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『ARIA』をネタに「誠意をもった作り」についてちょっと。

昨日書いた、「『誠意を持った』作り」ということについてもう少し。

 引き合いに出して申し訳ないのだが『ARIA』という漫画と、それを原作としたアニメがある。

 ああああ。わかっている、わかってるのだ。『ARIA』はそもそもそういう風に観る作品ではない。俺もいちおう既刊のコミックスは導入篇の『AQUA』含めて全巻読んでいるし、アニメの方もほぼ毎週見ているのである。
 端正でかわいらしい絵とまったりしたお話を楽しめばいいということくらい理解している(最初に7巻一気読みしたときには、あまりのまったり感に途中でトリップしましたよ、あたしゃ)。
 嫌いな漫画ではないし、作品それ自体をケナす気は毛頭ない。このマンガは要するに未来版「三丁目の夕日」なんであって、柳田理科雄流のカガク的にどーのこーのというツッコミがヤボの極みであることは重々承知している。

 承知しているのだが、どーもねぇ。気になっちゃうのよ。

 端的にいえば、なぜ舞台が「テラフォーミングされた火星」でなきゃならないのか理解できないのだ。
 「温暖化が進行した未来の地球」でも「まったく別の星系の惑星」でもいいのではないか。いや、そもそもその方が無理がないのではないか。

 例えば、アニメ版「ARIA」の「その鏡にうつる笑顔は…」の回(関東では5月8日放送)に、主人公たちが深夜にお風呂に入るシーンがあるのだが、このとき窓の外にはポッカリと黄色いお月様が見える。

 大きさといい色といい、どうみても地球からみた月である。

 火星にそういう衛星がないことは小学生でも知っている。ダイモスに比べて大きくて火星表面に近いフォボスだって見た目の大きさはせいぜい(火星から見た)太陽の大きさの半分くらいのものだろう。んじゃあアレはいったいなんだ?…みたいな「余計なこと」を考えちゃうのだ。
 まあ、この回にはそもそももっとも大きな問題があり、せっかくのお風呂のシーンであるのに主人公たちはほとんど湯船に漬かりっ放しで肩から上しか見えないという演出上の致命的な欠陥が…って、これは話が違うな(笑)

 いわゆるSFではなくファンタジーなんだからそれでいいのだ、という大人の意見はわかるが、「なんでわざわざ無理のある設定にするのかなぁ」と単純に思うのである。無理目の設定でも、なんとかツジツマを合わせようという努力が見えればそれはそれで面白いのだが、なんの説明も無くいきなり火星の空にお月様を浮かべてしまうというのは、俺にとっては「誠実な作り」とは思えない。

 そりゃまあ、「あの月のように見えるのは実は低軌道周回してる太陽光集光用のレンズなのよ灯里ちゃん」みたいな話がこの後展開するのかも知らんが。

 別に『ARIA』自体が不誠実な作品であるといっているわけではない。だがわざわざ取り入れているSF的な設定やギミックが有効に働いているかという点では疑問である。重力や気候を制御して地球環境と同じにしているという設定がドラマ上に意味があると思えないのである。

「それなら舞台は地球でいいじゃん!」
by SIGNAL-9 | 2006-05-09 14:09 | 読んだり見たり
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