「江戸文化歴史検定」のデタラメ広告

8月24日の読売新聞夕刊を見ていて、思わず吹き出した。

『第二回「江戸文化歴史検定」特別企画 Take2 東貴博 江戸文化歴史検定体験記』と題された広告である。
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 この江戸文化歴史検定というのは江戸文化歴史検定協会というところが主催しているが、ホームページをみると、江戸東京博物館と小学館がその本体のようである。

 さて、広告によれば、「浅草生まれの浅草育ち。ちゃきちゃきの江戸っ子・東貴博さんは江戸文化歴史検定二級の合格者」なのだそうである。

 この広告、突っ込みどころは他にもあるのだが、噴飯したのは、これだ。
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東さんがおすすめの江戸の名残を味わえる場所とかありますか?

浅草寺は焼け残っているから江戸のまま。浅草でさえどんどん改築して、古そうなものを造ったりしているけど、本物が残っているうちに見てほしい。
(つд⊂)ゴシゴシ→(;゚ Д゚) …!?はぁ? 浅草寺が焼け残ってる? 江戸のまま?

 この文脈で「浅草寺」といえば、本堂(観音堂)のこととしか受け取れない。

 馬鹿なことをいってはいけない。
 浅草寺本堂は昭和20年の空襲で丸焼けになったのである。

 昭和33年に浅草寺自身が発行している『昭和本堂再建誌』によれば;
(昭和二十年)三月九日午後十時四十分、折柄烈しい西風の吹きすさむ夜の街々に、不気味な警戒警報が伝えられた。十日零時三十七分空襲警報発令、南方海上を旋回しつつあったB29多数機は、逐次房総南部より帝都に侵入し、京浜周辺各所に分かれて焼夷弾を投下しつつあり、尚後続部隊ありとの情報である。
(中略)
午前二時過ぎ、本坊庭園に、多数の焼夷弾が落下し、火の粉は倉裡の諸所に燃え移った。辛くも一同これを消し止め、再び本堂を見上げれば、こわ如何に、巍然として夜空を圧する如く聳え立つ観音堂大屋根の西破風から、一条の光焔が鋒芒として走り出で、愕いて見返せば、風下の東破風から迸ばしる黒煙は烈風に薙ぎて真一文字に東に靡き、大屋根内部の発火はも早や疑うべくもない様相となっているではないか。
 慶安二年再建以来ここに二百九十六年、昭和大修繕成って僅か十二年、百万信徒に親しまれ来つた観音堂も遂に業火を免れ得ず、(中略) 観音堂の全く焼け落ちたのは午前五時頃にて、仁王門、五重塔、経蔵等も総てこの日焼尽した。
 この空襲で、浅草寺境内で焼け残ったのは、二天門、淡島堂、伝法院、浅草神社(三社様。厳密には浅草「寺」境内ではないが)など、わずかな部分だけなのである。

 浅草寺観音堂は昭和26年6月から七年がかりの大工事(総工費約4億円)で、昭和33年(1958)10月に再建されたのだ。

同書付録の『浅草寺本堂再建工事報告書』に工事の写真が掲載されている。

これが基礎工事。
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これが鉄骨の骨組みである。
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さよう、今ある本堂は鉄筋コンクリート製なのである。
再建事務局工事顧問の工学博士、大岡実によれば
…最初から鉄筋コンクリートの近代的不燃焼構造にするか、昔通りの木造建築にするかについては大いに議論のあったところであったが、私は断然鉄骨鉄筋コンクリート造を主張したのである。というのはたとえ宗教建築を旧来の形式で建てるにしても今日のように人家の密集した地区においては火災の危険は頗る大きいのである。人々の浄財によって造られる宗教建築が一度の火災によって烏有に帰し又々巨大な財力を集めなければならないという様な事は技術家としてなすべきでないという信念が一つと、戦争中防空問題で数度浅草寺を訪れ、旧本堂の材料の大きい事、例えば床下に二尺角近い欅の束が林立している状態を見て「この建物が焼失したら」再びこのような材料は集まらないという実感を持っていたので木造で再建するということは不可能でないまでも非常な困難があり本格的な建築をするには費用も大変な額になると考えたからである。
 一般観光客が好んで記念撮影に勤しんでいる雷門や観音堂は、すべて戦後のものなのだ。
 大体、昔の浅草を取り上げた、一般書籍で販売している写真集のタグイにだって、丸焼けになって外観だけ残った仲見世や、本堂修復中の仮本堂の写真が必ず載っているのである。

 東氏がナニをもって「浅草寺は焼け残っているから江戸のまま」といっているのか、是非知りたいものである。あの鉄筋コンクリの本堂が、本当に江戸時代のままだと思っているのか、この御仁は。
東氏のいってる「江戸」つーのは鉄筋コンクリート製の本堂を構築するような超古代文明のタグイなんだろーか(哂)

 つーか、「浅草生まれの浅草育ち」だそうだが、本当に浅草寺を見たことがあるのか? とすら疑いたくなってしまう。あれがコンクリート製であることは一目で判ると思うのだが。

 ま、これが単に東氏がどこぞのお笑い番組で喋っただけだったら、『これはひょっとしてギャグでいっているのか』と笑って済ませるところだ。

 だが、これは「江戸文化歴史検定」の広告なのである。掲載内容には広告主である江戸文化歴史検定協会、すなわち江戸東京博物館と小学館の責任があるはずだ。

 卑しくも他人の歴史文化の知識を検定しようという組織が、明らかな誤りを全国紙の紙面で喧伝する、これが果たして責任ある、誠意ある活動といえるだろうか。
 この「広告」が全国紙の紙面を飾るまでに、内容のチェックを行った中の人はいないのか?

 江戸文化歴史検定二級とやらのレベルはこんなものです、と恥をさらすのは勝手であるが、テメエの広告の内容『検定』もできないようでは、その『検定』自体のレベルも押して知るべしである。

 …と、久しぶりに半ギレしているが、なんでこんな些細なことに目くじらを立てているかというと、俺の近しい親族がこの再建事業に微力ながら係わったという個人的事情があるからだ。
 俺自身は浅草という地域にはほとんど縁もゆかりもないが、先人たちの営為を踏みつけにするような無神経な広告を、江戸博だの小学館だのの名前でやらかされるのは愉快な事ではない。

 3月9~10日の空襲で、浅草地区の約9割が焼け野原となり、隅田川には死体が山と流れていたのだ。
 空襲で死んでいった多くの人々、焼け野原だった浅草の再建に尽力した人々の辛苦を無視して、な~にが江戸文化歴史なのか。

 江戸に遡る前に、他に学ぶべきものがいっぱいあるんじゃないのか?
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by SIGNAL-9 | 2007-08-28 09:52 | 古い話
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