建文奇聞 ― 三十余年の妊み腹 (霊怪真話)


 群馬県小野上村に村上坊という小寺があった。
 明治25年のある日の夕暮れ方、寺の門前にある某氏(姓名は逸した)の家に、ひとりの白衣をまとった老修験者がやってきた。
 「前の寺で宿を断られて困っているものだが、今夜だけ土間の隅でも良いから寝させてくれぬか」と頼むので、主人は快く泊まらせてやることにした。
 その夜の話に、「自分たち夫婦は子供がいないので寂しいものだ」と言うと、修験者はいった。
 「それは頼りないことであろう。自分が祈って子供が授かるようにしてあげよう」

 翌朝、泊まったはずの修験者はどこに行ったのか姿が見えない。それどころか奇怪なことに、彼の手回りの品は行儀良く寝床の傍らに揃えてあり、着ていた白衣はきちんと畳んだまま残されていた。
 主人夫婦が寝ている間にこっそり出て行ったとしても、裸で出て行ったわけもなく、実に不可解なことだった。

 その後十二ヶ月たった頃、妻が妊娠した。
 順当に大きくなるお腹に夫婦は大喜びした。これもあの修験者が祈ってくれたからだろう、と思った。

 ところが、妊娠十ヶ月になってもいささかも産気付く様子がない。
 十二・三ヶ月たっても依然として生まれない。

 そのうち奇怪なことに、腹の中の胎児がものを言い出したのである。

 その声は妊婦にだけ聞こえるので、医者は精神病にかかったのだといった。
 しかし、胎児が物を言っているというその時に、妊婦の大きくなった腹に耳を付けてみると、腹の中でコトッ、コトッというような音がしているのが、誰にでも聞こえるのだ。
 その胎児は、自分が生まれないのは来年日本が支那と戦争を始めるからだ、自分は殺伐とした戦争が嫌いだから戦争が済まなければ世に出ないのだ、といった。
 果たして翌年、日清戦争が始まった。

 ところが戦争が終わってもいっこうに生まれない。
 胎児が言うことには、十年後には日本はまた外国と戦争をするから、それが済まねば出ない、と言う。
 そして十年後、日露戦争が始まった。

 この戦いが終わっても依然として生まれない。
 胎児は言った。―日本は十年目にまた戦さをする―。
 そして日本は欧州大戦(第一次世界大戦)に参戦したのだ。

 そして、胎児は今も未だ生まれていない。
 日本はまだ闘わなければならない、といって今日に及んでいるのである。

 妊娠した腹はビール樽のように膨らんでいるが、妊婦の体に特に苦痛はない。

 妊娠三十年。
 その夫人は今やすっかり老婆姿になっている。
 時折腹の中の子供が要求するので、老人の亭主を馬にして座敷の中を乗り回すのだ。
 また腹の中の子が動いて、頭や手足を振り回すのがよく感じられるということだ。

 この奇怪な妊婦も帝大の研究資料になっており、死後解剖されることになっている。

 ちなみにこの夫婦は前橋市の住吉屋のまんじゅうが好きで、これを土産に持参した人には誰にでも面会してくれるという話であった。





 日本はまだ闘わなければならない ―― 昭和11年のこの予言は的中したことになる…のだろうか?

 重箱の隅だが、いちおう指摘しておくと;

 修験者が来たのが明治25年で、「十二ヶ月たった頃、妻が妊娠」したということは、妊娠が発覚したのは、修験者登場が年の初めの一月だったとしても、明治26年。
 さらに「十二・三ヶ月たっても」生まれず、その後予言が始まったのだから、どう短く見ても予言開始は明治27年(1894年)。

 日清戦争は、明治27年7月の豊島沖海戦で開始・翌28年3月遼東半島の完全制圧で休戦成立なので、「(予言の)翌年、日清戦争が始まった」では計算が合わない。

 日露戦役は明治37(1904)年2月8日から明治38(1905)年9月5日、第一次世界大戦への日本の参戦は大正3(1914)年8月23日。

 確かに 開 始 年 に だ け 着目すると、1894 1904 1914 で、十年ごとに発生している勘定になるが、終戦から勘定した ス パ ン では、予言で言っている「十年後にまた」ではないのである。

 ところで、建文と戦争の予言というと思い出されるのが、柳田圀男が昭和24年(1949)4月に東京日日新聞に寄せた『作之丞と未来』である。
 マンマ引用すると読みにくかろうから、適当に改行し、会話のカギカッコを付けて引用する;

 空襲のさなかに別れたまま、消息不明になった旧友の岡田蒼溟翁は、いまから十六七年も前に、私のところへ来て、こんな話をした。

 「柳さん、えらい大きな戦争が始まるそうですぜ。世界がひっくりかえるような大騒動がつづいて、日本もさんざんにやられるそうですよ」といった。

 「あなたは、そんな話をだれから聞いてきましたか」

 「もちろん神様のお告げです。神様よりほかにはこういうことを知っておられる方があろうはずはありません。しかし結局はこちらがよくなるのだそうです。何か想像もつかぬような不思議が起こって、それから少しずつ運が向いてくる仕組みになっているのだそうです」とも言った。

 それから一年に一度か二度、逢うたんびに我々両名はこの話をした。なんだか少しづつ御告げの通りに、なって行くような気がして来て、実は私も大いに動揺した。

 「それにしてもその最後の不思議というのは何であろうか。あなたは御そばにいたのだから、ちっとは見当が付きそうなものじゃないか」

 「いやそれが誰にもわからないので、今でも色々と想像をめぐらして居るのですよ。何か非常に大きな発明ぢゃありませんか。たとえば海水から金を採るというような」

 と、いっては見たものの自信は無さそうであった。

 このエピソードと、三十年の妊娠の話は関係があるのだろうか。

 柳田証言ではこの話を岡田から聞いたのは昭和24年の「十六七年も前」なので、昭和7年~8年頃。『霊怪真話』は昭和11年の発刊なので、柳田の記憶が正確だとすれば、大東亜戦争に関する限り、建文が柳田に話した「予言」より、この三十年妊娠の話のほうが後、ということになる。

 また「怪しい胎児」はどう考えても「神様」ではなかろう。「あなたは御そばにいたのだから」と柳田が言っているとおり、この予言はおそらく建文が関係していた大本教などの宗教のものであり、直接は関係ないと見るのが妥当と思われる。

 どっちにしても「当たってる」ことに違いはない…というのは早計だろう。

 予言の行われた昭和6~11年頃の日本を取り巻く状況を考えてみると、満州事変、国際連盟脱退、ワシントン海軍軍縮条約破棄…… 戦争を意識・予想することはさほどおかしなことではなかったはずである。

 なので、この予言が「当たった」だのというのは、あまり意味があるとは思えない。

 さて、異形のモノが「予言」を行うというストーリは、「件」「アマビコ(アマビエ)」など別段珍しいことではないが、「生まれてこない子供」というのは何か元ネタがあるのだろうか?

 「腹の中から声がする」といえば、応声虫(おうせいちゅう)という怪事が思い出される。

 田中香涯の『学術上より観たる怪談奇話』(大正12)によると、

 応声虫とはわが国の往事俗間に信ぜられた奇異の虫であって、即ち人の腹部に宿りその人の物を考えたり談話したりする時には、その考え話す通りに腹部より声を発する虫の言いである。伴蒿蹊の『閑田次筆』の中に、この虫に関する記事がある。
 奥丹波の某という山里の農人の妻、五十歳ばかりにて応声虫の病ある由を聞きつたえた興行師が、この女を見せ物に出さんといってみた所が、いかにもその腹中に人声ありて病人の声に応じてその言葉の如くにいうことが分明に聞こえたということが記してある。

 似てるといえば似てるのでは無かろうか。

 ちなみに田中香涯こと田中祐吉は雑誌『変態性欲』主幹として知られる医学博士である。建文が雑誌『変態心理』誌上で名指しでdisった

大阪府下の田中祐吉君などは後者に御座候。先入主に捉はれては真摯なる研究は出来不申候

 人物だ。
 余談だが、田中香涯はこの「応声虫」現象をこう『学術的に』解釈している。

 これはもとより虚妄の言にちがいない。これは聴覚中枢、言語中枢に波及してこれを刺激するより起こるもので、腹内よりその考える通りの声を発するを感覚するのは、恐らくは、クラーメルのいった如く、発語筋の感覚経路の幻覚より求心性に言語運動の観念を惹起しその構音性の運動を口中に感ずるが為、恰も腹内より声を発するが如くに感ずるのであろう(有声の考慮)

 …何言ってるのかさっぱりわからないが(笑)、ようするに「幻覚」だということだな。
 こういう根拠レスでの解釈はあまり『学術』的な態度とは思えないが(ちなみにこの『学術上より観たる怪談奇話』、あちこちに結構ものすごい事が書いてある――平安時代の人食い鬼の伝説は日本の先住民のことだとか。反オカルトが行き過ぎてオカルト臭くなってしまう、という状況はけっこう昔からあったようだ)

 元ネタらしきもので、もうひとつ思いつくのは、芥川竜之介の『河童』である。

 河童もお産をする時には我々人間と同じことです。やはり医者や産婆などの助けを借りてお産をするのです。けれどもお産をするとなると、父親は電話でもかけるように母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生れて来るかどうか、よく考えた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。バツグもやはり膝をつきながら、何度も繰り返してこう言いました。それからテエブルの上にあった消毒用の水薬で嗽いをしました。すると細君の腹の中の子は多少気兼でもしていると見え、こう小声に返事をしました。
「僕は生れたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じていますから。」

 「中々生まれてこないで、会話をする胎児」というモチーフは似ているのでは無かろうか。
 ちなみに『河童』は昭和二年発表なので、影響を仮定しても時系列的には矛盾はない。

 とまあ、個人的には今のところ、「芥川の『河童』にヒントを得て作ったストーリーなんじゃね?」と思っている。
 「実話」にしては話が綺麗に出来すぎているのだ。謎の老修験者だの十年ごとの予言だの、どうも創作臭が強い。

 謎の双生児と同じく、最後に帝大でオトすかと思えば、「前橋市の住吉屋のまんじゅう」というのは微笑ましい。

 ちなみに「好きですまえばし」のVol.16によると、「前橋市の住吉屋のまんじゅう」というのは実在したようだ。

宮内文作は、前橋市内の旅館「住吉屋」の主人をしていました。ある日、身投げをしようとしていた老人を助け、その家族を世話しているうちに、群馬県でははじめてとなる「養老院」、現在の老人ホームを建てることに決心をしました。

(中略)

 その後、文作は東北地方で饅頭作りを習い、明治2年(1869年)に前橋に戻り、饅頭を売り出しました。これが前橋の名物とまでいわれた「片原町の片原饅頭」です。
 明治9年県庁が前橋に移されるのを機に、文作は、旅館「住吉屋」を開業しました。


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by signal-9 | 2012-03-12 17:03 | 奇談・異聞
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