アキバを襲った大災害(3) 戦災

 大震災から20年あまり。

 昭和20年3月9~10日、東京の下町は再び劫火に包まれた。
 この時の空襲で東京の3分の1が焼けつくされた。

 俺のヘタな文章でぐだぐだ説明するより、この写真をみてもらったほうがよいだろう。昭和22年、つまり今からざっと60年前のアキバの姿だ。
 「想い出の東京 師岡宏次写真集」(講談社、昭和47年)から、「昭和22年 秋葉原」と題された写真である。
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 撮影場所は明示されていないので推定するしかないが、中央部の小高いところに見えているのは神田明神であろう。つまりアキバから西側を見ていることになる。
 写真の中には総武本線の高架が見えないので、おそらくは明神通りと中央通(御成街道)の交差点、愛三電気のある交差点か、総武本線の高架の下あたりから撮影したものではなかろうか。

 同じく同書から、こちらは「聖橋から秋葉原方面」とキャプションされている。
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 右上に見えるのが、完成時には東洋一と称された総武本線の鉄橋であろうから、地図でいうとこのあたりから東側を撮ったものだろう。鉄橋の足元が今で言うとヤマギワのリビナ本館(伊勢丹発祥の地の石碑のあるあたり)と思われる。

 今時の若い衆の中には「アメリカと日本が戦争したの?」などとトボケたことをいう奴もいるらしいが、これが60年前のアキバの姿だ。

 今でこそ「萌える街」だのといわれているが、本当に「燃え」てしまった、その焼け跡から立ち上がってきたアキバの歴史に、たまには思いを馳せてみて欲しい。



 師岡宏次は「東京」を撮った「思い出」三部作で有名な写真家だ。

 今回写真を引用させてもらった「想い出の東京」は、戦前から戦後までの東京を撮影したもので、特に俺のお気に入り。

 芸術的でもあり、ルポルタージュでもあり、実験風でもありといった写真が楽しめる。また、各写真に付いた短いコメントも寸鉄人を刺す味わいがある。
 引用の範疇を超えるので、サイズの大きな状態での紹介は控えたが、原著の写真はもっと迫力がある。「東京」に興味のある人は機会があったらぜひ原著をご覧になるとよいだろう(古本だとちと高いが、そんなに古い本ではないし刷数は少なくなかったようなので、大きな図書館にはあると思う)。

 おまけとして、アキバとは関係ないが、特に俺が気に入っている一枚を紹介しておきたい。
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日独防共協定の成立
日本劇場の前に大きなナチスの旗が掲げられて驚いた。そして、急に世界の渦巻の中にあることを感じた。朝日新聞社が背景で、特に印象的であった(昭和11年)
 翩翻と翻る朝日新聞の社旗とハーケンクロイツが見事な対比だ。

 たった一枚で時代を切り取る写真の力を感じさせるではないか。
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by SIGNAL-9 | 2008-02-26 16:34 | 秋葉原 研究(笑)
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