謎の男 岡田建文(5)

 柳田國男を論じる上で岡田建文に触れているのが、以前紹介した大塚英志『偽史としての民俗学』(角川・2005年)である。
 この中で大塚は建文をこう紹介している。
 この岡田建文なる人物は今日の感覚でいえばオカルティストということになるだろう。
 だが、俺にはこの人物を「オカルティスト」と括るのは違和感があるのである。

 ひとつの理由は、「オカルティスト」という言葉から想起されるような、自らオカルト的な何かを実践しているというような話は、建文の著作には殆ど出てこないためだ。
 せいぜい、調子が悪くなったので邪気払いの法-おまじない-をやった…程度で、こんなことはその辺のちょっと信心深い人なら普通のことだろう。

 もうひとつの理由は、建文がどこで何を書いてきたのか、書誌を纏めてみた印象からだ。
 まだ非常に不十分なものだが、Google docsに上げたので、是非御一読願いたい。

 岡田建文の書誌(不完全版)

 これがいわゆる「オカルティスト」の足跡だろうか。

 ご覧の通り、たしかに多くは今日の文脈では「オカルト」分野のものだが、『風俗研究』や『郷土研究』、『民俗』、『日本及日本人』、果ては『少年倶楽部』にも、今で言えば史学や民俗学の範疇に属すると思われる記事も多く寄せている。

 前回書いたように、今のところ俺は、この建文の変化には柳田國男との交流―勃興期の民俗学クラスタ―の影響がかなりあると思っている。また、元々大きく依拠していた大本教が力を失ったことや、当初は下に見ていた欧米心霊学の台頭など、建文を取り巻く情勢の変化などの要素も大きかっただろう。

 この建文の「変化」を追うことで、大正から昭和初期の日本のアカデミズムとオカルティズムの関係の変化や、日本の民俗学の歴史に関しての知見も得られそうな予感はある。

 大塚英志『偽史としての民俗学』や、一柳廣孝『1920年代、<心霊>は増殖する』は、民俗学側/柳田側からみた分析だが、その逆の分析―勃興期の民俗学がオカルトに与えた影響etc―もおもしろそうだ、ということである。

 だが、俺にはその能力も時間もないので、細かい論証抜きで「今のところの印象」だけ書いておく。

 岡田建文は、柳田圀男流の民俗学者にも浅野和三郎流の心霊学者にもなり切れなかった人、といえるのではなかろうか。

 民俗学というには「宇宙の理法」「心霊学」への信念が強すぎた。かといってコアな心霊学に寄るにはあまりにも民俗的ー土着的すぎた。
 いっそ「宗教」に寄る手もあったかもしれないが、建文なりに「自然科学」への撞着があったためか、大本事件の影響か、大本系の新興宗教団体のコネで本は出すものの、大本以降はどこか特定の教団にべったり、ということもしなかったようだ。

 結果的にアカデミズムからもオカルティズムからもそのメインストリームではハブられた建文に、手をさしのべたのが柳田國男という、根っこの部分では建文と似た嗜好を持つが、上手く立ち回る能力のあった男だった。
 だが結局、建文は柳田のようにはならなかった。

 オカルト側から見た場合でも、建文の本は、はっきり言えば「ヌルい」のだ。

 俺はいわゆる心霊家とか霊学とか霊術とかにはまったく無知(というか興味がない)だが、大石凝真素美とか荒深道齊とか宇佐美景堂とか、何冊かはパラパラ眺めてみたことくらいはある。そういうコアな本と比べると、建文の本はあくまでも通俗的=一般読者向けである。
 また同じ通俗向けでも、浅野和三郎の霊界通信記録「小桜姫物語」みたいに自分で実践してみた的ガチな話もない。「聞いた話」が殆どである。

 この人の著作には、「研究」とか「布教」とかではなく、「売文」という言葉が当てはまるように思うのである(「売文」を下に見てるつもりはまったくない)。

 こういう「印象」に基づくと、この人物を「オカルティスト」と括るのは違和感がある。

 そんなコアな、求道的な、生活感ゼロの、おどろおどろしいイメージのレッテルは、この人物には似合わない。

 この岡田建文なる人物は今日の感覚でいえば、「オカルティスト」というよりも「オカルトライター」といった方が適当だろうと思うのである。
 今で言えば、並木伸一郎とか山口敏太郎を「オカルティスト」と呼ぶには違和感があるのと同じことだ。

 また、建文を「オカルティスト」と括るのは多少弊害があるとも思っている。

 この人物の著作すべてを、「はいはい、オカルトオカルト」で葬ってしまうのは勿体ないと思うのである。

 『動物界霊異誌』、『靈怪眞話』あたりは、柳田の示唆通り「心霊科学的」説明の部分を抜けば、ほとんど民俗学の伝承採話集(『遠野物語』や、高木敏雄『日本伝説集』みたいな)といっても通るだろうと、俺は思っている。

 こんな実例もある。

 田中瑩一『伝承怪異譚―語りのなかの妖怪たち』(三弥井民俗選書 2010)によると、1974年に島根県邑智郡で聞き取りした話と、建文が残した記事が極めて似ていたというのである。
 西島氏の語った「蛇と蟾蟇(ひきがえる)」とほぼ同じ話は、大正・昭和期に島根県松江市で著述活動をしていた岡田建文の『動物界霊異誌』の中に、島根県大田市波根の出来事として記されています。

(復刻版『妖獣霊異誌』、19頁要約。)

 蟾蟇が蛇を殺して土中に埋めるとそこからきのこが生えてきたという話です。右の引用の中で波根の板倉校長はこの怪異を実際に見たこととして語っています。大勢の見物人があったと語るところは讃岐の「蛇と雀」の話と同じです。
 この事実が語られてから八十年後、同じ怪異が比敷の西島氏の口から実際に見たこととして語られたのでした。この間、波根あるいは比敷あたり(波根から比敷までは今日であれば車で走れば一時間もかからない距離です)には、この話に興味を寄せ、「実際に見たこと」として「なんどとなくこれを人に語」ってきた人々が途切れることなくあったに違いありません。
 建文の「オカルト記事」が、民俗学的な伝承・説話比較の情報源としても利用できる可能性を示唆している。

 『動物界霊異誌』は柳田の肝いりということもあり、一部民俗学辞典などでも言及される程度には認知されているようだが、同工異曲の他の「オカルト」奇談集はあまり積極的に利用されてはいないようだ。
 その理由のひとつに「オカルトだから」があるとすれば、これはもったいないことでは無かろうか。

 ガクモン的な利用価値は置いておくにしても、俺みたいなアカデミック外の人間にとって、明治から昭和初期(大東亜戦争前)にかけての奇談というのは、読み物としてけっこう貴重なのである。

 ここ何年かの妖怪・怪談ブームで、奇談関連も色々な書籍が新刊として並んでいるが、その多くが「耳袋」だの「甲子夜話」だの、毎度お馴染みの古典か、最近の都市伝説本。
 明治-大正-昭和初期のモノというのは、けっこう希少価値があるのである(この時期にはもちろん「実話怪談」というモノもあるのだが、こっちはどうも創作臭が強くて好みじゃない)。

 ということで、次回はこの民俗学者にも心霊科学者にも成りきれなかったオカルトライターの残したモノのを一端を紹介しよう。
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by signal-9 | 2012-01-31 16:50 | 奇談・異聞
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