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災害と流言飛語-コレラ禍をサンプルに-

 東日本大震災に伴う流言飛語・デマに関して初期から論説を展開されていた荻上チキ氏「検証 東日本大震災の流言・デマ (光文社新書)」
 タイムリーで興味深かった。
 この種の記録はなるべく大量に後世に残しておくべきであって、保存の利く書籍という形態であることが重要。読み終わったので、さっそく近所の図書館に寄付しておいた。

 さて、災害にまつわる流言飛語というと、俺がぱっと連想したのが、明治から大正、昭和初期にかけて極めて甚大な被害を出したコレラ禍なのである。

 コイツが日本に入り込んできたのは江戸末期からだが、明治以前の流行は、Wikipediaで言及されているように、比較的押さえ込みやすかったようだ。
 大きな理由は、コレラは空気感染しないので、人の動きの制限や上下水道の管理によって感染拡大を抑えることが出来たからであろう。

 例えば、明治維新の大混乱で江戸-東京の上水道システムが完全に崩壊してしまった事が、明治初期の東京のおけるコレラ禍の大きな一因だったのではないか、という見解がある。
 大都市江戸は、江戸幕府のお膝元ということで、上水道整備にはかなり力が入れられていた。おまけに各地に関所というものがあって、人の自由な往来をある程度抑制することも可能だった。

 この「システム」が御一新で崩壊してしまったわけだ。

 明治10年8月、長崎と横浜でコレラ発生。おそらく上海からの伝播。10月にかけて全国的に流行し、この年の患者数は全国で1万3,710人。死者7,976人。
 死亡率58%。人がコロリと死んでしまうから「ころり(虎狼痢)」と呼ばれたのも理解できる。

 この頃、横浜でこのような噂が広まった。

 「この病気は浦賀にやってきた黒船がおいていった魔法だ」

 「黒船に乗ってきた黒人が海岸で洗い物をしていたのをみたぞ。白いあぶくがいっぱい出ていた。きっとあの泡が海に流れて魚に飲み込まれたのだ。その魚を食べた人からコロリが発生したのだ」

 「白いあぶく」というのは言うまでもなく「石けんの泡」なわけだが、そーゆー冷静なツッコミは後になってからしかできないわけで、パニックになった横浜ではコレラ避けのおまじないに、赤紙に牛牛牛と三つ書いた謎の札やヤツデの葉を門口に下げることが流行した。

 明治12年7月9日、大阪市、コレラ予防のためとして、消化しにくい寒天・心太・ひじき・あらめ・かぼちゃ・蟹の販売を禁止。

 同年8月頃、コレラの大流行で各地で騒動が頻発した。

 香川県小豆郡ではコレラ退治の祈祷と称し、数百人が裸に泥を塗って練り歩くという騒ぎが発生。

 金沢では「コレラ送り」と称して、若者数十人がわら人形を担ぎ、笛・太鼓・ほら貝を鳴らしながら行進。隣町の者が汚らわしいと町内の通過を阻止したため乱闘となり、双方にけが人が出る。あちこちの村で馬を引き紅白の衣装を着て練り歩くという騒ぎも。

 9月頃、岐阜県大野郡でコレラ患者の吐しゃ物を畑に撒くと良い肥料になるという流言が広がる。巡査が出動、畑を掘り返して消毒する騒ぎに。

 この年の12月7日までのコレラ患者総数は16万8,314人。うち死亡10万1,364人。死亡率60%。
 この当時の錦絵では、コレラは頭が獅子、胴体が虎という猛々しい巨大な猛獣に擬せられている。逃げ惑い、遠巻きから石を投げつける町民。消毒薬噴霧器で立ち向かおうとする医師の姿があまりにも矮小に描かれている。

 この当時のコレラは、人間にはほとんど立ち向かうすべのない巨大な怪獣と目されていたのである。


 以下、「流言飛語」という観点からずらずらと並べてみると;

■明治15年

 2月頃、伊豆地方で「コレラの流行は旧暦を廃止したため」という流言が広がる。

 5月、東京の神田と芝にコレラ発生。全国に蔓延。患者数5万1,618人。死者3万3,776人。
 コレラ避けの呪符類の販売禁止。

■明治19年

 前年流行したコレラが夏ごろから再び蔓延。患者数15万5,923人、死者10万8,405人。

 5月、新聞に「炭酸飲料を飲むとコレラの感染が防げる」という記事が出てラムネの売り上げが激増

■明治20年

 大阪でタマネギがコレラに効くという流言。それまであまり食べられていなかったタマネギ食が飛躍的に普及


 その後も数年おきにコレラは流行し、甚大な被害を出し続けたわけであるが、それはちゃんとした専門書籍に当たってもらうとして、「災害と流言飛語」という観点からちょっと考えてみる。

 この「怪物」に近代科学とて手を拱いていたわけではなく、かの細菌学の父、コッホがコレラ菌を同定したのが1884年(明治17年)、1892年(明治25年)、英国の細菌学者W.ハフキンがコレラ菌の弱毒株の開発に成功し、直接立ち向かうすべを手に入れた。

 興味深いことに、同じ「流言飛語」と思われるものでも、明治27年頃には「アイスクリームは危険とされ敬遠され、ラムネは玉ビン詰が安全といわれますます売れる」…といった具合に、カガク的知見を多少反映したものになっていくのである。

 「呪符・祈祷頼み」「タマネギが効く」というようなトンデモ話と比べると、「流言飛語」もちゃんと進歩してるようなのである。
 「アイスクリームの忌避」「生水ではなく瓶詰め飲料」なんてのは、防疫の観点からすれば理にかなった流言飛語と言えるかもしれない。

 結局の所、「正しい」知見とその「正しい」流通、そしてその知見を「正しく」判断するための教育(ちなみに明治27年頃、日本の就学率は六割を超えた)といったことにより、みんなが経験値を溜めることで流言飛語と「正しく戦う」ことができるようになってきたということだと思う。

 このあたり、今の俺たちにとっても十分に教訓になるのではなかろうか。
by signal-9 | 2011-07-08 12:28 | 東電災害
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