「秋葉権現勧請説」を天下の千代田区に質問してみる。

 秋葉原由来調査月間から早一年余、Web上には秋葉原の歴史・由来に関して、あいかわらず疑問を持たざるを得ない記述が散見できる-というかむしろ増えてきているような気もする。

 特に、俺的には「秋葉権現勧請説」と名づけているのだが、「秋葉原という名称の由来は秋葉権現が勧請されたから」という説に関しては定期的に疑問を呈しておく必要性すらを感じている。

 単なるコピペが多すぎるような気がするからだ。

 一例を挙げよう。
 R25.jpというWeb雑誌から「秋葉原が電気街になったのはなぜ? 「オタクの聖地」の歴史を探ってみた」 2008.02.15という記事。
秋葉原の地名はもともと、この地に建っていた鎮火社(ちんかしゃ/防火祈願のための神社)による。ここに祀られたとされる秋葉大権現(あきばだいごんげん)の名から、人々はこの社を「秋葉さん」と呼び、ついには名称も秋葉神社に変更された。

 現在のアキバは当時の秋葉神社周辺の原っぱにあたるエリアで、人々はここを「あきばっぱら」あるいは「秋葉の原」などと呼んでいた。これが秋葉原の由来である。
あえて悪い言葉を使わせてもらうが、デタラメもいいところだ

<秋葉大権現>というのは、遠州の秋葉社と秋葉寺が神仏混淆だったところから付いた呼称である。

 鎮火社設立は明治3年のことだ。それ以前-明治元年に神仏分離令が出て神仏混淆の寺社に対して弾圧が始まっていたことは、その辺の教科書をみれば書いてある歴史的事実だ。
 明治3年時点に、国家神道を推進するために復興させられていた神祇官がわざわざ神仏混淆の秋葉大権現を勧請したなどということは、この辺の歴史的背景からみて極めて考えにくい。

 現に、東京市史稿に収められている鎮火神社設置の公文書には、「遠州の秋葉権現を勧請した」などという話はビタ一文出てこない。
 これは当たり前で、鎮火神社と秋葉権現では、祀っている神様自体がそもそも別の神様なのである。

 細かいことを言うと、「ついには名称も秋葉神社に変更された」というのもヘン。改名は昭和5年のことで、秋葉原から移転してから40年もたった後のことだ。
「現在のアキバは当時の秋葉神社周辺の原っぱにあたるエリア」逆だ逆。原っぱ(火除け地)を作って、そこに鎮火社を作ったのだ。

 tansei.netというWeb雑誌から「ケーススタディ 秋葉原再開発 」という記事
江戸時代に火事が多すぎたことから、明治3年になって火除けの神様の秋葉大権現を勧請した(いまは台東区松が谷に移転)ことから、秋葉様の原っぱが転じて秋葉原という地名がついた。区名すら定かならざる頃で、千代田区外神田から台東区上野5丁目あたりに、その原っぱがあったようだ。
松が谷の秋葉神社さんは抗議した方がいいと思うのだが(笑)。
 この記事を書いた記者氏は、アソコの由来書の中に「秋葉大権現」と書いてあるのか、ちゃんと見てくればいいと思う。
 「区名すら定かならざる頃」というのも何をいってるのかわからない。記者氏は、東京が明治の頃から今と同じ23区制をとってたとでも思っているのかしら?
 言うまでもないが、「秋葉原」には江戸時代からちゃんと町名だってついてるし、明治期の地図を見ればどこにあったかは一目瞭然なのだが。

 …と、突っ込んできたのだが、「秋葉原 秋葉権現」でググっているうちに、あまりの多さに些か自信がなくなってきた。

 なにしろ天下の千代田区がやってる「秋葉原インフォーメーション」というホームページまでが、この「秋葉権現勧請」説を採っているのである。

「アキバの歴史と文化」
明治2年の暮、神田相生町から火事が出ました。火は付近の十ヶ町を焼くつくしました。明治新政府は、この火事を機会に焼跡に町家の再建を許さず、約九千坪を火除地としました。明治3年3月、火防(ひふせぎ)で有名な遠州の秋葉大権現を観請し、東京府社「鎮火(ひしずめ)社」を創建しました。以後この地は、地元から「あきばの原」「あきばっぱら」と呼ばれ、行楽地に利用されました。
 前述のように、俺自身はこの「秋葉権現勧請説」は完全な誤りであると確信しているのだが、天下の千代田区のことだ、もしかしたら浅学菲才の愚民が知りもしないような一次資料をお持ちなのかもしれないではないか。
 税金を使って運営しているサイトだ、よく調べもしないで書いている…なんてことはあり得ないだろう。
 おまけにこのページ、英語、中国語、韓国語の三ヶ国語対応だ

 いくらなんでも千代田区がデタラメを全世界に喧伝しているわけはないではないか。

 「うむ、これは俺の知識不足に違いない」ということで、さっそく本日問い合わせのメールを出してみた。簡単にいえば「遠州の秋葉大権現を観請した」という史料を教えてくれ、と。
 実はこのページには他にも多数の疑問点があるのだが、とりあえずこの「秋葉権現勧請説」の裏付けだけでも知りたいのだ。

 どういう返事が来るか今から楽しみだ。
 ちなみに前に江戸博にも同種のメールを送ったが、こちらは残念ながら「無かったこと」にされてしまったが。

 千代田区殿の対応に関しては、応答があり次第追ってご報告したいと思う。

…追記。

上の記事をポストした後でよくよくこのサイトを見てみたら、他にも由来に関して述べた記事があった。特集 インナー・秋葉原 Vol.001 どこからどこまで秋葉原?
本文でも触れた通り、秋葉原一帯はもともと「神田」の一部で、1869年(明治2年)の大火事で付近一帯が被災。その後火除けの場所としてこの一帯を広場にし、そこに「鎮火社」を創建した。この鎮火社が静岡県にある火伏せの神様を祀った「秋葉神社」を勧請したものと庶民が勘違いし、以後この広場を「あきばはら」と呼び始めたところに由来している。この鎮火社も「秋葉神社」と改称したものの、1888年(明治21年)に一帯が貨物駅用地として国鉄に払い下げられたため、秋葉神社は現在の台東区松が丘に移転し、代わりにできた駅が「秋葉原」と命名された。
あああああああ。同じサイトで書いてあることに統一性がないのは目をつぶるとしても、こっちもヘンだよ。
  1. 俺の知る限り、よみがなが「あきばはら」である、と断定的に述べられるような根拠は無い。「秋葉原」という表記に対して様々な読み方があったであろうことを伺わせる文献は多数あるが。
  2. 「この鎮火社も「秋葉神社」と改称したものの、」って、改称したのは松が谷に移転した後も後、40年も後。
  3. 1888年(明治21年)に国鉄があったかどうかくらい調べようよ
  4. ところで台東区に松が丘なんてトコありましたっけ?




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mailto:akiba-i@akiba-info.com

Akiba-i事務局御中

御事務局がWeb上に掲示されている「秋葉原インフォメーション」を拝読したものです。

http://www.akiba-info.com/townguide/historyandculture.html

 小生、秋葉原の歴史に関して些かの興味があり、この「アキバの歴史と文化」というページに記載されている内容に関して伺いたいことがあります。

 端的に申し上げて、小生は当該ホームページに記述されている内容に誤りがあるのではないかと考えているのですが、個人のホームページならいざ知らず、公的機関である千代田区殿が管理されているホームページとお見受けしましたので、失礼ながら突然の問い合わせのメールを差し上げる次第です。

 お忙しいところ恐縮ですが、御教授賜れれば幸いです。

 当該ページに以下のような記述があります。

>明治2年の暮、神田相生町から火事が出ました。火は付近の十ヶ町を焼くつくしました。
>明治新政府は、この火事を機会に焼跡に町家の再建を許さず、約九千坪を火除地としました。
>明治3年3月、火防(ひふせぎ)で有名な遠州の秋葉大権現を観請し、東京府社「鎮火(ひしずめ)社」
>を創建しました。
>以後この地は、地元から「あきばの原」「あきばっぱら」と呼ばれ、行楽地に利用されました。


(1)「火は付近の十ヶ町を焼くつくし」

 「東京市史稿」の「市街篇第51(市街51-0001 )火除明地ニ鎮火社設立」や「遊園篇第4(遊園4-0225)鎮火社創建」といった史料(公文書)によれば、「周辺八ヶ町全焼、他三ヶ町に延焼」とありますが、この「十ヶ町」というのはどの史料によるものでしょうか?

(2)明治3年3月、火防(ひふせぎ)で有名な遠州の秋葉大権現を観請し、東京府社「鎮火(ひしずめ)社」を創建

 同じく、この「遠州の秋葉大権現を観請した」という史料をお教え願いたいのです。

 2-1.「遠州の秋葉大権現を観請」とありますが、鎮火社の祭神は「遠州の秋葉権現」と異なります。これは上記「東京市史稿」や「武江年表」などに記述がありますし、現在台東区に移転している「秋葉神社」の神社明細でも一貫しています。また、東京市史稿に収められた設立経緯の公文書を見ても、東京府が神祇官に依頼して勧請した旨の来歴はありますが、遠州の秋葉権現から勧請した云々という記述は見当たりません。

 2-2.明治3年と言えば日本政府が神仏分離を推し進めていた時期です。東京府が国家神道を代表する神祇官に依頼して、わざわざ神仏混淆の「秋葉権現」を勧請したということは、歴史的に見ると俄かには頷きかねる御主張だと思います。

 2-3.「明治3年3月」という日付ですが、どの時点(出来事)を指しているのでしょうか(ちなみに鎮火神社の鎮座祭は明治3年10月15日実施、と「東京市史稿」にあります)。

 当該ページには他にも疑問が多々あるのですが、とりあえず上記部分だけでも御見解をお示しいただけないでしょうか。お忙しいところ恐縮ですが、宜しくお願い申し上げます。

SIGNAL9拝

------------------------二通目(笑)
Akiba-i事務局御中

先に質問のメールを送らせていただいたものですが、他の記事にも疑問点がありますので、合わせて質問させてください。

http://www.akiba-info.com/innerakihabara/Vol001.html
の記事に同様の秋葉原の由来の記述があります。
---------------引用開始
本文でも触れた通り、秋葉原一帯はもともと「神田」の一部で、1869年(明治2年)の大火事で付近一帯が被災。その後火除けの場所としてこの一帯を広場にし、そこに「鎮火社」を創建した。この鎮火社が静岡県にある火伏せの神様を祀った「秋葉神社」を勧請したものと庶民が勘違いし、以後この広場を「あきばはら」と呼び始めたところに由来している。この鎮火社も「秋葉神社」と改称したものの、1888年(明治21年)に一帯が貨物駅用地として国鉄に払い下げられたため、秋葉神社は現在の台東区松が丘に移転し、代わりにできた駅が「秋葉原」と命名された。
---------------引用終了

前で質問したページと記述内容が異なることは置いておくとしても、こちらの記述にも疑問があります。

(1)「以後この広場を「あきばはら」と呼び始めた」
 この史料をお教え下さい。
 小生が調べた範囲では、漢字表記「秋葉原」(「秋葉ノ原」なども含む)は確かに確認できますが、よみがなに関して断定的に述べられるような史料は寡聞にして知りません。むしろ、「あきはっぱら」「あきはのはら」などの多様な読み方があったであろうことは推測できる史料は多数知っているのですが。

(2)「この鎮火社も「秋葉神社」と改称したものの、」とありますが、改称したのは松が谷に移転した後も後、40年も後の昭和5年、と台東区が所蔵している神社明細帳に記載があります。明治21年以前に改称したという史料をお教え下さい。

(3)1888年(明治21年)に「国鉄」がありましたか?

(4)台東区に松が丘という場所はありますか?(これはタイプミスかと思いますが…)

度々お騒がせして申し訳御座いませんが、是非とも御教授賜りたくお願い申し上げます。

SIGNAL9拝
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by SIGNAL-9 | 2008-02-27 15:47 | 秋葉原 研究(笑) | Comments(0)
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