マスコミは表現の自由を守れの大合唱だが。

卓上四季 北海道新聞
映画「無法松(むほうまつ)の一生」に、阪東妻三郎(ばんどうつまさぶろう)が演じる主人公が、陸軍大尉(故人)の妻に思いを打ち明ける場面があった。戦争中の検閲でカットされてしまった。死後に妻が言い寄られては、戦地の兵隊の士気をそぐ、ということらしい
▼映画や出版物などは、戦後は米軍の検閲を受けた。お蔵入りになった作品もある。それにしても、検閲まがいなど遠い過去だと思っていた。安心はできないようだ
▼国会議員が「反日映画ではないか」と問題視する。街宣車や電話で抗議が来る。映画館が後難を恐れる。映画「靖国 YASUKUNI」の上映が、そんな経過で中止になった
▼映画製作には文化庁所管の基金から助成金が出ている。自民党の保守系議員が、助成に疑問を持った。そこで要請したのは、一般公開前の試写会開催だ。これは製作側への強い圧力となる
▼かつてあった検閲とは違う。だが政治家の介入から、抗議が始まり公開中止になった。日教組が予約した会場をホテルがキャンセルした事件をも思わせる。試写を求めた議員は、上映をやめさせる意図はないと言った。だとすれば要求は不用意だった
▼日本政府への批判が「反日」なのか。「反日」だとどんな点が問題なのか。中身を問わずレッテルを張り排除する傾向も広がる。単に「騒動に巻き込まれては面倒だ」と判断停止する人が増えれば、表現の自由はいよいよ危うい。


 マスコミは表現の自由を守れの大合唱だ。

 当然俺も、表現の自由は守るべきであるという、そのこと自体には賛成 - ただし自由と勝手は違うし、表現の自由を確保したいのならそもそもヒモ付きの資金なんかに頼るべきではないつーのが私見 - だが、こう大合唱だと少々イヤミもいいたくなる。

 批判している当のマスコミ諸氏は、自分自身や自分の属している組織は「検閲」やら「製作側への強い圧力」やらはいっさい加えたことがない、俺たちは表現の自由を守る側だ、と胸を張っていえるのか?
  1. ちょっと抗議が出たから「改訂」したり「封印作品」にしてしまったり
  2. 自社にとって都合の悪い記事を縮小版から削除したり
  3. 訂正記事はなるべく目立たないようにしたり
  4. 根拠も薄いのに「○○なのは××のせい」と決め付けて印象操作しようとしたり
  5. 読みもしないで「俗悪番組」「俗悪漫画」「俗悪小説」とラベル付けしたり
  6. 権力=悪という公式で世の中のあらゆることを解釈しようとしたり
  7. そのくせ自国の政府のやることは大々的に批判するが、他国の政府のやることは見て見ぬふりをしたり
  8. さらに自分たちの「権力」だけは特別扱いしたり
  9. 自分たちに都合のいい証拠だけ採用して「事実」であるかのようにふれ回ったり
  10. 都合のいいときだけ「編集権ですから」を振り回したり
  11. 「過剰反応」「判断停止」と、何が「適正」で、何が「正しい」のか示さずに非難したり
  12. 口封じの為に法的手段にもちこんだり

 こーゆー、表現の自由を侵すようなことは一切やっとりませんと、断言できるのだろうか。

 てゆうか、もしかしたらマスコミはもう「表現の自由」の守護者だなんて思われてないかも…みたいな事には想像力が及ばないかねぇ。
 そうでもなきゃ、自省のカケラもない正論をエラそうにブチあげられるもんではないと思うんだが。

 さて、表現の自由を守った結果なにか具合の悪いことが起こったら、「守れ守れ」と大合唱したマスコミが補償してくれるんだろ~か?

 「自由を守るための尊い犠牲でした。今後共考えていく必要があると思います。さて次のニュース」ちゃんちゃん、ってか(笑)

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by SIGNAL-9 | 2008-04-02 15:43 | 一般の話題 | Comments(0)
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