明治の美女たち

 明治20年3月20日付けの朝日新聞。
 天保弘化の時代には顔の長うて目の張りがようて生下(はえさがり)の毛が長うて背の高い女で無ては美と云ず、女房を迎へるにも芸娼妓を抱るにも多く右の標準に依り、夫より降つて明治の初年にありては、顔は丸く眼は常体で少し眥(まなじり)の釣上り、髪は黒くて背の小柄でなくては当世でないとて、所謂丸ポチヤ顔の流行せしが、此頃に至りては時好大に一変し、今にも一般に束髪洋服の世界にならんとするの勢なれば、芸娼妓を抱える親方は元より判人の如きも、束髪洋服の似合べき背の高い眼の張りのよい鼻の高い女でさへあれば、髪は少々赤ふても縮んで居ても一向頓着なく、其内ABC位の横文字を心得て居る女は猶更足の早きよし。時の勢と云へハテ妙なもの。
 江戸から明治にかけて、うりざね顔→丸ポチャ→洋風という風に、美人の定義が変わってきた…ということのようだ。

 確かに、「大衆の好み」という大きな変遷はあるかもしれない。
 だが、俗に「昔はお多福顔が美人とされ」みたいな話があるが、それは拡大解釈というもので、いわゆる「美人」はいつでも「美人」なのであって、時代によってコロコロ定義が変わるもんではないのではないか…と、明治期の美人写真を見ていて思ったのである。

 たとえばこれ。新橋新恵比寿家の芸妓、栄龍さんの写真とされている一枚。
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 ぜんぜんイケてるではないか。俺はこんな女性に「おひとつどうぞ」なんて言われたら理性を保つ自信はないぞ。
 あるいはこれ。「鼓を打つ女」と仮称されるおねぇさんの着色写真。
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 こちらも着色写真だが、ファサリ商会が発売した美人芸者のプロマイド。
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 とどめは、超有名写真。陸奥亮子(1856~1900)。
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 陸奥宗光夫人である。父は旗本金田淡路守(播州竜野藩士とも言われる)。
 維新後、新橋柏屋の芸奴となり小鈴と名乗るが、宗光に見初められて、明治5年に結婚。翌年長女を産む。明治15年、宗光は獄につながれるが亮子は先妻が残したニ子と長女を抱え留守を守った。明治23年、宗光が駐在公使となると、ともに渡米、美貌と聡明さで社交界の名花と称えられた。

 明治21~22年頃にワシントンDCの写真館で撮影したものらしい。気品あふれるというかなんというか、実にイイ女ではないか…他の写真はこれほど写りはよくないような気もするのだが(笑)。

 まあ、確かにこれらの写真は欧米人撮影者の手になるもので、その意味では「今風」の美人だから違和感がないのかもとも思う。おまけにみんな"プロフェッショナルな"女性だ。だとすると特殊な例なのだろうか?
 いやいや、どうしてどうして。
 以下、日本初の美人コンクールの応募写真。当然素人の女性である。

 山形代表の豊田ワカ子嬢。
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 同じく山形代表、野々村サダ子嬢。
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 石川代表は林玉子嬢。
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 彼女たちは今の基準で見ても充分に美形だと思うのである。
 少なくとも俺は全然イケる(なにがだ)。

 たしかに時代時代によって、大衆の平均的な好みの顔立ちというのはあるのだろう。

 ここに挙げた明治の美女たちも、今の目で見ると「やぼったい」「古臭い」と見る人もいるかもしれない。特にスイーツ(笑)セレビッチ最近そういう言葉があるそうだ。直訳すると「成金売女」だな^^;)な今風の審美眼からすれば。

 彼女たち明治の美人から、現代には希薄になった「品」というものを感じてしまう俺は既にジジイなのかもしれないし、その謗りは甘んじて受けよう。ああ、古いと言わば言え。ちなみに昭和に生きる(笑)俺の美人基準はこの方である。
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 『まぼろし探偵』の一場面である。1959年、確かに古い作品だ。だが、21世紀の基準で見ようが何をしようが、どう見ても美少女である。これはもう誰が何と言おうと美少女なんであって一切の反論は認めないのである(笑)。

 おそらくこの写真を明治や江戸のヒトビトに見せたとしても「おお、綺麗な娘さんだねぇ」という感想が得られると思うのである。
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by SIGNAL-9 | 2007-12-26 14:51 | 古い話
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