建文奇聞 ― 神職夫人火を吐く (霊怪談淵)


 三重県人の三上新五郎氏は、日露戦争時代に歩兵大尉として金澤師団管下で中隊長を務めていたが上官と衝突し退役せざるを得なくなり、皇典講究所へ入学。卒業後、郷里の産土神社に奉職するようになった。

 大正八年、氏の夫人が死産し、同時に重病に臥した。氏は死児の埋葬もしないで夫人の看病をしていた。

 夫人が嘔吐を催したので、縁側へ這い出させて庭先に吐かせると、吐き出された食物の中に一片の紫紺色の小さな塊があった。

 妙なものだとみるや否や、その塊はたちまち爆発的に猛烈に自焼し始め、60センチ余りの火柱を立てた。

 火柱を立てながらも容易に消滅しない不思議さに、氏は自分は幻覚でも見てるんじゃないかと疑い、夫人を顧みて「お前の目にあの火が見えるか」と聞いてみると夫人は見える、と答えた。

 しばらく火を眺めていたが烈々としてさかんに燃え続けるから、不安になって台所へ走りバケツを運んできてみたら、怪火はすでに消滅しており紫紺色の小片物の痕跡も残っていなかった。

 夫人はそれからまもなく精根尽きて永眠した。

 母子ともに埋葬することになったが、三上夫人の産んだ死胎児は、全身が煤黒かった。三上氏はその奇怪な皮膚の色のまま埋葬したくなかったので神に祈念してみると、霊験たちまち顕われ黒かった皮膚が桃紅色に変わった。
(三上氏の実話)




 因縁話ではなく、いつ・どこで・なにが・どうした、が具体的かつ体験者本人の談話として語られている、奇譚らしい奇譚である。

 日露戦争当時に金澤師団の中隊長に三上新五郎歩兵大尉という人物がいたのかどうか、皇典講究所の卒業生に三上新五郎という人物がいたかは、両組織とも公的機関なので、まあ調べれば判るのだろうが、詮索したところで本筋とは関係ないから止めておこう。

 ゲロの中の紫紺色の固形物が発火した。

 いわゆる「人体自然発火」とは少し違う。
 怪談・奇談にありがちな同工異曲話もちょっと思い当たらない。

 人から炎が出た話をあえて探すと、『醍醐随筆』(寛文十年)に、あるひとの下女が閨で髪をとかしていると髪の中から火の粉がはらはらと落ちた、という話がある。

 著者の中山三柳は、『代酔編』や『博物志』から事例を引いて、女の髪油が湿気や熱に蒸されて火が付いてるのかもしれないが、それだったらどんな女にでも発生してもよさそうなもんだよな、と述べている。

 確かにこの髪の例だったら、髪油+雲脂+静電気とか蛍光菌あたりで説明可能な気もするが、さすがにゲロが燃えたというほど派手な現象ではない。

 さよう、現象が派手すぎて、なんだか超自然現象というより推理小説みたいな話である。

  • 体内では発火しないが毒性がある。

  • 空気に触れると激しく燃え出す。

  • 胃の中では紫紺色を呈する。

…みたいな条件に合致する化学物質はないのだろうか。

 俺はそういうことにはトント疎いのでまったく思いつかないが、SRIの牧史郎だったら快刀乱麻の解決をみるかもしれないな。

【2012/08/18追記】
 『日本猟奇史 大正・昭和編』(富岡直方、昭和8年。参照したのは平成20年の国書刊行会の再販本)によると、『文藝春秋』に掲載された岡田建文の記事「現代怪異の実録」(掲載年は不詳)に、上と同じ趣旨の記事が掲載されているようだ。
 ところが、富岡が引用している建文の記事を読む限り、話の細部が異なるのである。

 岐阜市の某中等学校に教鞭をとっている××××××氏は篤信家であるが、大正六年その妻女は死児を産んでただちに重病を得、縁端に這い出て庭の下に胃中の物を吐いた。吐物のなかに紫金色の梅干の核大のものがあって、俄然発火し、炎々三尺余の大火焔を立てて吐物とともに燃焼する、
(後略)
起こった怪異は同じだが、発生場所(三重と岐阜)、発生年月(大正6年と8年)、体験者のプロフィール(中学教師と神主)、問題のブツの色…など、明らかに異なる。
 富岡は引用している「現代怪異の実録」の掲載年号を書いてくれていないので、どちらの記事が後にかかれたものなのかは判らないが、単純な引用ミスではすまないよな。
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by signal-9 | 2012-02-14 11:33 | 奇談・異聞 | Comments(0)
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