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秋葉原-表記の歴史:「秋葉の原」「秋葉が原」「秋葉っ原」…?

wikipediaの秋葉原駅の項より
地名としての秋葉原の読みは、駅の開業までは「あきばがはら」。古くは「秋葉の原(あきばのはら)」「秋葉っ原(あきばっぱら)」と呼ばれていた。現在秋葉原は通称「アキバ」と呼ばれることが多いが、これは偶然だが昔の呼び方に近い。
 これが通説・定説のようである。

 『秋葉原』という地名を表すのに、どのような表記が使用されてきたのか、調べられるだけ調べてみた。

  • 「秋葉の原」(秋葉ノ原)
     既に見てきたように、山本笑月や森鴎外などの随筆・文学作品、当時の新聞記事などでも「秋葉の原」は使用されており、この表記が通用していたことは間違いない。

     明治20年発行(17年頃の測量)の地図『東京5千分の1』で「秋葉ノ原」という記述があることは既に書いた。特にこの地図では「字秋葉ノ原」と「字」付で表記されており、明治20年頃(火除け地としては末期の、行楽地化していた時代)には、「秋葉の原」はある程度公的に通用していたのではないかと思われる。

  • 「秋葉っ原」(秋葉ッ原)

     さすがに「秋葉っ原」というざっかけない表記は公式文書の類では見当たらないが、文学作品では言及がある。
    笹川臨風『明治還魂紙』(昭和21年)
    秋葉つ原は、今ではアキハバラと変な田舎流の読み方をしてゐるが、昔は秋葉の原、普通に秋葉つ原と呼んでゐた。神田佐久間町の附近で、一面に広漠の原、秋葉権現の社があるので、俚俗之を秋葉つ原と称する。
     残念ながら原著は未入手。以上の文章は槌田満文『東京文学地名辞典』(昭和53年版)より孫引き。(2008/05/22追記。原著を確認することが出来た。内容は同じだった)
     笹川臨風は明治3年神田末広町生まれ。書かれたのは昭和21年と最近(笑)だが、上記文章は小学校時代を回想したものとの由。とすると明治10年代、広漠の原というからには遊興地化する以前であろうか。

    定本 艶笑落語〈2〉艶笑落語名作選の中にも演目『秋葉ッ原』が見える。

  • 「秋葉が原」(秋葉ケ原/秋葉ヶ原)

     まずは文学作品から。
     泉鏡花『幻往来』(明治32年)
     秋葉ケ原あたりで轟々といふ汽車の響。見附の人通も、ちらほら、夜は未だ然までに更けては居らない。
     大正~昭和初期の鉄道関連記事を纏めている神戸大学新聞記事文庫を検索してみると、「秋葉ケ原」(「秋葉ヶ原」)と記述している大正時代の新聞記事がいくつか見つかる。

    歳末財界概観 (上・下) : [大正二年末の金融市場 其二] 時事新報) 1913.12.16-1913.12.17 (大正2
    尚お秋葉原駅を見れば不信の状況一層歴然たるものあり即ち左の如し
    十、十一月末は外米輸送の為め秋葉ヶ原開設以来未曾有の盛況なりしに比しては十二月が昨年同期と殆んど径庭なきが如き之を不振と称するも
    年末の運輸状態 : 全線の滞貨約四十四万噸 汐留秋葉ケ原はそうでもない (中外商業新報 1917.12.9 (大正6))
    秋葉ケ原駅でも大体同様の状態で日々の着車か五十噸位少い位のものである
    無賃輸送の第一日 : 効果直に現わる秋葉原駅 : 前夜来米二千噸の発送申込 : 野菜などは逆輸送の珍現象 (読売新聞 1919.7.25 (大正8)
    此の日神田秋葉ヶ原貨物駅に就て米その他の食糧品の発着を訊くと杉本駅長は語る
    特別小口扱に必要な諸設備 : 全国重要駅に施す : 鉄道省の新計画? (大阪朝日新聞) 1926.12.24 (大正15)
    しかして全国から選定された駅は左の如くで、半数は未決定の分その他である
    本州の部 汐止、両国、飯田町、田端、秋葉ケ原
     秋葉原貨物取扱所(秋葉原駅)が出来てからかなり時間がたった頃の記事だが、ひとつの記事の中で「秋葉原」「秋葉ヶ原」を混用しているところをみると、「秋葉が原」は慣用として定着していたようである。
     この記事データベースの大正・昭和期の記事からは、逆に「秋葉の原」は見当たらない。大正のマスコミは「秋葉が原」派だったのかもしれないが、大正期には「秋葉が原」の方が通りがよくなったということも考えられる。
     また、この記事データベースでは、昭和期の記事からは「秋葉が原」表記が見当たらないのもおもしろい。大正14年の旅客扱い開始で「秋葉原」という駅名が定着したからではないか。

  • 「秋葉原」

     「が・の」無しの「秋葉原」表記は、貨物駅開業のという説が一部にある(冒頭のwikipediaの記事『駅の開業までは「あきばがはら」。』)が、実際には表記自体は、秋葉原駅設立前から使われていたようだ。

     例えば、前出のチャリネ曲馬団の活躍を伝える明治19年9月3日の朝野新聞記事。
    チャリネ大獣苑曲馬は、外神田秋葉原にて一昨日より興行せしが、獣苑及び曲馬場はすべて天幕を以って蔽い、
     東京市史稿・市街篇第73-001『上野・神田佐久間河岸間貨物鉄道敷設認可』(明治20年)に、日本鉄道会社社長、奈良原繁から東京府知事に宛てた工事仕様書が掲載されているが、その中にも『河涯(秋葉原河岸)ニハ神田川ト凡ソ八拾度ノ角度ヲ以テ』という記述がある。
     建設申請の仕様書なので当然この時点では公式には「秋葉原」駅(秋葉原貨物取扱所)は存在しないが、「秋葉原」という表記は公文書上でも使用されていたことになる。
     「ノ」や「ガ」の意図せざる脱字、あるいは『秋葉原』駅という名前は既に日本鉄道内部では決まっていたため、という可能性はあるが、社長から府知事宛の公文書であるので脱字の可能性は低いように思えるし、文脈からすると単なる地名として使っているように読める。

     市街篇第80-560『日本鉄道株式会社、上野・秋葉原間ノ運輸ヲ開始ス』(明治23年)の項には、日本鉄道から府知事宛の開通届け(73-001『鉄道布設願』と同じ奈良原繁名義だが、肩書きが『社長』ではなく『社長代 理事委員』になっている。もしかして降格か?)と、明治23年11月1日・2日の、上野・秋葉原間の開通を報ずる『時事新報』記事が記録されている。
     開通届けは「上野・秋葉原間」とあるが、記事の方は「上野・秋葉間」「神田秋葉ノ原」「秋葉停車場」などが混用されている。


 考えてみれば「ナントカ○原」の○に入るのは、「の」か「が」か「っ」、それから「の」が訛って「ん」、くらいしかない。
 結局のところ、表記上は「秋葉の原」「秋葉が原」「秋葉っ原」「秋葉原」「秋葉」、ほとんどのパターンが登場しており、なんでもアリだったのではないかと思われる(笑)。

 統計的な確認はできないが、wikipediaの記述のあるような、初期には「秋葉の原」・「秋葉っ原」、その後「秋葉が原」・「秋葉原」などが使われるようになったらしき傾向は見て取れる。

 実はこの「事実上なんでもアリだったのではないか」という推測は、この後の俺の思考の方向性を決めるきっかけになったのである。

 「『アキバガハラ』でないとダメだと抗議活動があったみたいな話があったけど、こんなに色々な表記があるのに、コレでなきゃダメなんて<抗議>、ほんとにあったのかな? それも調べてみようかな」

 人はこうして泥沼にはまる(笑)

 で、次回以降、この話について調べてみようと思う。
 「表記」に関しては大体わかった。次は「発音」の問題を調べてみる必要がある。
by SIGNAL-9 | 2007-02-01 11:27 | 秋葉原 研究(笑)
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