カテゴリ:奇談・異聞( 17 )

謎の男 岡田建文 (とりあえずの纏め)

 さて、岡田建文の残した奇談をいくつか紹介したわけだが。

 俺の感想を言葉を変えて繰り返しておくと、この岡田建文という人物は、今でいうところの「オカルトライター」の「元祖」だったのではないか、ということだ。

 明治末期から昭和初期にかけて、西洋心霊主義の台頭や新興宗教ブームもあり、オカルト的論説に手を染めた文筆家はさして珍しくはない。
 だが、建文のように、専業で、しかも一般紙からオカルト専門誌まで広くフィールドにし、民俗学的な分野でも収集者やインフォーマとして扱われていた人物となるとかなり珍しいと言えるのではあるまいか。

 なので、”怪しげなオカルティスト”とラベリングして葬り去るのは勿体ないかも、と思ったわけである。

 ただ、いくつか見てきた例でも判るように、伝承や民俗学的興味で、建文の集めた奇聞を「使う」上では困ったことがある。

 建文の本の特徴として、おおむね
  1. 自分で体験したもの

  2. 自分で採話したもの(ソース明示あり)

  3. 新聞記事や雑誌記事などが情報源(ソース明示なし)

  4. 古典や他文献からの引用(ソース明示あり)

という区分が出来そうだと指摘しておいたが、問題はやはり「新聞記事や雑誌記事などが情報源」の場合にソースが殆ど明示されていない、というところだ。

 以前にも書いたが、例えばCタイプの典型例として『霊怪談淵』に「水戸の化け物屋敷」という項がある。
 この話はソース明示無しなのでおそらく何か他の媒体からの引用だろう、と推測していたのだが、当初、何からの引用なのかさっぱり判らなかった。

 で、偶然、これとまったく同じ話が来原木犀庵(慶助)『通俗霊怪学』(明治44)に掲載されているのを見つけ、記事の引用元が「松村介石氏の発起に成れる『心象の研究』に寄せられた」ものと明記してあるので、ネタ元が判明したのである。

 同じくこれもまったくの「偶然」なのだが、もうひとつ建文のネタ元を発見できた。

 『霊怪談淵』の巻末解説で引用されている神田柳原の大銀杏の呪いの話は、高橋五郎『霊界の研究』(明治44年)P111にまるごと引用されている、『探検世界』が懸賞付きで募集した「不可思議譚」で、入賞した投稿記事と同じ話である。

 問題はこの「偶然」というところなのである。
 たまたま『霊界の研究』にも目を通したから発見できたわけで、建文本だけ読んでいたら元ネタが雑誌―しかもあの『探検世界』―の投稿だったということは絶対に判らなかっただろう。

 本当にこれが残念なのである。
 どこから採話したのか、引用元だけでもきちんと書いておいてくれれば、建文の「オカルト本」はもっと使いでがあったのに。

 『やまと文範』や『近世支那人傑伝』の編纂で名を残している時事新報の小野田孝吾が明治17年に上梓した『珍事奇聞 一読百驚』みたいに、せめて節末に日付と引用元だけ入っていれば…としみじみ思うのである。

 というのも、ある意味で俺は建文を信用しているからだ。
 「どうやら自分で話をでっち上げているのではない」という印象を持っているからなのである。

 例えば、建文が大正12(1923)年11月『心霊界 第十号(十一月号)』から三回に渡って掲載している記事『瀧姫の霊と女修行者』(後に『霊怪談淵』でも採録されている。『出雲の瀧姫行者』)は、自分で取材したと明記してある。

 この『瀧姫の霊と女修行者』の話は、現代でもちゃんとその痕跡が残っているようなのである。

「日本滝百選  島根」によると、芦谷(あしだに)の滝にはいまでもこの「事例」の石碑が建っているそうなのだ。
 しかもその石碑に記載されている当事者の名前は建文の記述通り

 建文が記録したとおり、瀧姫の霊が降りたと称して活動をしていた女性が居たことは確実といえそうだ。

 またいくつか発見した引用元の確認できた記事について、引用元と照らし合わせてみると、建文はかなり馬鹿正直に引用していることが確認できた。

 つまり建文は、今時のどこぞのインチキなオカルトライターみたいに、事例そのものをでっち上げたりはしていないだろうと思われるのである。
 これは建文が信奉者・ビリーバー(語感が悪いが、他に適当な表現が思い浮ばない。この文脈で馬鹿にする意図はまったくない)なので、事例の収集に極めて真面目に取り組んでいたからだろうと思う。

 つまり、蛇体の双生児とか三十年妊娠とか、どう考えても「ホント」のことではないだろう話も、建文が記録した当時は「どこか」で「ホント」のこととして語られていたのだろう、と思うのである。

 明治末期から昭和初期にかけて、どのような奇談――今でいえば「都市伝説」――が巷間語られていたのか。建文の「オカルト本」はそのとっかかりとして「使える」というのが今のところの俺の結論。

 残念ながら、岡田建文に積極的な興味を持っているのは広い日本で俺だけのようなので(笑)、ネタが尽きた。

 建文ネタはこれでひとまずクローズとする。
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by signal-9 | 2012-03-21 17:41 | 奇談・異聞 | Comments(0)

建文奇聞 ― 三十余年の妊み腹 (霊怪真話)


 群馬県小野上村に村上坊という小寺があった。
 明治25年のある日の夕暮れ方、寺の門前にある某氏(姓名は逸した)の家に、ひとりの白衣をまとった老修験者がやってきた。
 「前の寺で宿を断られて困っているものだが、今夜だけ土間の隅でも良いから寝させてくれぬか」と頼むので、主人は快く泊まらせてやることにした。
 その夜の話に、「自分たち夫婦は子供がいないので寂しいものだ」と言うと、修験者はいった。
 「それは頼りないことであろう。自分が祈って子供が授かるようにしてあげよう」

 翌朝、泊まったはずの修験者はどこに行ったのか姿が見えない。それどころか奇怪なことに、彼の手回りの品は行儀良く寝床の傍らに揃えてあり、着ていた白衣はきちんと畳んだまま残されていた。
 主人夫婦が寝ている間にこっそり出て行ったとしても、裸で出て行ったわけもなく、実に不可解なことだった。

 その後十二ヶ月たった頃、妻が妊娠した。
 順当に大きくなるお腹に夫婦は大喜びした。これもあの修験者が祈ってくれたからだろう、と思った。

 ところが、妊娠十ヶ月になってもいささかも産気付く様子がない。
 十二・三ヶ月たっても依然として生まれない。

 そのうち奇怪なことに、腹の中の胎児がものを言い出したのである。

 その声は妊婦にだけ聞こえるので、医者は精神病にかかったのだといった。
 しかし、胎児が物を言っているというその時に、妊婦の大きくなった腹に耳を付けてみると、腹の中でコトッ、コトッというような音がしているのが、誰にでも聞こえるのだ。
 その胎児は、自分が生まれないのは来年日本が支那と戦争を始めるからだ、自分は殺伐とした戦争が嫌いだから戦争が済まなければ世に出ないのだ、といった。
 果たして翌年、日清戦争が始まった。

 ところが戦争が終わってもいっこうに生まれない。
 胎児が言うことには、十年後には日本はまた外国と戦争をするから、それが済まねば出ない、と言う。
 そして十年後、日露戦争が始まった。

 この戦いが終わっても依然として生まれない。
 胎児は言った。―日本は十年目にまた戦さをする―。
 そして日本は欧州大戦(第一次世界大戦)に参戦したのだ。

 そして、胎児は今も未だ生まれていない。
 日本はまだ闘わなければならない、といって今日に及んでいるのである。

 妊娠した腹はビール樽のように膨らんでいるが、妊婦の体に特に苦痛はない。

 妊娠三十年。
 その夫人は今やすっかり老婆姿になっている。
 時折腹の中の子供が要求するので、老人の亭主を馬にして座敷の中を乗り回すのだ。
 また腹の中の子が動いて、頭や手足を振り回すのがよく感じられるということだ。

 この奇怪な妊婦も帝大の研究資料になっており、死後解剖されることになっている。

 ちなみにこの夫婦は前橋市の住吉屋のまんじゅうが好きで、これを土産に持参した人には誰にでも面会してくれるという話であった。



戯言
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by signal-9 | 2012-03-12 17:03 | 奇談・異聞 | Comments(0)

建文奇聞 ― 人頭蛇身の双生児 (霊怪真話)


 群馬県吾妻郡××町の呉服商△△○平君の妻は、今から三十年余り前、妊娠中に同郡の四万温泉へ保養に行った。その帰り路、馬に乗って山道を通っていた。
 もう4キロほどで中之条に着くという頃、ある岩壁の下を通る折、ふと顔を横に向けて岩壁を見た。

 その岩壁には、地上2メートルほどのところにひとつの穴が開いていた。
 穴の口に、犬の頭部くらいある大きな蛇が二匹並んで首を突き出して、こちらをじーっと凝視しているのと目があった。
 彼女はきゃっと叫んで気絶した。
 そして落馬をした拍子に子どもを産んだのである。
 生まれたのは男女の双生児だった。

 その双生児は、少し日数を経過すると怪しいさまが現われて来た。

 面貌は人間であっても、全身に金色の鱗が密生する。
 そして体に骨が無いのである。
 段々と成長しても人語を発することが出来ない。そして立って歩くことも出来ないで、蛇のように坐敷中を這い歩くのである。
 またきわめて奇怪なことは、両児とも、体の鱗が蛇の通りに、一年に一度づつ殻を脱ぐことである。
 両児とも一見七・八歳の児童ほどの体をしていて、もうそれ以上には大きくならぬのも奇妙である。

 この蛇のような両児は東京の帝大から、研究資料として申受けることになり、近年歳費として八百円づつ送られ、保母まで傭って大切に養育されつつある。



戯言
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by signal-9 | 2012-02-27 14:05 | 奇談・異聞 | Comments(0)

建文奇聞 ― 光り物をつかむ (霊怪談淵)


 著者が学生時代のこと、郷里の桐岳寺という寺の長老が、ある夜更け庭を歩いていると裏山の墓地の方から本堂の横へ向けて、身体の近くを光り物が飛行した。
 躍りかかって手で掴み取ってみると、何かは知れずグニャリとしたもので、豆腐でも握りつぶしたような手触り。甚だしき腐臭のするものであったからすぐに手を洗った。
 この光り物が何物であったのか不明であるが、墓地から飛来したところをみると、あるいは死人の脳みそであったかもしれぬと、長老が話したことがある。



戯言
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by signal-9 | 2012-02-21 12:57 | 奇談・異聞 | Comments(0)

建文奇聞 ― 空から降ってきた裸乙女 (霊怪談淵)


 人を食ったようなこの表題の事実の出所を先頭に書き出す必要がある。
 京都生まれの三上家の老刀自と、松江市の小笹某という老人とが一室に寄り合ったときに、明治維新前の京都の浪人騒ぎなどを語り合い、あのときはエラかったなどと昔を偲ぶうちに、京都の酒造家の庭へ裸の乙女が降ってきて大騒動が起こった話になったのである。

 小笹老人は今は按摩をしているが、若いときには松江藩の下男として京都勤番の侍のお供で京都に仮住まいしていた。
 三上刀自は、京都市立高等女学校の教諭の母親で、家は松江にある。

 この二人の話は正直な話であるけれど、話中の肝心な人の住所が一致しなかったり姓名が知れていないという残念なところがある。なにしろ昔の話であるから記憶が怪しくなったためである。
 そのため著者は先年、老刀自の子供の三上教諭に、事実関係の調査をお願いしたい旨手紙で依頼した。
 二回も三回も催促したのだが、一回の返事もない。
 老刀自が「今の若い人間にこの事を話しても、何をとぼけたことを言っているのかと言わんばかりに耳にも入れないから、話のおさらいもされぬので、おいおいと忘れるばかりです」と言われていた意味がわかった。

 そこで、人を換えて調査を始めた。

 刀自は、「問題の酒屋は上京丸太町筋鳥丸通り。自分の家の近くで、屋号は忘れたが場所は覚えている」という。一方、小笹老人は「鳥丸通り六條あたりで、店名は恵美須屋か大黒屋だった」という。
 また、小笹老人は「今から四・五年前に京都の某商人に訊ねたら、問題の裸の乙女は七十余歳で今なお元気であると聞いた」と証言した(この証言は大正12年のもの)。

 場所に関しては、生家の近所という刀自の言うことの方が正しいようなので、丸太町方面を探索させたが、結果は空振りという報告だった。
 この上は小笹老人の方の情報に従って六條筋を調べたいのだが、本書執筆時点では未着手である。かといって本書から省くのも残念と思い、場所や人の姓名は仮名としてとにかく掲載することにしたのである。


 慶応三年十一月二十日ころのこと。
 みすぼらしい姿の一人の乞食坊主が、造り酒屋の暖簾をくぐって入ってきて「酒を飲ませてくれ」といった。いかにも酒好きと見え、背中には60センチくらいある大ひょうたんを背負っていた。
 ちょうど店先には酒屋の主人がいた。
 「どれくらい必要ですか」と聞くと、
 「まず一升」というので、そのとおり量って出すと、そこらにあった茶碗で瞬く間に滴も残さず平らげた。
 「もう一升」というので、主人は二升目を出した。
 それも飲み干した坊主は、「さらにもう一升」
 主人も驚いたが、言われるがままにまた一升出すと、坊主はそれもみな平らげたが、さすがに満腹したような顔つきになって、「酒代はいくらになるか」と言いながら懐に手を入れ財布を出そうとした。

 その時、主人は何を思ったか、「お代はいりません」といった。
 乞食坊主は大して喜ぶでもなく軽く会釈をして、「アア気の毒じゃなァ」と言ってギロリと光る眼を主人に浴びせながら、
 「すまぬが、ついでにこのひょうたんにも詰めてはもらえぬか」
 周りで見ていた店のものたちは、けしからぬ厚かましい乞食坊主だ、と小腹を立てて主人の顔を見た。
 主人は怒るでもなく静かに、
 「どれ、入れてあげよう」といって坊主の背中から大ひょうたんを受け取り、口から溢れるばかりに酒を詰めてやった。

 すると乞食坊主は初めて破顔した。ちょっと腰を低くして「どうもかたじけない」と礼を述べ、大ひょうたんを肩にかけて立ち去り際に、
 「この家にはまだ嫁がいないではないか。近いうちに良いのを世話しよう」
 といって何処へともなく立ち去った。
 店の人々は、乞食坊主の分際でよくもまあ嫁の世話などと、と笑っていたが、主人だけが「どうも並の坊主じゃなさそうだ」と言っていた。

 それから数日後の11月26日の夕方のこと。

 店の従業員が裏庭の池で桶などを洗っていると、腰巻きもしていない素っ裸の若い女が空中からヤンワリと墜ちてきた。

 稀代の珍事に、主人以下店の全員が駆け集まった。
 その女は十六・七の可愛らしい美しい女で、地上へ降り立ったときはグッタリとして意識もなさそうだったが、今や両手で前を押さえてうずくまってキョトキョト四方を見回し、血の気のない顔色で震えている様が痛々しげだった。
 寒空の風が辛かろうと、とにかく着物を出して着せてやり、色々いたわって様子を訊ねた。

 女は江戸の日本橋辺りの商家の娘だという。
 その日、我が家で風呂から上がって濡れた肢体を拭いたまでのことは記憶にあるのだが、それから後のことはまったく覚えていないらしい。
 「ここはいったいどなた様のお屋敷ですか」
 ここは京都だ、と告げられて泣き出した。

 酒屋では江戸の娘の親に早飛脚を出した。
 娘が神隠しにあったと毎日夜祈祷をしている最中だった娘の両親は、無事との消息に大喜びし、娘の叔父と手代が直ちに京都に向かうことになった。

 一方、娘を保護していた酒屋では、家事を手伝わせてみると何一つ欠点のない女だったので、これこそ例の乞食坊主先生が世話すると言っていた嫁候補であろう、きっとあの坊主先生は神か天狗の化身だったのだと、にわかに祭壇を作ってお祀りする騒ぎ。
 江戸の親元がなんと言おうがこの娘は手放さぬ決心になった。

 そうしているうち、娘の叔父が到着した。
 酒屋では、是非とも嫁にもらいたいと談じ込んだが、叔父は自分の一存で決定は出来ぬから、よく相談してくるといったん江戸に引き返した。

 翌年三月、結婚式が盛大に挙行された。
 その後、酒屋には評判の嫁を見るために客が押しかけて大いに繁盛したという。



戯言
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by signal-9 | 2012-02-16 14:21 | 奇談・異聞 | Comments(0)

建文奇聞 ― 神職夫人火を吐く (霊怪談淵)


 三重県人の三上新五郎氏は、日露戦争時代に歩兵大尉として金澤師団管下で中隊長を務めていたが上官と衝突し退役せざるを得なくなり、皇典講究所へ入学。卒業後、郷里の産土神社に奉職するようになった。

 大正八年、氏の夫人が死産し、同時に重病に臥した。氏は死児の埋葬もしないで夫人の看病をしていた。

 夫人が嘔吐を催したので、縁側へ這い出させて庭先に吐かせると、吐き出された食物の中に一片の紫紺色の小さな塊があった。

 妙なものだとみるや否や、その塊はたちまち爆発的に猛烈に自焼し始め、60センチ余りの火柱を立てた。

 火柱を立てながらも容易に消滅しない不思議さに、氏は自分は幻覚でも見てるんじゃないかと疑い、夫人を顧みて「お前の目にあの火が見えるか」と聞いてみると夫人は見える、と答えた。

 しばらく火を眺めていたが烈々としてさかんに燃え続けるから、不安になって台所へ走りバケツを運んできてみたら、怪火はすでに消滅しており紫紺色の小片物の痕跡も残っていなかった。

 夫人はそれからまもなく精根尽きて永眠した。

 母子ともに埋葬することになったが、三上夫人の産んだ死胎児は、全身が煤黒かった。三上氏はその奇怪な皮膚の色のまま埋葬したくなかったので神に祈念してみると、霊験たちまち顕われ黒かった皮膚が桃紅色に変わった。
(三上氏の実話)


戯言
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by signal-9 | 2012-02-14 11:33 | 奇談・異聞 | Comments(0)

建文奇聞 ― 八人抱えの大杉の消失 (霊怪談淵)


 武蔵国八王寺町の奥の高尾山第一の大木たる八人抱えの大杉は、古来神木として土地の人の崇敬する有名な古木だった。

 大正四年の夏のある夜、一陣の大風がこの山を吹き抜けた。
 翌日、八人抱えの大杉の姿が見えぬので、村民は風に吹き倒されたのだと思い、行ってみてみると、何十トンあるかしれない大杉が根こそぎに抜けた後があるのに、木の本体がどこにも見あたらない。
 村民が手分けして附近の山々・谷々をくまなく捜索したけれど行方がしれない。

 樹木の神隠しなどということはかつて無かったことである。
 著者もこの大木の行方については何とも考えがつかぬ。


戯言
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by signal-9 | 2012-02-13 11:16 | 奇談・異聞 | Comments(0)

建文奇聞 ― 人魂を追撃す (霊怪談淵)

 今から三十四・五年前のこと、石見国邇摩郡和江裏の魚屋が、ある夜更け、隣郡の長久村から帰るとき、字静間という部落の田圃路にさしかかると、茶碗大の朱色の火の玉が転がりながら前方から向かってきた。

 驚いて、天秤棒を振り上げて打ちかかると、火の玉は元来た方へ引き返して地上60センチばかりのところを飛んで逃げ出した。
 勢いづいた魚屋が追いかけていくと、火の玉はその土地の神職である宮内某の家に飛び込んだ。
 奇妙なことだと思い、しばらく外に立って様子を窺うと、家の中では急にガヤガヤと人の声がしだした。その内に老人の声で、
「あぁ怖かった。今さっき夢で散歩に出ていると、大きい男が棒を振り上げて打ちかかってきたので懸命に逃げ戻った」と語る声が漏れ聞こえた。


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by signal-9 | 2012-02-09 10:49 | 奇談・異聞 | Comments(0)

建文奇聞 ― 襖の引手穴を潜る人 (霊怪談淵)

 愛媛県人である知人K氏が、明治40年、北海道十勝の茂寄原野の払い下げを受けて開墾事業をしていたおりの実見談である。

 岡山の旧藩士であった某老人(姓名は遺忘)が、その茂寄村に移住していた。

 非常に淡泊な人間で、少しの欲心もない好人物なので人から憎まれなかったが、ただ唯一の欠点が非常に酒好きであること。銭さえ手に入れば、みんな酒代にするので、年中貧乏だった。

 しかしこの人には不思議な術があって、借金取りがくると、正座瞑目して両手を合わせ、行者が印を組むような手つきで精神統一をやると、やがて体が90~150センチばかりも空中に浮き上がる。
 浮いたまま、二・三回そこらを環形に廻って静かに着地し、それから目を開いて「今日はこれでどうぞ頼む」といって支払いを断るのだ。
 この芸当を見せられた借金取りは恐れ入って帰ってしまうのである。

 この評判がたかくなったので、ある日K氏は一人の書生を連れて老人を訪問し、この奇芸を見せてくれるように頼んだ。
 老人は快諾し、「今日は変わったところをご覧に入れよう」といって、居室の襖(ふすま)の引手を一個取り外して穴を拵えさせた。

 エッと気合いをかけて、身を躍らした瞬間に、老人の体は次室に出ていた。

K氏は、これは非凡な忍術だと思い、
「引手の穴から出たと見せて、実は襖を開けて次の間に飛び出したのでしょう。そして元のように襖を閉めてるのでしょうが、その開閉があまりに速いので目に見えないのではないですか」といった。

すると老人は「自分はそんな瞞着(ごまかし)はやらぬ」といって、K氏と書生に両手で力一杯、左右から襖を押さえさせた。

 そしてその状態でまたしても引手の穴をくぐって見せたのである。

 こんな不思議は実地を見たものでないと信じることは出来ないものであると、K氏は著者に語った。


戯言
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by signal-9 | 2012-02-07 11:44 | 奇談・異聞 | Comments(0)

建文奇聞 ― 秋山中将を悩ました石 (霊怪談淵)

 日露戦争の日本海海戦に三笠艦に参謀長として乗り組み、盛名を博した秋山眞之氏は、戦後の少将時代に、一時大本教を信仰していた。
 ある日、京都の綾部に住んでいた大本教の出口教主を訪問したときに、座敷の床の上に鉄瓶大の奇石が置いてあるのを見て、自分に譲ってくれまいかと所望をした。

 王仁氏は、「その石は霊のある石として、某信者から奉納して来た石で、神仕えをしない普通人が持つと煩いが生じるかも知れない」と注意したが、秋山氏は身柄に自信があったと見えて、とにかく自分にくれといって、無理にその石を貰い受けた。

 この石を書生に持たせて汽車で東京へ持ち帰る途中から、秋山氏は気が変になってしまった。秋山氏の発狂沙汰はこの石から起こったことである。
 氏の家庭では、それと気がついたので大いに驚いて、石を隅田川へ投げ棄てた。

 その頃、東京市外の中野町に在住の大本教の信者であった医学博士の岸一太氏が、ある夜、水中の霊石の夢想を受け、数十人の人夫を使って隅田川の水底を捜索させて問題の石を拾い上げ、持ち帰って邸内の神祠に奉安したが、その後、石はまた元の出口家に送り返された。


戯言
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by signal-9 | 2012-02-06 10:53 | 奇談・異聞 | Comments(0)