年度末で忙しいのはどこの仕事でも共通だと思うがおちおちインターネットもしてられない。Blogの更新も滞る。
そうはいっても週末くらい、のんべんだらりと過ごす時間も必要なのでテレビのザッピングをしていたら、ちょうど番組改変期なので、何本かのアニメの最終回に遭遇した。 で、ふと思ったのだが。
そのこと自体クサする気はない。 浦島太郎などのおとぎ話の昔から、この手の世界観は繰り返し使われてきたわけだ。「いわゆるマンガ」の原初の姿のひとつである『冒険ダン吉』だってこのフォーマットである(ダン吉君は小船の上で居眠りをしていて漂流。南の島に流れ着く)。 王道といやぁそうなのだろうし、この手のアニメはそれぞれ想定している視聴者層も違うだろうからいいのかもしれないが、こう同じものが並ぶと、なんとなく芸が無いなぁ…と思われてならない。 王道に依るのは結構だが、同じ時期にこれだけ固まって同工異曲の世界観が語られるというのはど~よ? 最近とみに「この手の設定」のアニメやマンガが増えてるような気がするんである。別にマジメに調べてみたわけじゃないので単なる気のせいかもしれないが、『ゼロの使い魔』もコレだったし、『妖奇士』も似てるといえば似てるわな。 もうひとつ似ているところに気がついた。 最近のお話、異世界と関係した主人公が何故か急に異能力(魔法)が使えるつー設定が多くはあるまいか。ほれ、「覚醒」とかいうアレだ。いわゆるイヤボーンというやつだな。 例えば『メルヘブン』はフツーの少年だったはずが実は強力な魔法が使えるという話。『赤ずきん』も実は母親が魔法世界の住人で、やっぱり秘められた魔法の力が使える少年が登場。 『牙』も『デジモン』も『ゼロの使い魔』も同じ。 『冒険ダン吉』のような昔風の主人公は知恵と勇気と若干の技術知識を持っているだけで特に極端な異能力を持っているわけではない。 もっと言ってしまうと、特別な出自や「血」に起因するようなデフォルト能力を有しているわけではない。 視聴者・読者とたいして変わらないフツーの人間が、特殊な環境の中で生きていくつーところにお話としての面白みがあるわけだ。 そりゃあ魔法世界みたいな極端な環境でお話を転がしていくには仕方ないつーことなのかもしれないが、もう少し工夫はできないものかねぇ。 個人的には「魔法に魔法以外で対抗するような主人公」も面白みがあるんじゃないかと思うんだが。 しっかし、こうも同じような設定のモノがいくつも並んで、観ているコドモは飽きないのかねぇ?
by SIGNAL-9
| 2007-03-27 16:17
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