明治珍聞:謎の地下住宅

先日、明治世相編年辞典(東京堂出版)を眺めていて奇妙な記事を発見。
明治26年(1893年)7月31日

 牛込区原町の荒物商中川某は、九人の子供のうち七人までが死んだため、易者の言をいれて乾の方角の古井戸らしい辺りを一丈ほど掘ったところ、大穴があって中に整然とした住宅を見出して珍聞となった。
 たった、これだけ。

 牛込区原町と言えば、かの池田亀太郎、通称「出歯亀」がパクられた銭湯があったことで有名だ(有名なのか?)。
 今でいうと新宿区あたり、東京15市では"町はずれ"の方にあたる。地名に牛が入っていることからも判るように、元々、牛が放牧されていたような武蔵野の野原だったところだ。

 「九人の子供のうち七人までが死んだため」-子供の連続死というのは当時の社会状況を考えてみるに、家族にとっては大いなる不幸だろうが、さほど奇異には感じない。「何かのタタリか?」→易者に見立てを頼む、といった流れも、よくある因果因縁の怪談話のフォーマットで、ありがちな話である。

 だが、ここから単なる怪談話とは微妙に位相がずれる。古井戸から出てきたのはしゃれこうべ、ではなく、地下の住居だったというのだ。

 「一丈ほど掘った」というと約3メートル、確かにさほど深くはないが、明治26年当時のことだ。地下室なんかそうボコボコ作れるほどの土木技術が一般的だったとは思えない。
 しかも、「整然とした住宅」というからには、天災で埋没した廃墟みたいなものではなく、わざわざ大穴を掘って、その中に住宅を建築していた事を伺わせる。だとすると、「古井戸らしい」ものはそこへの入り口だったのだろうか。

 そもそもいつの時代の建物なのかもはっきりしないが、発見された当時ですら、今みたいに電気水道使い放題という時代ではない。地下住居なんぞ作って、ソコで生活が出来たとは思えない。
 とすると、何か特別な目的に使用するためのものだったのだろうか。だとすると、いったい何に使ったのだ。いや、そもそも、誰が?

 いわゆる「珍聞」の類は、書いてあることをそのまま信じることはできない。三面記事・ゴシップやオカルト記事がウソ・デタラメ・誇張に満ちていることは今も昔も変わらない。

 そうはいってもこの話、「丸ごとデッチアゲ」と切り捨てるには、いささか話がトビすぎているような気がするのである。

 例えば、これが「易者の言うとおり、古井戸からしゃれこうべが」的な話だったら「ああ。はいはい」と薄く笑ってスルーするところなのだが、「古井戸を掘ったら家が出てきた」というのは、デタラメにしてもデタラメすぎるので、逆に真実味があるではないか(笑) 面白おかしい話をでっち上げるのならもう少しもっともらしい話にするんじゃなかろうか、と思うのである。

 どうも訳がわからない。訳がわからなすぎて、逆に好奇心が刺激される。

 あえて合理的説明をしようと思うと、元々地下室としてあったものが、地上部の建物を取り壊して埋められてしまったのだろうという憶測はできるのだが、どうにも情報が少なすぎてはっきりしない。

 困ったことに、この記事、出典が書いていないのである。
 手元にある奇談・珍談関係の書籍を見ても、この牛込の謎の地下住居に関しての記述があるものが見つからないのだ。

 ううううううん。まさか地底人だの最低人だの、新撰組の極秘地下基地だのではなかろうが。もし真相をご存知の方がいらっしゃったら是非教えて欲しい。
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by SIGNAL-9 | 2007-12-17 17:31 | 古い話 | Comments(0)
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