謎の男 岡田建文 (2)

 大正15(1926)年5月1日付けの『心霊と人生』の第三巻第五号には、
「昼飯時の幽霊 東京 岡田蒼溟氏」
という記事が掲載されている。

 つまり、メインの著作活動を始めていた大正15年時点では建文は東京在住だったと思われる。
(【2013/02/07追記】 書き漏らしていたことを発見したので追記。 『動物界霊異誌』の緒言に、 『帝都郊外百人町の寓居にて』と記載されている。これにより建文は昭和二年時点では東京の"百人町"に在住していたことは恐らく間違いないだろう。 
 昭和二年という時期的には、新宿のいわゆる大久保百人町のことと思われるが、東京に「百人町」という地名は、青山百人町・根来百人町( 市ヶ谷)というのもあるので、確証は無い。)

 またしても推測だが、大正13~14年頃に東京に居を移したのではないだろうか。
 というのは、建文の著作には大正12年9月1日の関東大震災を直接体験したらしき記述が見あたらないからである。

 この『心霊と人生』とは、「心霊科学研究会」(今の財団法人「日本心霊科学協会」の前身)を立ち上げた日本心霊主義運動の父・浅野和三郎が発刊した機関誌である。
 『心霊と人生』は、改名前には『心霊界』という名前だったが、建文はその頃から記事を寄せていたようだ(現時点で俺が確認できているもっとも古いものは大正12(1923)年11月『心霊界 第十号(十一月号)』の『瀧姫の霊と女修行者(一)』)

 浅野和三郎も大本教人脈である。

 浅野は大正5年(1916)に大本に入信しており、布教に熱心―というより中心人物の一人だった。一高→帝大のエリートで、英文学者としての名もあった浅野は、海軍機関学校教官という経歴もあり、帝国海軍内での大本教布教のキーマンだった。秋山真之を大本教に入信させたのも、機関学校教官時代以来、個人的な付き合いのあった浅野だったとする見解もある(田中宏巳『人物叢書 秋山真之』吉川弘文館,2004)。

 建文が大本教と出会ったのは、浅野入信後の大正6年12月なので、浅野とは恐らく大本以来つながりがあったはずだ。

 この『心霊と人生』の編集に岡田建文は関わっていくことになる。

『第四巻第六号』(昭和2年6月1日)
 尚お本誌の為めに甚だ慶賀すべき事は、会友岡田建文氏が次号から本誌の編輯事務を助けてくださることに内定したことであります。同氏は「慧星」の主幹として多年斯界の為めに健闘され、又操觚家として老成練達の士でありますから、必らず会員諸氏の期待に背かぬことを確信します。
 「操觚家」(そうこか)というのは「文筆業・ジャーナリスト」のこと。

『第四巻第七号』(昭和2年7月1日)
 本月からいよいよ岡田建文氏が編輯室に陣取られることになったのを機会に、編輯締切期日を前月の五日に切り上げ、二十日前後には製本が出来上るようにしたい計劃で進んで居ります。就きては御寄稿又は広告御希望の方々も、そのおつもりで御手まわしを希望致します。

 皆様の御寄稿は従来私一人の編輯であった為めに、その整理に割くべき時間がとぼしく、心ならずもそのままに取残す傾向がありましたが、これからは岡田氏がその方面の編輯事務を負担してくださるので、ドシドシ整理の上紙面を賑わすことになります。何卒旧に倍して御投稿のほどを折入って御依頼申上げます。
 と、浅野和三郎の右腕として機関誌を切り盛りし始めた様子が記録されている。

 …ところが不協和音が聞こえ始める。

 建文が編集に参加したわずか三ヶ月後の『第四巻第十号』(昭和2年10月1日)の「編輯室より」で、浅野は以下のような苦言を呈している(「憑虚」というのは浅野の雅号)。
 御承知のとおり本誌七月号以後は編輯部に岡田蒼溟氏が加わって居ります。そして報道以下約十六七頁は常に同君の手でまとめられ、以前私一人で編輯して居た時とは大分面目を更めて居ります。

 岡田氏受持の部門には多数の寄書其他が載せられて居る結果、一方からは色とりどりの面白味もありますが、他方から観れば頗る雑駁で、時に単なる一家言としてのみ通用するような気焔や鼻元思案も見受けらるるのは当然であります。

 怪しいと思わるる点はお互に遠慮なく批判し合い、指摘し合うべきで、決して盲従すべきではないと思います。本誌はどこまでも自由なる研究壇場であって、勝手な熱を吐く説教壇場であってはならぬのであります。

 一例を挙ぐればO生の「天界旅行談評」の一説「遊魂を肉体に繋留するに必要なる霊紐なるものは精々四五里内外しか伸びぬ」などは単なる一家言で、幾多の実例がこの説を否定するのであります。他にも斯う言った種類のドグマが沢山混っているように見受けます。今の所心霊研究が発達の途上にある丈それ丈お互に虚心坦懐衆智を集めて大成を期せねばなりません。議論のある方々は何卒御意見を発表してください。成るべく紙面を割いて掲載したいと考えます。(二・九・六 憑虚)
 プライマリには投稿記事への苦言の体だが、遠回しに建文の編集を非難しているように見える。

 ようするに、建文が編集している部分は、「頗る雑駁」で「単なる一家言」や「ドグマが沢山混っている」と。自分一人でやってた頃はそんなこと無かったと。

 この浅野の評価は、岡田建文という人物を考える上でけっこう重要だと思う。
 それについてはまた次回。
[PR]
by signal-9 | 2012-01-25 13:30 | 奇談・異聞 | Comments(0)
<< 謎の男 岡田建文 (3) 謎の男 岡田建文(1) >>