比較的早かったからか、画像検索で拙ブログの該当記事がけっこう上位に来る所為なのかもしれない。

 陸奥亮子といえば、『明治大臣の夫人』(岩崎徂堂、明治36)によると;

 新橋で一二を争う芸者だった亮子は、先妻に先立たれた陸奥に後妻として迎えられたが、結婚してすぐに陸奥は反乱を企てた疑いで仙台刑務所にぶち込まれてしまった。
 残されたのは先妻の残した二人の子供と膨大な借金の山。

 普通だったら逃げてしまいたくなるところだが、亮子は女の細腕ひとつで二人の子供を育てながら家を守った。

 陸奥は出獄後、今度は一転、公使としてアメリカに赴任させられる。
 亮子はこれに同行した。もとより専門の教育などを受けたことはなかったが、さすがは新橋で左褄をまとった身、万事にかけて抜け目なく立ち振る舞い、社交界で東洋の名花と評判を取った。

 陸奥宗光は「くれそうで暮れぬはむつのかね」などと新橋界隈で揶揄されるほどの遊び人だったが、亮子夫人のこととなると一も二もなく褒めてばかりいた。夫人も、粋を通して夫の外での遊びには寛容だった。
これが家庭が丸く収る秘訣かと門生一同も感服していたという。

 …とまあ、良妻賢母とか大和撫子とか才色兼備とか、その手の四文字熟語を貼り付けて済ませたくなる。

 だが、『明治大臣の夫人』には、続けてこんなエピソードも紹介されているのだ。

 陸奥伯は、才知人並みに優れ、意思の力も強大な男であったが、人情にはごく冷淡酷薄で、一滴の涙をも持たぬ性質であった。

 ところがある時、この陸奥が自分のことは棚に上げて、ある人物を評して『あいつも今少し人情を斟酌するようでなくっては』と批判した。

 亮子夫人は、伯の顔をまじまじと見つめたかと思うと、すぐに、

『そう仰される貴方はどうです。藪をつついて蛇を出すとは、まぁこんなことで御座いませぬか』

 とピシリといった。

 陸奥宗光は返す言葉もなかったとか。

 さすが亮子、惚れ直したぜw
 美人キレイという女性ならいくらもいるが(いるだけで縁はないが)、こういうビッとした美人は中々いないのであるまいか。
 まったく陸奥の野郎、上手いことやりやがって(笑)。

 人名辞典の短くノッペリした記述だけでは判らない、その人の生身の陰影が見えてくるところがこういった「逸話」の楽しいところだ。

 そして、いつの世でも有名人の逸話・うわさ話というのは人気のあるコンテンツである。明治・大正・昭和初期の文献が主の近デジにも、この手の本がけっこうたくさん登録されている。一本一本の記事が短いものが多いので、つまみ読みにはちょうど良い(笑)

 所詮はうわさ話、かなり怪しげなものも多いが、こーゆーものは詮索するのもヤボなので、真偽はひとまず置いておいてw、おもしろいと思った話をいくつか紹介してみたい。
 尚、読みやすさ優先でかなり端折ったり、盛ったりしてるので、ご注意の程を。
『現代百家名流奇談』(鈴木光次郎 明36)

 大阪梅田の某茶亭に、三人の男が食事に来た。
 給仕の下女が、一番年かさの男が身につけていた珊瑚の緒締めを褒めると、「欲しければあげよう」と気前よく渡してくれた上に、二円の勘定に五円札をポンと投げ出してスッと帰ってしまった。
 紳士らが帰った後を片付けていた下女、「あら、鞄をお忘れだわ」

 中身を検めてみたら中にはスゴイ金額の札束が。

 店の亭主は、
 「どうも初めからヘンや思てた。泥棒か何かに違いないわ」
 と、大阪府庁の知り合いにご注進することにした。
 大阪府庁で亭主が一部始終を訴えていると、なんと、下女に案内されて先ほどの三人組がやってきたではないか。
 「あ! あれや、今言うた盗人は!」
 と亭主が声を上げるよりも早く、奥の部屋からバタバタと慌てて飛び出てきて、三人の前でペコペコ挨拶し始めたのは渡邊大阪府知事。

 三人の男というのは、旧幕の鍋島藩と大村藩の藩主、そして一番年かさの気前の良い男こそ、先の征夷大将軍・徳川慶喜だった。

『実業家奇聞録』(明33)

 日本銀行副総裁の高橋是清には「あんパン」という綽名があった。

 この綽名の由来には、是清の大好物があんパンだからという説と、かつて天ぷら十人前に飯四人前、ざるそば二十二枚、さらにあんパン二十個を平らげた大食漢だから、という説があるが、最近の彼の友人に言わせると

「是清は体が太ってどっちが前か後ろかもわからない、まるであんパンにそっくりだからさ」

『名士奇聞録』(嬌溢生 明44)

 のちに第一国立銀行・王子製紙・日本郵船・日本鉄道などの創立に携わる大実業家渋沢栄一が、慶応三年、徳川(清水)民部大輔の随行でパリに赴いたときの話。

 まだチョンマゲ武士だった渋沢は見るもの聞くもの珍しいものばかり。
 フランス皇帝の晩餐会に招待された渋沢、デザートの氷菓子も初めて味わうものだった。
 「冷たくて甘い。これは珍味だ。一人で味わうにはもったいない。今日来られなかった同輩にも味わわせてやりたい」
 渋沢は密かに氷菓子を紙に包み、着物の袖に隠した。
 宿に着いた渋沢が同輩に配ろうと紙を開けてみると、珍菓は既に溶けてしまい、影も形もなかった。


 これも渋沢栄一の洋行時の話。
 アメリカのニューヨークに初めて行ったとき、たまたま夏だったので、行き交うアメリカ紳士がみんな夏向きの白いズボンを履いていた。
 ――あれがこの土地の風俗なのか。
 この頃にはもうチョンマゲ姿ではなく洋装していた渋沢は、郷に入っては郷に従え、さっそく着ていた礼服の黒いズボンを脱いで、白いメリヤスの股引一張になり、フロックコートを着て町を闊歩した。

『明治奇聞録』(青木銀蔵 編 明35)

 大久保利通が内務卿を務めていたときのこと。

 ある日、大久保は東京府知事に、
「近頃市中に流行する"金魚の鮨"を禁止すべきだ」
 と語った。

 東京府知事は直ちに部下に命じて取り締まりを行なわせたが、大久保が告発したような、金魚を鮨にして売っている寿司屋は発見できなかった。
 その旨大久保に報告すると、大久保は頭を振りながら、
 「いやいや、金魚の鮨は市中至る処にある。案内するから一緒に来なさい」
 近所の寿司屋の前で「ほら、あそこにあるのがそれじゃないか」
 大久保が指さしていたのは海老の鮨だった。


 講道館柔道を興した嘉納治五郎は大学時代、美少年好みで知られていた。
 なので講道館設立の時に「良い稚児を集めるための策だ」と噂された。

『茶話』(読売新聞社 編 明34)

 後に首相となる政治家・犬養毅は刀剣の鑑定に詳しかった。
 読売新聞紙上で刀匠の正宗の実在に関する論争が行なわれたとき、「正宗という人は実在したかもしれないが、正宗作として珍重されている刀剣は正宗の作ではない」という説を投書したものがニ・三人有ったが、それは全部犬養が名前を変えて投書したものだったらしい。

『奇物凡物』(鵜崎鷺城 大正4)

 大博物学者・南方熊楠が、熊野を訪れた知己を出迎えたときの話。
 「あんまり寒いから、途中でちょっと一杯引っかけてきた」と熊楠。
 「一杯って、どのくらい呑んだのかね」
 「なあに、四升ほどさ」

『現代之人物観無遠慮に申上候』(河瀬蘇北 大正6)

 男が夜中にふと目を覚ますと、黒装束の賊が白刃をちらつかせながら「金を出せ」。
 男は、強盗に向かって静かにいった。
 「静かにしろ。他の者が目を覚ますと具合が悪い」
 これには強盗の方が驚いた。
 「そりゃあこっちの台詞だ。早く金を出せ」
 「金なら二階にある。そこのはしごの上だ。勝手に持って行け」
 「その手は喰うか。俺が上に登ったらはしごを外す気だろう」
 「ふむ。なるほど」
 男は頷くと、自分で二階へ昇り、ありったけの金、十両ばかりを持ってきて強盗にくれてやった。
 この十両は、男が富山から出てきて、屋台の鮨屋や一膳飯屋をやってコツコツ貯めた金だった。
 「…どうもありがとう。俺も長年強盗をやってるがアンタみたいに肝の据わった人は初めてだ。何か折りがあったらこの恩は返すから」
 強盗がそう言い置いて帰ろうとしたら、いつの間にか外は大雨が降っていた。
 男は、一本の番傘を取り出すと「これも持っていきな」と強盗に差し出した。
 傘を差して出て行った強盗を見送った後、男は何事もなかったかのように布団に入り眠ってしまった。

 翌朝、隣の家の小僧が「お宅の天水桶の陰にこれが置いてあった」と持ってきたのは、強盗に与えた十両の金と番傘だった。

 強盗を感服させたこの度胸の主こそ、後に安田財閥を築く安田善次郎その人である。

『当世名士縮尻り帳』(節穴窺之助 大正3)

 教育家の新渡戸稲造は人形好き

 書斎には何個もゴロゴロさせている。ちょっと外出するときにも必ず懐に忍ばせ、病気で寝込んでいるときにも枕元に人形を並べて慰んでいるという。

 そのためなのかどうか、新渡戸は幼女が非常に好きで、誰の子でも抱き上げて、その笑顔を夢中になって愛でているという。

『現代名士抱腹珍談』 語句楼山人 大正1)

 北里柴三郎が知り合いの別荘に招待された。

 平生、自慢していた自分の逗子の別荘より遙かに立派な別荘だったので、負けず嫌いの北里博士、
「だいたい別荘というのは、毎年たたき壊して新規に作り替えるのが本則である。こんなにきれいに建造するのは本則に反しておる」
 などとdisった。
 すると知り合いは「先生の御説、誠に感服いたしました。ところで、空論ばかりでは駄目ですから、どうか後学のためにひとつ、先生の別荘から実行して頂きたいもので…」

 引っ込みがつかなくなった北里はご自慢の逗子の別荘をたたき壊す羽目になった。

 長くなっちゃったので、本日はここまで。

 次回文学者編の予定。
[PR]
by signal-9 | 2013-03-27 14:24 | 読んだり見たり

「機動警察パトレイバー」実写版プロジェクト…だと?

「機動警察パトレイバー」実写版プロジェクト 公式サイト

 もしかして押井か? 押井なのか? 脚本は? まさか伊藤和典? 
[PR]
by SIGNAL-9 | 2013-03-21 10:57 | 読んだり見たり

隕石の記録。

 ロシアの隕石事件、 けが人が一杯出たことも、家屋に大きな被害が出たことも重々承知の上で、あえて不謹慎な表現をすると「スゴかった」

 あの大きさの隕石があんな浅い角度で突入してきて空中爆発するところが、これほど大量に記録されたなんて、空前絶後のことだ。

 今回は突入角度が浅かった上、人口密集地に落ちたので大きな被害をもたらしたが、隕石落下自体はそう珍しいものではないのは周知のこと。

 ふと思いついて、手元にある江戸時代の奇談集を漁ってみた。
 大きな石が轟音と共に落ちてきたというものはないだろうか。
反古のうらがき

 (天保初年の)二十年ばかり前、十月の頃、八ツ時(午後二時)頃なるに、晴天に少し薄雲ありて、余(著者の鈴木桃野)が家より少々西によりて、南より北に向かひて、遠雷の声鳴渡りけり。 時ならぬこととばかり思ひて止みぬ。一二日ありて聞くに、早稲田と榎町との間、とどめきといふ所に町医師ありて、その玄関先に二尺に一尺ばかりの玄蕃石の如き切り石落ちて二つに割れたり。焼石と見えて余程あたたかなり。其所にては響も厲(はげ)しかりしよし。

 玄蕃石というのは、敷石とか蓋石に使用する長方形の板状の石のことなので、これはどうやら形状的に隕石のセンは無さそうだ。

 著者の鈴木桃野は、「南の遠国にて山焼きありて吹上げたる者なるべし」と推測している。「切石といふも方直に切りたる石にてはなく、へげたるものなるべし」、切石状といっても切ったものじゃなくて、剥がれたものなんじゃないか…と、何を言ってるのかよく分からないが(笑)、要するに剥離した石が山火事の影響で吹き上がったもの…ということなのかな。
 そんな事ありうるのだろうか。
半日閑話 巻16

 十月八日夜 牛込辺へ壱間半程の石落ち候由 先年は八王寺辺に石落ち候由 疑ふらくは異国より員数を計る為ならんやと。 この度も益々雷鳴有之 夜に入り光り物通るよしなり

 これまたよくわからない。雷鳴に光り物、ということで隕石と共通するような感じはあるが、大きさ一間半というと2.7メートル。
 エネルギー=(1/2)質量×速度の二乗である。いくら何でも、地上に落ちた時のサイズがそんなにデカい隕石だったら、こんな騒ぎで済むはずはない。
 ふわふわ落ちてきたとかいうのなら別だが。
「異国より員数を計る為」というのも、どういう解釈なのか学の無い俺にはさっぱりわからん。

 どうも怪しげなものばっかりだな。もう少しマトモな記録はないのか知らん…と探していたら、おお、毎度おなじみ『甲子夜話』巻四十にそのものずばりがあるではないか。

 同林子曰く今玆(今年)十月八日夜戌刻下り、西天に大砲の如き響して北の方へ行く。林子急に北戸を開て見れば、北天に余響轟きて残れり。後に人言を聞けば、行路の者はそのとき大なる光り物飛行くを見たりと云ふ。

 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
 こりゃあ間違いなく隕石である。
 奇談好きのボクらのアイドル、平戸の殿様、本所のご隠居こと松浦静山公、こういうことまでしっかり記録してくださっているのだな。ありがたいことだ。

 ━━ 数日後、林くんに再び話を聞いた。

 「私が轟音を聞いたのと同じ夜に、早稲田にある、下級の御家人の家の玄関近くに、石が落ちて屋根を打ち破り、破片が飛び散ったらしいです。
 七・八年前、これは真っ昼間でしたが、今回のような音がして飛行物体が目撃され、八王子の農家の畑の土に大きな石がめり込んだことがありました。この時の石は焼き石のようで、発見した人々は打ち砕いて弄んだそうですが、今度の石も同じような質のものだったと、見た人が証言しています」

 昔、「星が落ちて石になった」などといったのはこういうことなのだろうか。自然というのは思いがけないことをするものだ。

 以前にも書いたが、七・八年前の「飛び物」というのは、私(松浦静山)の家の者も目撃していた。
 大きさは四尺以上もあったらしい。赤いような黒いような、雲のような火焔のような、鳴動回転して中天をすごい速さで飛んだという。その飛行の跡は火光の如く、余響を曳くこと二三丈(6~10メートル)に及び、東北から西方に向かった。
 目撃した者は最初は驚いて見入っていたが、怖くなって家の中に逃げ込み、戸を塞いでしまったので、けっきょくどうなったのかは判らなかったという。
 林くんの証言を聞いたので、ここに継ぎ記しておく ━━ 

 さすが松浦静山、「星が落ちて石になった」=隕石というものを認識している教養もさることながら、この活き活きとして要点を押さえた記録は見事なものだ。
 カガク的に正しい隕石の記録は『天文年鑑』とか読めばいいのだが、こういうナマの目撃証言はやはり迫力がある。

 時代も下って明治大正の記録だと、近代デジタルライブラリーでも、このような「ナマっぽい」隕石の目撃証言が読める。

 日本の隕石史でもけっこう有名な美濃隕石に関しては、『美濃隕石 : 附・日本隕石略説』(脇水鉄五郎 著 明44)が詳しい。
 その他、『岡山県気象報告』(岡山県測候所 編 大正15)にも、隕石発見の生き生きとした記録がある。
[PR]
by signal-9 | 2013-02-21 16:40 | 読んだり見たり

【近デジ漁り】バンカラ

 さて、ゆるゆる女子トーク風で書くのはシンドイので、本項は通常モードで。

 「バンカラ」という言葉も、今や解説がいるかもしれない。

 前回のおさらいをしておくと;

 西洋風の服装いわゆる"洋装"の、"丈の高い襟"= "high collar" から、西洋風で目新しいこと、またはそれを気取った人のことを巷間「ハイカラ」と呼んだ。
 「バンカラ」のバンは野蛮の蛮、つまり西洋風で気取った「ハイカラ」に相対する、粗野な風体や態度のこと…である。

 ちなみに、森銑三に依れば、「ハイカラ」という言葉が一般化したのは明治後期―明治30年代だったということだ。これは名著、石井研堂『明治事物起原』(明治41)でも裏付けられる。
ハイカラの始

 明治三十一・二年の頃、毎日新聞記者石川平山氏、ハイカラーという語を紙上に掲げ、金子堅太郎(引用註;政治家。明治憲法の起草に参加。第三次伊藤内閣の農商相、第四次伊藤内閣の法相。日露戦争では対米外交にあたる)氏の如き、洋行帰りの人々を冷評すること度々なりし。泰西(西洋)新流行の襟(カラー)の様に高きを用いて澄まし顔なる様、何となく新帰朝をほのめかすに似て、気障の限りなりければなり。

 「ハイカラ」が明治30年代だから、当然ながら「バンカラ」という言葉はそれよりさらに後、明治末期あたりということになる。

 …というのが、いちおう辞書的な回答であるが、これだけだと具体的にどういう風体・行動が「バンカラ」と表されるのか判りにくい。

 ましてや廿一世紀の現代に於いては「バンカラ」は絶滅危惧種どころか、とうの昔に絶滅済みである。
 残念ながら我々は、「バンカラ」の生態に関しては、文献を頼りに想像せざるを得ないのである。

 バンカラの生態を探る上で好適と思われるのが、『快男児快挙録』(河岡潮風 (英男) 明45)。

 開巻登場するのが、明治の冒険小説作家・押川春浪。

 河岡潮風は春浪の若き友人―「子分」という方が実体にあってるかもしれない―だったので、春浪のバンカラぶりが活写されている。

 前回紹介した『犬絞殺して煮て喰っちゃった』エピソードは春浪バンカラ伝説でもかなり有名なもので、当然本書にも登場する。『快男児快挙録』には、他に春浪のこんなバンカラエピソードが紹介されている。
  1. 早稲田大学在学中のある日、寄宿舎の屋根に山鳩が留まっているのを見つけて、鉄砲をぶっ放した。
     見事命中、鳩は寄宿舎の庭に落ちたが、それを寄宿舎の生徒が横取りしようとしたので、ぶん殴っていたら舎監が飛んできたので、それも恫喝して追い払った。
     「やあい、腰抜け」と祝砲を三発。
     この事件で、東北学院に続き早稲田も放校になりかけた。


  2. 明治44年の春ころ。九十九里浜の別荘からの帰りの汽車の中で、軍人二人が芸者買いの話をしていた。話がどんどん卑猥になるので、春浪は席を立つやいなや、軍人の胸に輝く金鵄勲章を摘んで「おい、君の勲章はオモチャかい」
    「何だって君はそんな失敬なことを聞くのだ?」
    「失敬と怒るくらいなら、もう少し話を慎んだらよかろう。いやしくも帝国軍人としてあんな馬鹿な話がよくできたものだね」
    怒った軍人の一人が「書生上がりの分際でつべこべいうな」と、サーベルを引き寄せた。
     「斬るなら斬れ。武器も持っていない忠良の民に、刀を振り向けて、それで威張れるものなら威張ってみろ、さあ斬れ」
     と啖呵を切った。
     気圧された軍人は平謝り。
     ちなみに春浪、この時は奥さんと子供連れだった。


  3. この事件の直後、両国駅で奥さん達を先に帰して一人料理屋に入った春浪。隣室の客が社会主義について談じる会話が聞えてきた。やがて、幸徳秋水がどうだの社会主義に同情するだのという話になった。
     春浪はやおらその部屋に飛び込んで、「国賊、そこを動くな」と料理をはじき飛ばして膳の上に座り込んだ。
     警官が呼ばれすったもんだの末、家に帰った春浪の尻のあたりに味噌や醤油がべったり付いているのを見て奥さん曰く「アラまあ、また喧嘩なすったの」


 まさに蛮カラ、はっきり言ってメチャクチャである。

 同書には春浪以外にも、様々なバンカラ野郎の「武勇伝」が掲載されている。

  1.  早稲田大学講師の永井柳太郎君イギリス留学中の話。
     有色人種差別も激しい時代。寄宿舎生活をしていた永井君、白人学生達に食いかけのパンを投げつけられたり罵倒されたりしていた。

     ある晩、三階に住んでいる白人連中から、二階の彼の部屋に多量の水が流し込まれ、寝室がメチャクチャにされてしまった。
     あまりと言えばあまりの横暴。永井君は三階に駆け上がる。蜘蛛の子を散らすように逃げ回る白人学生。
     逃げ遅れた一人を捕まえて鉄拳制裁。さらにステッキで打擲しようとすると、逃げ出した連中も、もう降参だ許してくれとわびを入れ始める。
     永井君は白人学生を踏みつけたまま大喝した。

     「自分は英国国民はジェントルマンとして恥ずかしからぬ国民であると聞いていた。しかし実際来てみると実に失望せざるをえない。諸君の誰を見ても一人としてジェントルマンらしい振る舞いをしたものを見ない。諸君の異人種に対する侮辱と冷笑、他の人種はそれでも済むかもしれないが、我輩は大和民族である。日本人には大和魂がある。侮辱されて黙っているわけにはいかない!

     これ以降、永井君は滞在中指一本さされなかったそうだ。

     (ちなみに、この『永井柳太郎君』というのは、後に早大教授となり、雑誌「新日本」の主筆を経て国会議員を八期務め、斎藤内閣の拓相、近衛・阿部両内閣の逓相を歴任した永井柳太郎のことだろう)


  2.  北海道の川上中学校での話。卒業を迎える五年生が後輩に何か置き土産をするべく協議していた。あるものは名士揮毫の額を残そうといい、あるものは貯金して書籍を買ったらどうか、と提案した。
     その時、一人の青年が発言した。
     「諸君、我々は物質ではなく精神を残そうではないか。雨天体操場にストーブが設置してあるが、なんたる愚策だ。北海の健児が炉端にかじり付いてどうする! 上級生として下級生の堕落は見ておられぬ。行きがけの駄賃にあのストーブを叩き潰してしまおうじゃないか!」
     破壊を好む学生ども、たちまち意義無く本案を可決。昼休みに体操場に押しかけて、ストーブの火に小便をかけて消し、ロープで天井までつり上げて、トンガラガンと地上に叩きつけて破壊してしまった。

     爾来、冬場は零下20度を超える極寒の川上中学体操場には、今もストーブが設置されていないという。


  3.  横須賀基地で弾道学の第一人者と言われている井口海軍少佐の中尉時代、日露戦役出征時の話。
     明日は出動という日、名残の酒盛りと称して同僚の士官たちと飲めや歌えの大騒ぎ。
     「なんだなんだ料理の出し惜しみをしやがって」「おまけに料理がまずいわい!」
     酔った勢いでブーたれる若手士官を、古参の副長がたしなめた。
     「何を贅沢な、オイなんか戦時には色々ヒドイものを喰うたもんじゃ」
     それを聞いた井口中尉、
     「ヒドイものといったところで人間の喰うものだろうに」
     と呟いた。それを副長が聞きとがめた。
     「それじゃあ、貴様は人間の喰えぬものが喰えるか」
     「あなたが喰えるものならば」
     「それじゃあ草鞋を喰ってみろ」
     「合点だが、しかしあなたも喰うのでしょうな」
     「貴様が喰ったなら喰おう」
     「武士の一言を聞いて安心しました。さぁ、草鞋を持ってこい」
     井口中尉、口からタラタラと血を流しながら草鞋の片足をバリバリと食べてしまった。
     副長は蒼くなってわびを入れたという。


  4.  いや、もう、ほんとにバカばかりである。

     河岡潮風は、あるバンカラを評して
    「この意気は愛すべし。行いは学ぶべからず」
    としているが、まさに言い得て妙。

     とはいえ勿論、河岡潮風が本書でこのように取り上げているのは、当時でさえ「バンカラ」が既に珍しいものだったからに外ならない。

     例えば、同時期(明治45年)の『全国高等学校評判記』(出口競)をみると、最近の一高生は覇気が無くなったという話が出ている。

     (徳富蘆花の講演会が開催されて、)当日、蘆花氏の演説中、誰一人としてこれに反抗する人は無かった、お客だからとて遠慮するような学生はもともと一人も居なかった筈である。温和しいどころか、約二時間にわたって聴衆は水を打った如く静まりかえってポカンと辯士の顔を見ながら、さながら人形を並べた様に木の腰掛に尻を下ろして居た。その時慌てたのは生徒より先生である、会散じて三々五々、薄暗い校庭を縫うての帰途、一人の大学生は瞳を上げて『一高も駄目だね。誰一人立ち上がって異論を上げる者も無いじゃないか』と呟いた。この一寸した言葉の背景は明らかに一高の近況を語っているのである。


     永井荷風氏がかつて『新小説』に書いた『すみだ川』という小説を見ると、主人公が二十歳まで辿って来た柔らかい生活から、あの荒々しい賄征伐(引用註:賄い所を襲撃して食い物をぶんどったり、食堂で大騒ぎすること)とか、ストウム(引用註:入寮したての新入生の部屋を深夜に集団で襲撃し、石油缶を叩きながらデカンショ節を歌いまくるわ、土足で騒ぎまわるわ、無理矢理酒を飲ませるわ自分も酔っぱらってゲロをぶちまけるわ…の狼藉に及ぶこと)とかで充ち満ちて居る一高の空気の中に、どうしても身を置く気が浮かばないので、上る望みのある試験をわざわざ落第したという事がかいてある。これを読んだ一高の生徒は何と言ったろう。『うまい事を言ってるね』と不器用に腕組みをして首を振った。これが昔の一高ならば、正しく粗暴とか蛮殻とかの肩書きの手前、『何んだベラボーな』と『新小説』を地べたに叩きつけたものであろう。



     「最近の若い者は覇気がない」「俺も若い頃はワルだった」は中二病をこじらせて慢性化させてしまったオッサンの決まり文句だが、明治の御代も変わらなかったわけだ。

     ここでdisられてる一高生たちも、オッサンになったらきっと「今時の若いのは」と言っていたに違いない(笑)。

     なお、河岡潮風の同趣向の著作、『書生界名物男』(明44)も近デジで読めるので、是非。
    [PR]
by signal-9 | 2012-12-05 14:22 | 読んだり見たり

【近デジ】PDF印刷の仕様が変更された…みたい。

お知らせ
2012-11-13
「印刷」ボタンによるPDF出力の上限コマ数を、10コマから20コマに試験的に拡大しました。
ただし、高負荷等により、サービス全体に影響が生じる場合には、予告なく元の設定に戻させていただくことがあります。予めご了承ください。

2012-10-30
一部の資料において、「印刷する」ボタンから作成されるPDFファイルが正しく表示・印刷されないという不具合が発生していましたが、対応いたしました。
ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。
(なお、より精細な画像が必要な場合には、1画像ずつとなりますが「JPEG表示」ボタンからご利用ください。)
 ふむ。
 たしかに上限が10→20コマに変更されている。コマ数が倍になった分だけ微妙に遅くなったような気もするが、以前みたいに10コマずつ30秒開けるよりはいいのかな。

 最近は自動ダウンロードばっかりなんで、個人的にはあまりメリットは感じないけど。

 あえて難癖を付けておくと、「ただし、高負荷等により、サービス全体に影響が生じる場合には、予告なく元の設定に戻させていただくことがあります。予めご了承ください。」というのは頂けない。
  1. 制限を緩くするのは予告無しでもよかろうが、その逆は一般論としてはマズイだろ、まあ、緊急避難的な対応としてならやむを得ないけど。

  2. スタティックなPDFをキャッシュさせとくような手段は、そんなにバカなコストでないものがいくらもあるというのが、今のところの世間的常識なのではあるまいか。

 それよりも俺的に大きな変化は、PDFの中身がデフォルトでJPEG 2000からJPEGに変更になってることだ。
 これ、明確な「お知らせ」にはなってないが、愚推するに、Acrobatでの表示不具合に対処する為なんじゃなかろうか。

 前にも書いたけど、JPEG 2000はWindowsではOSでサポートされてないので取り回しがちょっと厄介だった。デコードするのにOSの標準機能が使えないので、何か別のものを用意する必要があったのである。

 何か別のものといっても、残念なことに、Windows環境のPDF用ユティリティではJPEG 2000(JPXDECODE)に対応しているものはまだ多くないので、選択の幅が限られていたわけだ。
 ちなみに俺も、PDFの取り回しにはiTextSharpを使っているのだが、これが未だJPXDECODEには対応していない(クラス構成を見ると対応するつもりはあるようだが)。

 上手い具合に、中身がJPEGだったら、PdfImageObjectで取得したイメージは、GetDrawingImageでそのままSystem.Drawing.Imageに代入できるのである。

 これが意味することは、例えばJPEG 2000に非対応の安価なPDF操作ソフトでも、ページ毎の画像にバラせるということだ。
 ちなみに、今手元にある「リッチテキストPDF ver4」の「画像の抽出」機能はJPEG 2000非対応だったが、現時点で取り直した近デジPDFからならば、ちゃんとJPEG画像が取得できた。

 JPEGはJPEG 2000と違い不可逆圧縮だが、フツーに読む分には問題にはならないだろうし、サイズ的にも概ね小さくなるので、個人的にはこの変更は歓迎している。

 …ということで業務連絡。

 モルモットになってくれている方、取得コマ数指定(デフォルト20コマに変更)とJPEGファイル出力モードを追加したので、試してみたい人は連絡済みのところからDLして下さい(パスワードはこの間と同じ)。-jオプションで、DLしたPDFに含まれる全頁をJPEG形式で出力できるようにしました。
[PR]
by signal-9 | 2012-11-13 12:26 | 読んだり見たり

じょしらく


c0071416_1684742.jpg
ねえ、今年の夏アニ、結局何がよかったの?


c0071416_1681552.jpg
つまんねーこと、聞くなよ!


c0071416_1632357.jpg
こんなエントリ、しこしこ作ってる段階で聞くまでもないだろ。


c0071416_1675163.jpg
そうね… 落語、可愛い女の子、久米田ギャグ… ブログ主の趣味嗜好にぴったりだったじゃない。


c0071416_1671395.jpg
ずいぶん不健康な趣味だよね(笑)


c0071416_1632357.jpg
ブログ主的には、やっぱりBパートの"町歩き"が捨てがたかったみたいだな。制作側は大分苦労が多かったのだろうが。


c0071416_1671395.jpg
「苦労してやる意味あったのか」みたいな自虐ギャグがあったものね。


c0071416_1675163.jpg
ブログ主、夏アニでは唯一HDDに残して、何度も見返してるみたいよ


c0071416_1681552.jpg
…なんかキモいな、おい。


c0071416_1684742.jpg
そんなこと言うもんじゃないわ。まあ、キモいんだけど。


c0071416_1632357.jpg
『キモヲタも四半世紀以上続けりゃホンモノ』というのが持論らしいからな。意味判らないけど。


c0071416_1671395.jpg
一期が終わっちゃって見るアニメがなくなった…なんて嘆いてるらしいよ。キモいけど。


c0071416_1675163.jpg
なんでも青色円盤全巻と、来年のDVD付コミックも密林で予約済みらしいよ。赤貧を芋で洗うような貧乏人なのに…


c0071416_1632357.jpg
無茶しやがって…


c0071416_1671395.jpg
『二期希望』とか呟いてるらしいよ。キモいね。


c0071416_1632357.jpg
原作が払底してるからなぁ。オリジナル脚本だけだと、久米田-オリジナル-久米田という、あの絶妙のバランス具合が壊れちゃいそうだし。二期は難しいんじゃないか。


c0071416_1684742.jpg
その程度のことは理解できてるから、「脳内じょしらく」がこのエントリってわけね。


c0071416_1681552.jpg
キモ過ぎるだろ、おい!!

[PR]
by signal-9 | 2012-10-25 17:04 | 読んだり見たり

『特撮博物館』を観てきた。

 とっとと行かなきゃいけなかった(義務かよ)のだが、ずるずる先延ばしにしていたら10月8日までだったので慌てて、館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技を見に行った。



 いや、もうね。 なんつーか、燃えるわ。

 メーサー砲台を始めとする東宝自衛隊の特殊車両の数々。我が青春の轟天号。テレビ版に改修された"わだつみ"。しれっと置いてある妖星ゴラスの"実物"。足場からしたたり落ちた鉄錆の後まで再現している電柱のミニチュア。

 思わず隠し撮りしたくなるお宝の山。
 いや、もちろんそういう不正行為はやらないが。

 ちゃんと撮影用のミニチュアは用意されているしな。



 みよ、この作り込み!



 安物のデジカメで撮っても、このクオリティ!









 我ながら不思議なのだが、今や「絵」という観点だけに限れば、CGIでほとんどカバーできるからミニチュアの出番なんかないだろ、とアタマでは思ってるのに、何で"物理的現物"というのはこんなにも魅力的なのだろう。

 二次元の絵では満足できないからフィギュアが欲しくなったりするのと同じなのかなぁ。物神崇拝の変形? それともやはり、俺には言葉には出来ないけど、どこかが「違う」から?

 夏休みも終わったというのに、かなりの見物客が来ていたことにびっくりした。

 なんだよ、特撮好き、まだまだいるんじゃん!

 こんだけ客が入るんなら常設館でもイケんじゃね?

 この博覧会の為に作られた『巨神兵東京に現わる』も良かった。何よりも作り手が楽しんでいるのが伝わってくる。

 "特撮映画"が作られなくなってからかなり経つ(申し訳ないが、今のウルトラマンとか仮面ライダーや戦隊ものの"映画"は、俺的には"特撮映画"とは思えないので)。

 『巨神兵東京に現わる』を観て、「これが最後の特撮とは思えない…」と無邪気に呟ければ幸せなのだが、興業という側面から考えると、中々難しいだろう。
 でも、適当な機会と場所と、作り手の熱意があれば、これだけの集客力はあるわけだ。
 あえて文句――というか、嘆いておくと、そこここの説明書きに「是非大画面で!」という趣旨の一文が添えられていたのだが、現実問題として、その「大きな画面」で見ることが出来る「場所」が無い。

 このレベルの展示内容で、ミニシアター規模でもいいから上映システムが併設されていて、昔の"特撮映画"のローテーション上映でもやってくれる常設施設があったら、けっこうやっていけるような気もするのだがどうか。

 例えば、往事、映画興行の一大拠点だった浅草は、この10月でとうとう映画館が無くなってしまうそうだ。
 いまや「映画だけ」で食ってくのは無理だろうが、こういう"忠誠心のあるファン"が付いているジャンルのものなら、合わせ技でナントカ商売になりそうな気がするのは素人の甘い見積もりなのかなぁ。
 浅草のある台東区は、上野に美術館群も抱えてるわけだし、「コメディ映画祭」もいいけど、こーゆー"ヲタク向け"のジャンルにも目を向けてくれないかなぁ。

 …と、浅草の映画館で東宝特撮の黄金期の作品を鑑賞したオジサンは思うわけだ。


 帰りがけ、スカイツリーが遠くに見えた。

 『あれ、どうやったら格好良くぶっ壊われるかなぁ』

 と、妄想が広がった。
[PR]
by signal-9 | 2012-09-24 12:33 | 読んだり見たり

【近デジ漁り】江見水蔭の『実地探検』


 断崖百丈の下に一大岩窟がある。ここに悪灘の海水が絶えず突入して奥の奥まで波頭を打込むために、その音響が百雷千雷の轟く如くに聴えて、恐ろしくもまた物凄さというものは、如何なる勇者をも思わず知らず戦慄せしめて、永く窟内を窺うに堪えざらしめる。

 断崖百丈…一丈は3メートルなので、300メートルの断崖の下。そこに荒波の轟音渦巻く謎の洞窟があるという。

 あの龍窟、即ち龍池穴には、実に往事より深く進んで、その奥の奥、底の底、それを探求した者が無いとの事。何故ならば、この窟の奥には、毒龍が封じ込められているとの俗説を信じている者が多いので。

 その名は龍池穴…。「龍」の名の由来は、そこに毒龍が封じ込められているという伝承があるからだという。
 だが、この「龍」の伝説、まんざら根も葉もないことではないらしい。

 名を聴いても身の毛を立たしめるところの海蛇が棲息しているからである。
 口広く、牙鋭く、一度人に噛み付かんか、如何にしても離す事なく、首を切られても頭のみは噛み付きて離れず、かれこれする内に牙毒が全身に廻りでもすれば、見る見る五体紫色に変じて、一命をこれがために失うのもある。
 殊に最も龍窟に多く棲息するとの事であるから、古人がこれを毒龍と称して恐れたのかも知れぬ。


 しかし、斯くも恐るべき龍窟の探検を、思い立った者が、今より以前無いのでもあらぬ。しかも二人まであった。
 が、二人とも失敗した。

 一人は嘉永年間、荒行の場にこの龍窟を選んだ行者。三日目に荒波に掠われ死体も上がらなかった。もう一人は明治の初年、蝋燭を五箱ばかり背負い、奥深く進んだ無謀な者があったが、遂に生還しなかったとか。

 うううううむ。
 300メートルの断崖の下、荒波と猛毒海蛇に守られる前人未踏の大魔窟! 血が騒ぐじゃないか。

 で、その魔窟はいったい、いずこにあるのか?! 

 そのすさまじき岩窟は何処にあるかというに、余が片瀬の假居からほど遠からぬ江の島の南岸、かの奥の院と称して世人がよく見物に出入する第一の龍窟に隣っていて、山二つの下へ廻ろうとする海角の東南面に開いてあるのだ。

 ええええええええええ江の島ぁあ?!

 片瀬の江の島って、あの神奈川県の江の島だよな… たまにお天気カメラで中継されている… アニメ「つり球」の舞台だった… 
 一番高いところでも標高60メートルくらいしかないじゃないか。断崖百丈ってもしかして、高さ300メートルじゃなくて幅が300メートルの崖って事なの?

 いや諸君、多少オーバーな表現は大目に見てほしい。

 何しろ著者の江見水蔭は、明治の冒険小説家なのだから。

 『怪竜窟 : 実地探検』(江見水蔭 明40)。

 江見水蔭の名は、ヨコジュンこと古典SF・近代奇想小説研究家の横田順彌の読者だったら記憶にあるだろう。
 大部の著作『近代日本奇想小説史』(ピラールプレス 2011)で、ヨコジュンはかなりの頁を費やして「江見水蔭を再評価せよ」と訴えている。
 小説家としての江見水蔭に関してはヨコジュンのこの本を参照してほしい(『近代日本奇想小説史』はとてもよい本なのでみんな買うと良いと思うぞ。まあ、1万2千円はちょっと高すぎだろとは思うが)。

 ところで、江見水蔭といえば有名なのがアマチュア発掘家としての顔だ。

 アマ発掘家としての水蔭の活動に関しては、『魔道に魅入られた男たち: 揺籃期の考古学界』(杉山 博久 1999)が詳しいので詳細は同書を参照してほしい。
 簡単に言えば水蔭は、書斎に閉じこもるタイプではなく、アウトドア活動を好み、その実地体験を生かした作品も残している。會津信吾は江見水蔭を日本初のアウトドア作家と評している。

 この『怪竜窟:実地探検』は江見水蔭の、初めての「探検実記」なのである。

 個人的感想を述べさせて貰うと、面白い――というか、実に「楽しい」作品だ。

 探検隊員を募り、家の裏手に繋いである愛艇「不二號」を駆って一路竜窟を目指したが、なんと干潮のために船では乗り込めないので仕方なく泳いで突入足に絡まった命綱を海蛇と勘違いして思わず自分で切断してしまうわ、遭難者らしき骸骨だの謎の大蛇の石像を発見するわ、しまいには火薬を仕掛けて障害物を爆破するわ。

 江の島に「大魔窟」なんて…という「常識」は、本書が書かれた明治末期でも現代と同じだった。
 本編は前半部と後半部に分かれており、前半部は先に新聞連載されたものだったようだ。後半部の冒頭、水蔭は前半部連載中に寄せられた世評について、このように書いている

 余等が「龍窟」探検を企て、その記事を読売新聞紙上に連載するや、意外の好評喝采を江湖に博して、それと同時に、また意外の悪評罵嘲をも世上に漲らした。その罵言の内には、果たしてその様なる怪窟が、江の島の周囲にあるや否やとの、疑念を含んだ攻撃である。

 疑念を持たれても当然だろう。なにせ江の島である。絶海の孤島でもなきゃ人跡未踏の秘境でもない、明治どころか江戸の昔から「観光地」だった場所だ。

 だが、この疑念の声に対し、水蔭は高らかに宣言するのである。

 探検記は、小説とは違う。虚構は無い。架空の事実は有らぬ。

 俺は、これはハッタリではないと思う。
 水蔭は本気だ。

 映画やドラマのジャンルには、いわゆる「モキュメンタリー」というものがある。「ドキュメンタリー」の体裁で作成された架空の物語のことだ。「フェイク・ドキュメンタリー」とか「ウソメンタリー」なんて呼ぶ人もいる。

 探検モノで例を挙げると「川口弘探検隊」とか「食人族」みたいなヤツだな。

 「モキュメンタリー」は、ウソをウソとして楽しむという暗黙の前提が、作る側と鑑賞する側で共有されて成立している――まあ、タマ~に観る側はホンモノだと思い込んじゃうケースもあるようだが、少なくとも作ってる側は意識的に作ってるわけだ。
 こういう作品を「ウソッパチだ作り事だ映倫とBPOとJAROに訴えてやる」と作り手を非難したところで、「はあ。別にドキュメンタリーとは言ってないですが何か」「あんまりヤボなことは言わないで下さい」と、鼻白まれるだけなのは言うまでもない。

 だが作品を成立させるために、作ってる方も観る方も、お互いに斜に構えて「それは言わないお約束」を守らないといけないというのは、やはりちょっと歪んでいるような気もする。

 水蔭の「探検実記」は、「モキュメンタリー」とは明らかに違う。
 「断崖百丈」みたいな冒険小説家らしい文学的誇張・ハッタリはあるにせよ、水蔭本人はどうみても「本気」なのである。

 この「本気」さが、水蔭の「探検実記」の「楽しさ」の根幹のような気がするのだ。

 近デジには他に、『奇窟怪嶽:実地探検』(明40)という作品も収められている。
 『奇窟』というのは東京都西多摩郡日原の鍾乳洞、『怪嶽』とは信州の戸隠山のことなのである。

 江の島、日原、戸隠山。

 明治末期という事を割り引いて考えても、「探検じゃなくて観光なんじゃないの」と揶揄したくなるような近場ばかり(水蔭は主に神奈川と東京に居住)ではあるが、そのいずれの場所も、水蔭は本気で「探検」に取り組んでいる。

 探検隊を組織し、探検装備を用意し、怪しげな穴には潜り、断崖絶壁があればよじ登る。

 書いてる当人が本気で楽しんでいる本というのは、その楽しさが読み手にも伝染するようだ。

 言ってみれば、"いい年をしたオトナの夏休みの冒険"
 日々の生活に倦み草臥れたオッサンである俺には、この邪気のなさが眩しくてならない。
[PR]
by signal-9 | 2012-09-20 13:13 | 読んだり見たり