【近デジ漁り】江見水蔭の『実地探検』


 断崖百丈の下に一大岩窟がある。ここに悪灘の海水が絶えず突入して奥の奥まで波頭を打込むために、その音響が百雷千雷の轟く如くに聴えて、恐ろしくもまた物凄さというものは、如何なる勇者をも思わず知らず戦慄せしめて、永く窟内を窺うに堪えざらしめる。

 断崖百丈…一丈は3メートルなので、300メートルの断崖の下。そこに荒波の轟音渦巻く謎の洞窟があるという。

 あの龍窟、即ち龍池穴には、実に往事より深く進んで、その奥の奥、底の底、それを探求した者が無いとの事。何故ならば、この窟の奥には、毒龍が封じ込められているとの俗説を信じている者が多いので。

 その名は龍池穴…。「龍」の名の由来は、そこに毒龍が封じ込められているという伝承があるからだという。
 だが、この「龍」の伝説、まんざら根も葉もないことではないらしい。

 名を聴いても身の毛を立たしめるところの海蛇が棲息しているからである。
 口広く、牙鋭く、一度人に噛み付かんか、如何にしても離す事なく、首を切られても頭のみは噛み付きて離れず、かれこれする内に牙毒が全身に廻りでもすれば、見る見る五体紫色に変じて、一命をこれがために失うのもある。
 殊に最も龍窟に多く棲息するとの事であるから、古人がこれを毒龍と称して恐れたのかも知れぬ。


 しかし、斯くも恐るべき龍窟の探検を、思い立った者が、今より以前無いのでもあらぬ。しかも二人まであった。
 が、二人とも失敗した。

 一人は嘉永年間、荒行の場にこの龍窟を選んだ行者。三日目に荒波に掠われ死体も上がらなかった。もう一人は明治の初年、蝋燭を五箱ばかり背負い、奥深く進んだ無謀な者があったが、遂に生還しなかったとか。

 うううううむ。
 300メートルの断崖の下、荒波と猛毒海蛇に守られる前人未踏の大魔窟! 血が騒ぐじゃないか。

 で、その魔窟はいったい、いずこにあるのか?! 

 そのすさまじき岩窟は何処にあるかというに、余が片瀬の假居からほど遠からぬ江の島の南岸、かの奥の院と称して世人がよく見物に出入する第一の龍窟に隣っていて、山二つの下へ廻ろうとする海角の東南面に開いてあるのだ。

 ええええええええええ江の島ぁあ?!

 片瀬の江の島って、あの神奈川県の江の島だよな… たまにお天気カメラで中継されている… アニメ「つり球」の舞台だった… 
 一番高いところでも標高60メートルくらいしかないじゃないか。断崖百丈ってもしかして、高さ300メートルじゃなくて幅が300メートルの崖って事なの?

 いや諸君、多少オーバーな表現は大目に見てほしい。

 何しろ著者の江見水蔭は、明治の冒険小説家なのだから。

 『怪竜窟 : 実地探検』(江見水蔭 明40)。

 江見水蔭の名は、ヨコジュンこと古典SF・近代奇想小説研究家の横田順彌の読者だったら記憶にあるだろう。
 大部の著作『近代日本奇想小説史』(ピラールプレス 2011)で、ヨコジュンはかなりの頁を費やして「江見水蔭を再評価せよ」と訴えている。
 小説家としての江見水蔭に関してはヨコジュンのこの本を参照してほしい(『近代日本奇想小説史』はとてもよい本なのでみんな買うと良いと思うぞ。まあ、1万2千円はちょっと高すぎだろとは思うが)。

 ところで、江見水蔭といえば有名なのがアマチュア発掘家としての顔だ。

 アマ発掘家としての水蔭の活動に関しては、『魔道に魅入られた男たち: 揺籃期の考古学界』(杉山 博久 1999)が詳しいので詳細は同書を参照してほしい。
 簡単に言えば水蔭は、書斎に閉じこもるタイプではなく、アウトドア活動を好み、その実地体験を生かした作品も残している。會津信吾は江見水蔭を日本初のアウトドア作家と評している。

 この『怪竜窟:実地探検』は江見水蔭の、初めての「探検実記」なのである。

 個人的感想を述べさせて貰うと、面白い――というか、実に「楽しい」作品だ。

 探検隊員を募り、家の裏手に繋いである愛艇「不二號」を駆って一路竜窟を目指したが、なんと干潮のために船では乗り込めないので仕方なく泳いで突入足に絡まった命綱を海蛇と勘違いして思わず自分で切断してしまうわ、遭難者らしき骸骨だの謎の大蛇の石像を発見するわ、しまいには火薬を仕掛けて障害物を爆破するわ。

 江の島に「大魔窟」なんて…という「常識」は、本書が書かれた明治末期でも現代と同じだった。
 本編は前半部と後半部に分かれており、前半部は先に新聞連載されたものだったようだ。後半部の冒頭、水蔭は前半部連載中に寄せられた世評について、このように書いている

 余等が「龍窟」探検を企て、その記事を読売新聞紙上に連載するや、意外の好評喝采を江湖に博して、それと同時に、また意外の悪評罵嘲をも世上に漲らした。その罵言の内には、果たしてその様なる怪窟が、江の島の周囲にあるや否やとの、疑念を含んだ攻撃である。

 疑念を持たれても当然だろう。なにせ江の島である。絶海の孤島でもなきゃ人跡未踏の秘境でもない、明治どころか江戸の昔から「観光地」だった場所だ。

 だが、この疑念の声に対し、水蔭は高らかに宣言するのである。

 探検記は、小説とは違う。虚構は無い。架空の事実は有らぬ。

 俺は、これはハッタリではないと思う。
 水蔭は本気だ。

 映画やドラマのジャンルには、いわゆる「モキュメンタリー」というものがある。「ドキュメンタリー」の体裁で作成された架空の物語のことだ。「フェイク・ドキュメンタリー」とか「ウソメンタリー」なんて呼ぶ人もいる。

 探検モノで例を挙げると「川口弘探検隊」とか「食人族」みたいなヤツだな。

 「モキュメンタリー」は、ウソをウソとして楽しむという暗黙の前提が、作る側と鑑賞する側で共有されて成立している――まあ、タマ~に観る側はホンモノだと思い込んじゃうケースもあるようだが、少なくとも作ってる側は意識的に作ってるわけだ。
 こういう作品を「ウソッパチだ作り事だ映倫とBPOとJAROに訴えてやる」と作り手を非難したところで、「はあ。別にドキュメンタリーとは言ってないですが何か」「あんまりヤボなことは言わないで下さい」と、鼻白まれるだけなのは言うまでもない。

 だが作品を成立させるために、作ってる方も観る方も、お互いに斜に構えて「それは言わないお約束」を守らないといけないというのは、やはりちょっと歪んでいるような気もする。

 水蔭の「探検実記」は、「モキュメンタリー」とは明らかに違う。
 「断崖百丈」みたいな冒険小説家らしい文学的誇張・ハッタリはあるにせよ、水蔭本人はどうみても「本気」なのである。

 この「本気」さが、水蔭の「探検実記」の「楽しさ」の根幹のような気がするのだ。

 近デジには他に、『奇窟怪嶽:実地探検』(明40)という作品も収められている。
 『奇窟』というのは東京都西多摩郡日原の鍾乳洞、『怪嶽』とは信州の戸隠山のことなのである。

 江の島、日原、戸隠山。

 明治末期という事を割り引いて考えても、「探検じゃなくて観光なんじゃないの」と揶揄したくなるような近場ばかり(水蔭は主に神奈川と東京に居住)ではあるが、そのいずれの場所も、水蔭は本気で「探検」に取り組んでいる。

 探検隊を組織し、探検装備を用意し、怪しげな穴には潜り、断崖絶壁があればよじ登る。

 書いてる当人が本気で楽しんでいる本というのは、その楽しさが読み手にも伝染するようだ。

 言ってみれば、"いい年をしたオトナの夏休みの冒険"
 日々の生活に倦み草臥れたオッサンである俺には、この邪気のなさが眩しくてならない。
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by signal-9 | 2012-09-20 13:13 | 読んだり見たり | Comments(0)
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