以前、この建築物を紹介した。
今は私邸であり「生きている」(=生活に使用されている)建物なのであえて触れなかったのだが、実は歴史のある建築物なのである。 『東京建築回顧録Ⅱ』(読売新聞社、91年)によると、明治20年前後に三井家から陸奥宗光(説明の必要は無いと思うが、千年不敗・一子相伝の最強格闘術の使い手…ではなくて明治時代の外務大臣である)に献上された別邸であるとの由。 木造二階建てで、延べ床面積はざっと四百平方メートル。階段の木製手すりの端には、陸奥家の紋であるボタンの彫り物があり、建物が献上用に新築されたことがわかる。同書によると、陸奥の死後、この家は当時の実業家の手に渡り商売の拠点に変わったのだそうだ。 記事の取材日は平成元年三月とあるので、掲載されていたこの写真もその時分のものであろう。 要するに、往時はプチ鹿鳴館だったわけだ。 一枚目の写真は冬に撮ったものだ。 草木萌える季節を向かえ、どうなっているのか見に行ってきた。 萌え萌えである。 二階の窓なんかこのありさまだ。 さらに横手に回るともっとスゴイ状態になっている。 前掲書には、平成元年時点で「建って102年、補強されてはいるが、木造建築がこれほど長く持ちこたえるのは珍しい」とある。前掲写真を見るかぎり、取材時点ではこれほどツタに侵食されてはいなかったようだ。 俺は素人なのでわからないのだが、木造の家にこんなにツタが繁茂していて、家は傷まないのだろうか。余計なお世話だが、ちょっと心配ではある。
by SIGNAL-9
| 2007-05-09 09:27
| 町歩き
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