遅ればせながらガラケーからスマホに乗り換えたので最近めっきりTwitterづいてしまいブログは放置してたのだが、やはりある程度のテキストをまとめておくにはTwitterは不向きなのでこちらに備忘しておく。
かわ1020 @kawa1020 5月12日
ワクチン拒否の流れに混じって「犬の狂犬病ワクチン接種をやめましょう!」「私やめてます!」「打ったことにしてくれるお医者さんがいるらしい」という人たちをリアルに見てしまった。驚愕。道端で犬に噛まれて狂犬病、がよその国の出来事じゃなくなって来てしまった…
このツィートがきっかけで、Twitter上で論議が巻き起こっているようだ。
日本でもかつて狂犬病が猖獗を極めた時代がある、ということは既に忘れ去られているので、それを掘り起こしておくことは無駄ではあるまい。
一例として、
報知新聞 (大正8)の「戦慄すべき狂犬の害悪」という記事をみると、当時の狂犬病の被害がどれほど酷かったよくわかる。
著者(弁護士 水野豊)が挙げている明治期の狂犬病被害を列挙すると;
- 十九年、麻布区の田中某方の飼犬が発病し、娘と飼い馬が死亡。
- 二十五年八月、大分県下毛郡某村で牛馬総計二十頭が狂犬によって傷つけられ、馬三頭牛十四頭が死亡
- 二十六年二月、長崎市で狂犬発生。多数の人畜に被害を与える。けが人七十名余り、死者八名。
- 三十年、荏原郡目黒村に狂犬発生。三名死亡。
- 三十三年、狂犬病にかかった犬の総数、五十四頭。
- 三十三年、山口県三田尻附近に四十三名の被害者。三名発病。
- (三十年八月、伝染病研究所に於て始めて予防注射法を開始)
- 三十六年、広島県下で死者十九名。
- 三十八年十一月、神戸市に発生。三年にわたる大流行となり、咬まれた人四千五百二十名。内三十五名死亡。
- 三十九年五月から四十年二月にわたり、青森県下に狂犬病発生。被害者百四十七名。内十一名死亡。
- 四十年五月三十日、北海道室蘭郡千舞別村に一頭の狂犬現れ、猛烈な勢いで蔓延し、翌年までに咬まれた人五百二十六名、内二十一名死亡。狂犬病にかかった獣二百五十二頭。
- 四十年、静岡県、四十一年には神奈川県で多数の患者発生。
- 四十一年五六月頃、山梨県下に発生し多数の被害者。内四名死亡。長野県南部地方に伝播。
- 四十二年に宮城県、四十三年には岩手県で数十名に被害。二名死亡。
- 四十四年春福島県に発生、六名咬まれ三名死亡。同年夏福岡県三池郡大牟田町で一頭の狂犬に十五名が咬まれ内二名発病。
- 東京府では三十四年以来減少の傾向だったが、四十一年に千駄ヶ谷に発生し四十四年には未曾有の大流行。四百五十二頭が感染。大正元年には四百四十七頭に及ぶ。
著者はこれを踏まえて以下の様に主張している。意訳して要約する;
- 狂犬病予防の方法は犬を全滅させるしかない。全滅させられないまでも頭数を減少させることは必要であり、それと共にその病気の根源である犬を感染させないようにすることもまたひとつの方法である。
北里研究所の梅野博士の研究報告によれば、健康犬に対して人に対するように予防接種を行なう試験は良好な成績を顕わしたということなので、これを一般の犬に普及させることは最良の方法であることは疑えない。
- 先年、警視庁は嵌口令を施行して全部の犬に口網を付けて人を咬めないようにしようとしたが、一部愛犬家の反対で廃止させられた。
現在行なわれている畜犬取締規則は緩すぎて予防の効果を上げていないことは、咬まれる被害者が年々多数に上ることから明白である。
したがってこれに対して妥当な取締規則を早急に設ける必要があることは言うまでも無い。
- 「人か犬か」という問題の答えは明らかであり、犬や愛犬家に犠牲を強いることはやむを得ないことである。
著者の主張通り「野犬の捕獲」と「犬への予防注射」という対策は大正中期から取られた。近代デジタルライブラリをキーワード「狂犬病」あるいは「恐水病」で検索すると、ご先祖様の狂犬病制圧のための苦闘の後が読み取れる。例えば
東京府下狂犬病流行誌(昭13)や
石川県衛生状態一斑(昭6)をみると、野犬の捕獲と予防注射が対策として有効であることは疑いようもない。
俺自身は犬に思い入れがある人間ではなく、飼い主の気持ちはわからない。だが、その上でこの歴史を見ると、以下の様に思えるのである。
- 「日本は島国だし現在は検疫をしっかりしているから大丈夫」という意見には賛成できない。 今よりも遙かに海外との往来が少なかったであろう明治・大正時代ですら大きな被害が出ているのだし、狂犬病を媒介するのは犬だけではない。水際で100%防疫するのは不可能だろう。
- 「野犬を少なくする」対策を取れば飼い犬に予防注射を行なう必要は無い? 先に挙げた先人の記録を見る限り(確たる相関を見いだせる粒度のデータではないが)、予防注射か野犬の捕獲どちらかの対策を取れば十分ということではないように思える。どちらが有効だから片方は不要ということではなく、やはり両建てでリスクを減らすことが必要なのではないか。
「戦慄すべき狂犬の害悪」には以下の一節がある。
殊に犬は職業用の猟犬又は探偵犬を除きては大部分其飼主の愛着心を満足せしむる為めに飼養せらるるものなれば官庁などの取締を俟たず第一に飼主が公徳を重んじて被害なきを期せざる可からず然るに往々に自己の飼犬なるに係わらず他人に害を加うる時は自己の飼犬たる事を否定して知らざる真似を為す者の多きが如きは実に度す可からざる不徳と謂わざる可からず
――猟犬や警察犬を除けば、飼い犬の大部分は飼い主の愛着心を満足させるために飼われているものである。「官庁などの取り締まりがあるから」ではなく、まずは飼い主が
公徳を重んじて被害がでないようにするべきである。しかし往々にして自分の飼い犬であるのに他人に害を与えた時には「いや、私の犬じゃないです」と知らんぷりを決め込むものが多いことは実にもって不徳と言わざるを得ない―― 現代の我々もこの言葉を噛みしめてみるべきだと思う。
…読み返してみて補足したくなった。
俺は狂犬病対策には「イヌへの予防注射」+「野犬狩り」で万全とも最善とも思っていないことは言い添えておきたい。今だったらむしろネコやフェレットみたいな愛玩動物の方がハイリスクかもしれないし、いっそ人間に打った方がいんじゃね?という意見にも賛意は別にして理解は出来る。 だが現状、そういった他の手段が簡単に執れない以上、現状の方法を「飼い主の都合で」忌避するのはおかしい、とは思っている。