【近デジ漁り】ハウツーもの(2) 『なるまで叢書』

 近デジを漁っていて、フト見つけたのが、章華社という出版社の『なるまで叢書』

『なるまで叢書』の刊行に就いて

 古き器は潔く捨てよ。新しき酒は新しき革袋に盛ろうではありませんか。新しき時代に息づく私共の切実な欲求は、この新しき革袋でなくて何でありましょう。古き時代の無味乾燥な職業案内や空疎な成功物語に潔くさようならを告げた若き人々は、この『なるまで叢書』の出現によって、始めて尽きぬ興味と悦楽の裡に時代の光明をハッキリと認めることが出来ましょう。

 無謀な企て! そうです、内容頗る豊富、四六版各冊百五十頁内外総ポイント組で、しかも一冊僅か五十銭という驚くべき廉価は、算盤を無視した無謀の企てに近いでしょう。けれども私共はこの仕事の背後に常に幾万幾十万の心からなる読者を味方に有っていることを思うとき、無限の勇気を以って力強く、この仕事を続けて行くことが出来ます。

 敬愛なる読者諸君! 私共の本計画を意義あらしめるべく奮って御愛読を願います。

 と、かなりの怪気炎かつ商売っ気マンマンの序文で判る通り、なにかに「なるまで」どうするか、というハウツーもののシリーズである。

 もちろん、今の時代には実際の参考になるものではないが、これが中々にイイ感じの風俗史の資料として読めるのである。

 例えば「映画女優」を目指す女性向けの職業案内、『映画女優 スタアになるまで』(小池善彦 大正15)。

 口絵写真でいきなり田中絹代だの松井千枝子だのが登場するので、俺みたいな偏った映画好きは、もうそれだけで映画が娯楽の王様だった時代に引き戻される感じである。
 …なに、田中絹代って誰、だと? そういう人はひいおじいちゃんにでも聞いてくれ。

 職業としての女優の紹介なので、当然いちばん重要な収入(ギャラ)の話も出てくる。

…蒲田の人気スタアの収入を調べてみると、確定的にはいえませんが、その人気の最高時に当たって、川田芳子の月給が五百円、粟島澄子が四百円、筑波雪子、松井千枝子がずっと下って二百五十円見当だそうです。

 「蒲田の人気スタア」というのは、当時ブイブイいわせていた松竹蒲田撮影所のこと。 
 月給五百円は今で言うとどのくらいなのか。換算は難しいが、大正15年当時、東京・大阪間の鉄道料金、三等片道で六円五銭。東京・上野間が十銭の時代である。ざっくり1000~2000倍見当で50~100万くらいだろうか。

 意外と少なく感じるが、消費財そのものの値段が安い時代だ。公務員の初任給が75円くらいなので、ケタ違いの高給であることに間違いはない。

 当時の(日本から見た)ハリウッドの状況や、人気女優のエピソードなど、映画史に興味のある向きには面白く読めると思う。
 なお、ハウツーものではないが、昭和22年刊行の『映画五十年史』(筈見恒夫 著)なども近デジで読めるので、映画ファンは是非。

 『なるまで叢書』からもう一冊、『名探偵になるまで』(須藤権三 大正15)。

 現代において「探偵」という言葉は、ほぼ「私立探偵」と同義だが、この当時はちょっと違う。

 (嘉永年間以来)探偵といえば犯罪捜査に従事する刑事巡査のことであって、今日でも警視庁の刑事巡査には密行係、掏摸係、探偵係という区別があって、内部でも刑事巡査のことを探偵といい、これを動詞に使えば犯罪捜査と殆ど同じ意味になるのである。

 同じく探偵といわれる人の中に、刑事巡査以外に私立探偵と軍事探偵とはあるが、日本の現状に於いては私立探偵の仕事は刑事巡査の仕事のごく一部分に過ぎない観があり大事件の捜査に従事することなどは極めて稀であるのと、軍事探偵のことは軍事上の機密であって、外界の者の窺窬(きゆ)を許さぬ事情の下にあるため、本書に於ては主として刑事巡査の仕事を中心とし、私立探偵のことはこれを従とし、軍事探偵には全然触れないことにした。

 つまり、この本は今でいえば「名刑事になるまで」ということになる。

 刑事係、即ち刑事巡査となるには、どうしても先ず只の巡査にならなければならない。 然らば巡査となるにはどうするかといえば、これを詳しく書くと「警察官吏になるまで」という別冊の本が出来上がる訳であるから、ごく簡単にしておくが、

 「名探偵になるまで」のキモであるべき「なる方法」が、「警察官採用試験を受けなさい」というのは、あんまりじゃなかろうか(笑)

 さよう、この本、「名探偵に、俺はなる!」と意気込んでこの本を手に取ったであろう読者に、現実という名の冷や水をぶっかけまくるのである。

報酬は少ない

 刑事係には一定の勤務時間というものはない。…仕事の性質上一般官吏や銀行会社員の如き規則的生活はとうてい出来ない。…

 収入は一般巡査並びに巡査部長としての俸給及び家賃(夫婦者で七円から十一円まで)の外、刑事手当として最初は月に五円、古い者でせいぜい十円である。
 時に旅費として月額六円、ボーナスは年末に一回俸給一ヶ月分貰えるだけであるから、一人前の刑事係の月収はすべてを引っくるめて月に六十円から最高で九十円どまりという貧弱なものである。
 命がけの大格闘をしたあげく、重大犯人を逮捕しても逮捕賞金はせいぜい二円くらいしか貰えず、一世一代の大捕物をして警視総監から直々の賞金を貰うと、これが大枚五円くらい、勘定づくではとても馬鹿馬鹿しくて出来た仕事ではない。

 う~ん、昔も今も現場の辛さは変わらないのだなぁ。

 だから名探偵になりたい一心の人は別として、人間並みに高位高官に登り、立身出世をしようという人は断じて刑事係などになるべからず。勉強する時間は無し、身体は疲れる、とても試験を受けて次第に立身していくなどという見込みはないからである。
 刑事係となる人は探偵の仕事に異常な興味を持ち、薄給と激務に甘んじて、一生を犯罪捜査に投じ得るほどの覚悟がなければならぬ


 要するに、探偵の仕事が好きで、どんな辛い忍耐も出来る人で、初めて探偵を志望する資格があるといえるのである。探偵小説や活動写真で、探偵の面白い事ばかり見て、楽しい空想ばかり描いている人たちは、実際探偵に従事すれば、第一日目から直ちに幻滅の悲哀を感ずるに相違ない。


 「君にもなれる!」的に、安易に読者に迎合することなく、「軽い気持ちで出来るような仕事じゃないんだ」と真実を伝えようとしている、非常に良心的な本ではある。

 でも、これじゃあ『名探偵になるまで』じゃあなくて『名探偵になってはいけない』だよ!

 さてこの『なるまで叢書』、近デジには現在の所、他に『化粧秘訣 美人になるまで』『野球選手 主将になるまで』『囲碁初段になるまで』が収められている。

 それぞれに、当時の社会風俗を反映しているので、そのジャンルに興味のある人にはけっこう面白く読めるだろう。

 巻末の宣伝によると、『大臣になるまで』『小説流行作家になるまで』『博士になるまで』などが続刊予定とされている。

 これらが本当に出たのかどうか判らないが、あるのだったら近デジへの格納を期待して待ちましょう。
[PR]
by signal-9 | 2012-09-04 13:41 | 読んだり見たり | Comments(0)
<< 【近デジ漁り】 「秘伝」 【近デジ漁り】ハウツーもの(1) >>