MM9

 樋口真嗣、伊藤和典といったその筋にとってはクるものがあるメンツが並んでいるMM9であるが、幸いなことにオレん家でも視聴可能な東京MXで放送してくれている。

 俺的には特に、我が敬愛する特車二課・後藤隊長を彷彿とさせる久里浜部長に萌えているのだが(笑)。

 で、問題の第六話である。

 放送直後、若い友人から、メールが入った。

 「わけわかんない。禁断の惑星ってなんですか?」

 うーん。そーかー。最近の若い子はしらんのかぁ。まあ、取りあえずググれ。

 「ググりまいたが、やっぱりよくわかりません」

 こういう作品に関する「解釈」というのは、往々にして見当外れでバカをさらすことが多いのであまりやりたくはないのだが、たしかに若い視聴者には些か解説が必要かもしれんな。

 まずねぇ、白黒のあの絵作りみたら、オジサンたちは反射的に小津安二郎を思い出すのよ。んで、「小津」で「父と娘」の物語といえば『晩春』つーのが半ば自動的に想起されるわけだ。

 で一方の『禁断の惑星』だが、これも「父と娘」の物語だ。
 このwikipediaの解説だとちょっと判りにくいんだが、そもそも「イドの怪物」を生み出したモービアス博士の「潜在意識」というのは、娘に対する些か歪んだ愛情というか、独占欲の現れだったことは作品の中で解説されているんである。

 エディプス・コンプレックスとかエレクトラ・コンプレックスとか、もっと下世話にファザコンというか、まあ精神分析的用語(フツーのことをわざわざジャーゴン化することでテメエが賢くなったような錯覚を起こさせる疑似科学の一種。たとえば「つらい思い出」をPTSDと言い換えるなど)を振り回すまでもないだろうが、要するにどっちの作品も、母親のいない家庭での「父と娘」の濃密な関係性-とその解消-がテーマになってるわけだ。

 こういう読み筋だとMM9での、

「子どもができて怖くなって…私が母親になれるんだろうか…はじめさんの子供を育てられるんだろうか…だって私、お父さんの…」
「それは言うな。それは言っちゃいかん」

だの、

 「あれは妊娠した時おなかの子が女の子だとわかったそうだ。自分と同じような想いはさせたくないと産むことを拒んでいたよ」

だのという思わせぶりなダイアログの「意味」も推測できるんじゃなかろうか。

 あといくつか俺が気がついたことを思いつくまま挙げておくと、
  1.  俺の記憶違いかもしれないが、流れてたBGMにもジャコモ ・ プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」(わたしのお父さん)を使ってたような気がする。
  2. 物語の舞台である「昭和25年」というのは、小津の『晩春』の公開の翌年、『禁断の惑星』は1956年(昭和31年)なのでまだ製作すらされていないからお父さんも知らなかったわけだ。
     ちなみに、この年の夏、「ジェーン台風」という大きな被害を出した災害があった。MM9の世界では怪獣を台風のような自然災害の一種として気象庁が管轄しているのはご存じの通り。


 細かく見ていくとまだまだありそうだが、ヤボはこれくらいにしておこう。

 しかしこのドラマ、クセ玉が続いてけっこう面白い。

 大怪獣モノを期待した向きには期待はずれだろうし、この手の「解釈」を要求するような作品が混ざるのは万人向けとは思えないが、こういう作り手の趣味嗜好が反映されたドラマは最近珍しいので、楽しみに見てるのである。
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by signal-9 | 2010-08-16 14:36 | 読んだり見たり
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