明学大准教授、靖国神社をdisる。

靖国神社みたままつり 2011年07月14日10時11分
朝から気が重い。靖国神社の「みたままつり」に行かなければならないからだ。

ゼミの一環であり、この行事を行き先に選んだのは学生たちである。ネットで検索したら見つかった、ちょうどお祭りをやっているみたいだから、という理由であった。案の定というべきか、学生たちは靖国について何も知らなかった。

10年ほど前、敬愛するある先生から、やはりこの種の無知について聞いたことがある。その無知の状態のところに(当時流行っていた)復古調のナショナリズム言説が注入されると、学生が簡単に感化されて困ると嘆いておられたのだった。
 東電災害で政府や役所を批判するのも飽きてきたので、たまたま目に付いた記事に噛みついてしまうのだが(笑)

 書いたのは長谷川一氏。明治学院大学 文学部 芸術学科(芸術メディア系列)准教授だそうだ。

 一言でいえば、無邪気な人だ。

 どう読んでも、知と倫理の高みからモノを語っているようにしか見えないが、学生を無知呼ばわりする割には、自分の奉職している組織の戦争責任に対しては、まったくご存じないのではないか。

 たぶん、明治から存続する自分の勤務先が、自分が非難の対象にしている国家神道とまったく無関係な、あるいは常に反対の立場で存続してきたとでも無邪気にも思ってるのだろう。
 あるいは「文字どおり、なんにも知らない」、「知らないという自覚もないし、知らないことがまずいことだという意識もうすい。無邪気に無知」なのか。

明治学院の戦争責任・戦後責任の告白 (明治学院学院長・中山弘正、1995年6月)
1931年の「満州事変」、1937年の「日華事変」のあと、政府は1939年の「宗教団体法」に基づき、41年6月、宗教界を統合し国策に協力せしめるべく「日本基督教団」を結成させていました。この教団「統理」冨田満牧師は自らも伊勢神宮を参拝したり、朝鮮のキリスト者を平壌神社に参拝させたりしました(1938年)が、このことが朝鮮の多数のキリスト者を殉教に追いやり、戦後も日朝両キリスト者の間にうめがたい深淵を作ってしまったことは否定すべくもありません。朝鮮・台湾ではこの神社参拝問題のために多くの、ミッションスクールは存廃の岐路に立たされたのです。この冨田氏は、戦中から引き続き、戦後も、数年問にわたり明治学院の理事長でした。
1939年、明治学院学院長に就任した矢野貫城氏は、宮城遥拝、靖国神社参拝、御真影の奉戴(ほうたい)等々に大変積極的に取り組み
「飛べ日本基督教団号」という掛け声のもとで集められた戦闘機献金、また当時の機関誌『教団時報』で「殉国即殉教」が主張され天皇の国家へのキリスト者の無条件の服従が日本基督教団の名によって勧められたとき、冨田氏らもその最高級の責任者だった
 とりあえず先の大戦がらみの話を引用したが、明治学院という学校は歴史が長いだけあって、明治時代からいろいろと「黒歴史」もあるのである。めんどくさいからいちいち書かないが。

 そもそも「宗教装置」という観点で歴史を振り返ってみれば、長谷川氏が無邪気にdisってる日本の国家神道と、彼の職場が基礎に置いている「キリスト教」のどちらの「犠牲者」が多いのかはいうまでもない(彼がクサしているのが靖国なのはある意味でよかったのかも。相手がイスラム教だったらと思うと…)。

 明治学院が建学の基礎に置いている「キリスト教」は、「帝国主義のために「国民」の生命を動員することを奨励し正当化するための国家宗教装置であり、それゆえに蹂躙された側にとっては侵略の象徴」であったことはなかったのか。

 いかにして明治学院という組織を「護持していくか」。そのために明治学院が取った戦略は、ある時は国家神道とすり寄り、戦後はその「歴史を無かったかのように偽装すること」ではなかったのか。でなければ何故、組織の長たる学長が懺悔めいた「告白」などしているのか。

  キリスト教関係者が、倫理や知の高みに自分を置いて 歴 史 を語り、ましてや他の「宗教システム」をdisるには相当の覚悟がいるんだけどなあ。

 まあ、「メディア論」とかの先生じゃあ歴史に無知・無自覚でもしょうがないのかねぇ。

 「汝等のうち、罪無き者まず石を投げ打て」という言葉、いっぺん噛みしめてみたほうがいいんじゃない?
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by SIGNAL-9 | 2011-07-15 16:21 | 奇妙な論理 | Comments(0)
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