さて、建文の著作から奇譚をいくつか紹介しておきたい。
まずお断りだが、以下、旧漢字旧かなの原文のまま引用するのは俺が非常に疲れるし、建文の文章は読点で文をつなげる明治仕様なので読みにくい(と俺が思う)ので、意味を損なわない範囲で「リライト」する。 おまけとして、解説というか戯れ言をつらつらと書いているが、純粋に怪談・奇話を読みたい方は、すっ飛ばしてお読みください。 白昼に飛び歩く抜け首 (霊怪談淵) 但馬国城崎郡五荘村大字正法寺にて明治の初年にあったことである。 今でいえば兵庫県豊岡市あたりの話か。 …夏の午後、農村の道をコロコロと転がる女の生首。それを追いかけ回す子供。 シュールな光景である。 さて、ひとり建文に限らず、奇談集には情報ソースとして、
建文の場合、1はあまり多くないことは既に述べた。 2と3の場合、奇談集では通例、例の「友達の友達」「~という(主語無しの伝聞)」話が多いので、直接人から聞いたのか何かの文献の引用なのか中々判別が困難なのだが、建文に限っていえば、
Cタイプの典型例として、俺が気づいたのは、例えば『霊怪談淵』にある「水戸の化け物屋敷」(水戸市裏五軒町で発生したポルターガイスト)の話だ。 これはソース明示無しで、建文がどこから引っ張った話なのか『霊界談淵』からだけだとよくわからない。 だが、これとまったく同じ話が来原木犀庵(慶助)『通俗霊怪学』(明治44)に掲載されているのを見つけた。 『通俗霊怪学』にはこの記事が「松村介石氏の発起に成れる『心象の研究』に寄せられた」ものと明記してある。 なので、建文のネタ元はおそらく同じこの『心象の研究』―松村介石が主宰した『心象研究会』の機関誌か―であろう(細かいところで『霊界談淵』にだけある記載もあるので『通俗霊怪学』の直接引用ではないと思われる)。 さて、そういう目でこの「抜け首」の話を見ると、明らかに『曾呂利物語』(『曾呂利快談話』)の抜け首話―「女の妄念迷ひ歩く事」―の改変版である。 『曾呂利物語』では北陸から上方に向かうときの話なのだが、建文版では明治初年の但馬国城崎郡五荘村大字正法寺と、時期と場所が特定的に話されているのと、夜中・一人の目撃者だったのが、真っ昼間・複数の目撃者(子供たち)と、話が膨らまされているのが興味深い。 建文自身が『曾呂利物語』から作話したとは思わないが、どこの誰から聞いたという情報が無いので、おそらくCタイプ、新聞記事などからの収集だろう。 「パクリだ」「コピペだ」などとケナす気はさらさらない。建文がこの記事を残してくれていることで、明治~大正に『曾呂利物語』のモチーフが、実際の事件として語られていたことが判るのであるから。 惜しむらくはソースをちゃんと書いといて欲しかったが。
by signal-9
| 2012-02-02 12:56
| 奇談・異聞
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