建文奇聞 ― 白昼に飛び歩く抜け首 (霊怪談淵)

 さて、建文の著作から奇譚をいくつか紹介しておきたい。

 まずお断りだが、以下、旧漢字旧かなの原文のまま引用するのは俺が非常に疲れるし、建文の文章は読点で文をつなげる明治仕様なので読みにくい(と俺が思う)ので、意味を損なわない範囲で「リライト」する。

 おまけとして、解説というか戯れ言をつらつらと書いているが、純粋に怪談・奇話を読みたい方は、すっ飛ばしてお読みください。


白昼に飛び歩く抜け首 (霊怪談淵)
 但馬国城崎郡五荘村大字正法寺にて明治の初年にあったことである。

ある夏の日の午後、村の道路を一個の婦人の首が転がり歩いていた。

それを発見した子供は大いに騒いで、大勢の友達を呼び集め、各自竹や木の棒を手にして、ワイワイ叫びながらその首を追い回した。
首はコロコロと回転しながら逃げていき、4~500メートル離れた高屋村の、ある農家に飛び込んだ。

 子供たちが屋内の様子を窺うと、その家の女房が昼寝から目を覚ましたところだった。
 女房は独り言を言っていた。

 「ああ怖い夢だった。正法寺まで遊びに行くと子供たちが竹や棒で殴りに来たが無事に逃げられてマアよかった」

 この事が評判になり、女房はろくろ首の人間であることが知られた。




 今でいえば兵庫県豊岡市あたりの話か。

 …夏の午後、農村の道をコロコロと転がる女の生首。それを追いかけ回す子供。
 シュールな光景である。

 さて、ひとり建文に限らず、奇談集には情報ソースとして、
  1. 自分で体験したもの

  2. 誰かから聞いたもの

  3. 他の文書から引用したもの
の概ね三種類がある。

 建文の場合、1はあまり多くないことは既に述べた。
 2と3の場合、奇談集では通例、例の「友達の友達」「~という(主語無しの伝聞)」話が多いので、直接人から聞いたのか何かの文献の引用なのか中々判別が困難なのだが、建文に限っていえば、
  • 古典や有名心霊学書からの引用の場合は、古人・先人への敬意からか、引用元が明示してあることが多い。

  • 自分で直接聞いた場合にはその旨書いてあることが多い。
 ので、結果的に、
  1. 自分で体験したもの

  2. 自分で採話したもの(ソース明示あり)

  3. 新聞記事や雑誌記事などが情報源(ソース明示なし)

  4. 古典や他文献からの引用(ソース明示あり)
 といった感じで、ある程度判別が出来るように思う。

 Cタイプの典型例として、俺が気づいたのは、例えば『霊怪談淵』にある「水戸の化け物屋敷」(水戸市裏五軒町で発生したポルターガイスト)の話だ。

 これはソース明示無しで、建文がどこから引っ張った話なのか『霊界談淵』からだけだとよくわからない。

 だが、これとまったく同じ話が来原木犀庵(慶助)『通俗霊怪学』(明治44)に掲載されているのを見つけた。
 『通俗霊怪学』にはこの記事が「松村介石氏の発起に成れる『心象の研究』に寄せられた」ものと明記してある。

 なので、建文のネタ元はおそらく同じこの『心象の研究』―松村介石が主宰した『心象研究会』の機関誌か―であろう(細かいところで『霊界談淵』にだけある記載もあるので『通俗霊怪学』の直接引用ではないと思われる)。

 さて、そういう目でこの「抜け首」の話を見ると、明らかに『曾呂利物語』(『曾呂利快談話』)の抜け首話―「女の妄念迷ひ歩く事」―の改変版である。

 『曾呂利物語』では北陸から上方に向かうときの話なのだが、建文版では明治初年の但馬国城崎郡五荘村大字正法寺と、時期と場所が特定的に話されているのと、夜中・一人の目撃者だったのが、真っ昼間・複数の目撃者(子供たち)と、話が膨らまされているのが興味深い。
 建文自身が『曾呂利物語』から作話したとは思わないが、どこの誰から聞いたという情報が無いので、おそらくCタイプ、新聞記事などからの収集だろう。

 「パクリだ」「コピペだ」などとケナす気はさらさらない。建文がこの記事を残してくれていることで、明治~大正に『曾呂利物語』のモチーフが、実際の事件として語られていたことが判るのであるから。

 惜しむらくはソースをちゃんと書いといて欲しかったが。
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by signal-9 | 2012-02-02 12:56 | 奇談・異聞 | Comments(0)
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