有人宇宙飛行ってホントに必要なの?


 2005年11月28日付エントリで、『はやぶさ』と中国の有人飛行を比べて俺はこう書いた。
「中国様にはかないません」ってか? 有人飛行なんかより100倍スゴいちゅーねん!
 いささか挑発的な書き方ではあるが、本気である。

 日本は有人宇宙飛行なんか目指す必要はないと思うのだ。
 そもそも高価なコスト-最悪は人間の命-をかけてまで、わざわざナマモノを宇宙に送ってメリットはあるのか?

つーか宇宙で何をする?

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の有人宇宙飛行の項によると;
宇宙ロケットに人間が乗り込むことには、依然安全上の大きなリスクがあり、実際に宇宙開発においては惑星探査などその多くをロボットが担っているが、人間が行わなくてはならない活動も少なくない。宇宙船内での高度な実験、宇宙ステーションの建設などを行うことは、すなわち宇宙開発の主導権を握ることを意味する。現在建設中の国際宇宙ステーションでは有人飛行実績の高いロシアとアメリカが、主導的な立場を担っている。
なのだそうだが、「宇宙船内での高度な実験」というのはいったいナンなのか、俺にはさっぱりわからん。

メダカ育てたりしてるアレのことか?

 例えばオンラインで「国際宇宙ステーション/きぼうの利用総括」こんな文書が読める。2003年時点の文書であり、その後「国際宇宙ステーション」自体、ますますの暗雲が漂っているのは周知の事実だが、この時点の文章でも、ちょっと拾い読みしてみても首をかしげるばかりだ。
 ISS利用については、「きぼうを始めとする諸要素が企業、研究者、文化人等に幅広く利用されるよう、利用体制等の環境整備を強化すること」、並びに「文化・青少年等の教育プログラムに活用し、教育現場における理科離れ対策など科学技術教育に貢献する等、より広範な利用を視野に利用推進を行うこと」が強調されている。
 これに何億もかける価値があるのかねぇ…というのは当然の疑問で、
 米国を中心とした、Space Station-α(宇宙基地アルファ)等ISS計画の前駆となる宇宙基地構想の検討、日本におけるこの計画への参加の検討は、1980年代半ばに着手された。それ以来、スケジュール遅延をはじめとする計画変更が、数回におよび繰り返され、既に約20年を経過した現在においても、ISSは現実に完成していない。本格的な利用が遠のくばかりとも見られる中、参加各国の財政事情の悪化も相俟って、その莫大な投資に見合う成果が得られるのかという批判が起こり、ISSの意義や目的の見直しが迫られている。
 そりゃそうだろうな。で、見直した結果はどうかというと、
 きぼう初期段階の利用において、約30の利用領域の中から、重点的に取り組むべき領域・課題として、以下が識別された。また、これら科学・技術開発分野以外にも、商業活動や、教育的利用、人文社会科学・文化的利用についても資源を配分して利用を推進すべきであることが指摘された。

(a) 宇宙ゲノム科学:重力感受遺伝子の働きの理解
(b) 臨界点ダイナミックス:物質の凝集原理と相転移のメカニズムの理解
(c) 全天X線モニタによる、宇宙の大構造マップの作成と宇宙誕生の謎解明への貢献
(d) 世界に先駆けたオゾン層破壊に関連する微量気体成分の実験的観測と、センサ技術の検証
(e) 結晶成長メカニズム解明と革新的結晶成長制御技術の開発
(f) 船外プラットフォーム利便性向上のための技術開発
(g) 構造機能解析のための高品質蛋白質結晶生成(応用利用分野の重点課題)
(h) 高性能光学素子用3次元フォトニクス結晶開発(同上)
 う~ん。
 俺はシロートだし、表題だけから判断しちゃいかんのだが、思いつくものはなんで目的にしてしまえ-逆に言うとコレといった目的がないようにみえるのである。

宇宙でなきゃならないといえば「微小重力」とか「真空」とか、いわゆる「宇宙環境」を利用したいからってことなんだろうが、
  • ホントに宇宙でなければ出来ないの?
  • ホントに人がいかなければ出来ないの?
  • ホントに他の方法よりメリットがあるの?
  • ホントにISSみたいな大掛かりなモノでなければいけないの?
 こういう疑問に、個人的に納得のいく説明を見たことがない。
 逆にロバート・パーク「わたしたちはなぜ科学にだまされるのか―インチキ!ブードゥー・サイエンス」でのISS批判(もうボロカスなんだ、これが)の方が「なるほどね」と思えてしまったのである。 
 これら重点的に取り組むべき領域・課題以外に、利用・運用体制、利用推進方策等について、以下のような指摘が行われた。

(a) 運用・利用活動へ積極的に民間活力を導入すべきであること。
(b) 国、機構、及び民間がそれぞれの特徴を活かした適切な官民協働体制を構築すべきであること。
(c) 民間、政府機関、外国等の広範な利用者による利用の拡大・多様化、及び財源の多様化を図るべきであること。このために、利用制度やリスクの明確化、利用料金の設定等を検討すべきであること。
(d) ISS計画への参加により蓄積してきた有人宇宙技術をさらに発展させ、有人宇宙活動を維持・継続するための主要技術の蓄積を図っていくべきであること。
 よーするに、もうゴマカシきれないんで民間を巻き込んで「責任」をおっかぶせてしまえ、と読めるのは俺の目が曇っているからだろうか。
 なんでそこまでして「有人宇宙活動を維持・継続する」必要があるのかさっぱりわからない。

 なぜ急にこんなことを書いてるかというと、読売新聞の連載記事の「国家戦略を考える」の第10回「漂流する海洋日本」(6月6日付朝刊)を読んだからなのである。
 日本を取り囲む海には、マンガン団塊など、将来開発が見込まれる資源やエネルギーが豊富に存在する。だが、海洋開発に対する日本の姿勢は及び腰だ。
 政府の統合科学技術会議(議長・小泉首相)はこの3月、今後5年間の海洋・宇宙分野に関する政策指針となる「フロンティア分野推進戦略」を決定した。
 この戦略をまとめた「フロンティア分野推進政略プロジェクトチーム」が2月に開いた会合で、大型予算の対象となる「国家基幹技術」をめぐって、ちょっとした議論があった。
 湯浅哲夫東大教授(海洋工学)が原案に示された「国家基幹技術」に海洋開発が含まれていないことを問題にしたのだ。
 「海洋国家日本が海洋開発や海洋利用技術をテーマに入れないのはまずい。ぜひ入れていただきたい」
 しかし他のメンバーからは「国家基幹技術の目安は予算総額が300億円以上だ。それは大丈夫なのか」などという慎重論が出た。巨大な経費がかかる宇宙開発と比べ、小規模プロジェクトしかない海洋開発は国家基幹技術にふさわしくない、と言わんばかりだった。



総合科学技術会議が04年に策定した「宇宙開発利用の基本戦略」にはこんな文言がある。
「長期的には、独自の有人宇宙活動への着手を可能とすることを視野に入れ、基盤的な研究開発を推進する」
 有人宇宙計画という野心的な将来目標を据えることで、国民の理解を得つつ、宇宙開発全体を推し進めていこうという狙いがある。
 その点、海洋開発は関係省庁が多く、連携も悪いことで、割を食っている。



「海洋」にも、せめて「宇宙」並みの行政の取り組みがあってもいいのではないか。
 この記事は「宇宙開発」と「海洋開発」の軽重の比較という観点の記事だが、俺としては根本的に「有人宇宙飛行」という目標設定自体に疑問がある。

そもそも
長期的には、独自の有人宇宙活動への着手を可能とすることを視野に入れ、基盤的な研究開発を推進する
とはどういう意味だ?

 「長期的」には「着手を可能とすることを視野に入れ」…これ、もしかして「やらない」って言ってるのと同じなんじゃないか(笑)

 「長期的には」「着手を可能とすることを視野に入れ」られた「有人宇宙飛行」というのがもしも単なる政治的お題目であるのなら、リソースの効果的配分という観点では、長い目で見りゃあこれほどの無駄はなかろう。
 実現したときのメリットがよくわからない<目標>のために、もしかしたらもっと利益の出たかもしれない他の<目標>に振り向けることが可能だったリソースが浪費されてしまうようなことにはなって欲しくないものだ。

 俺は何も「宇宙開発なんかカネの無駄」と言ってるのではない。「はやぶさ」みたいな先駆的試みはどんどんやるべきだと思うし、そのための基礎研究や基礎技術の蓄積は非常に重要なことだとは思う。

 ただ、なんで「有人」でなきゃいかんのか、そこが分からないのである。

 むしろ「ASIMO、火星に立つ」を目指すって方が、日本らしくて良いのではないかしらねぇ。
[PR]
by SIGNAL-9 | 2006-06-07 16:41 | 一般の話題 | Comments(0)
<< 畏怖が生み出した病弊 はやぶさの成果、「サイエンス」に掲載 >>