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『郷土史余滴その一 秋葉神社と秋葉神社』

こちらでコメントいただいた、 酒井孝昌さんのご厚意で、『郷土史余滴その一 秋葉神社と秋葉神社』というレポートを送っていただいた。

 わくわくしつつ、半ば不安も感じながら読み始めた。

 俺、もしかしたら鎮火神社や佐竹の秋葉神社に関してトンデモない大嘘書いちゃってるんじゃなかろうか。実は佐竹秋葉神社は秋葉原と関係あり!とかだったら謝罪訂正の記事書かなきゃ…
 …
 読了、ちょっと胸をなで下ろしている。

 細かい問題はありそうだが(例えばこの時点では俺は、佐竹秋葉神社は「佐竹屋敷内にあったという秋葉権現を、昭和初頭に「秋葉の原」とは無関係に独自に復元したのでは?」と推定していたのだが、酒井さんの調査に依れば経緯はもっと複雑なようだ)、大きくは外していなかったようである。

 特に俺の興味の焦点である、秋葉原の由来の問題に関しては、俺が書き散らしてきた一連の書き込み;

秋葉神社の謎
秋葉神社の謎-些かつまらない解決?編-
秋葉原-火除地の成立と鎮火神社
秋葉原-火除け地、その後の様子は?(明治3~21年)
秋葉原-貨物取扱所【秋葉原駅】(明治23年~昭和7年)
秋葉原-表記の歴史:「秋葉の原」「秋葉が原」「秋葉っ原」…?
秋葉原-発音の問題1:「アキバは下町訛り」というのは本当か?
秋葉原-発音の問題2:「アキハ」がマズかったのか?
秋葉原-「田舎者の役人」はどこにいる?
秋葉原-「伝説」に関するとりあえずのツッコミ。
ついに発見!「秋葉っ原」の写真
江戸博へのツッコミ-その後。
「秋葉権現勧請説」を天下の千代田区に質問してみる。
「秋葉権現勧請説」 千代田区から返事が来た。

と大きな差異はないようだ。

 もちろん、三流プログラマがその場の勢いでざっくり調査したものと違い、酒井さんのレポートは詳細多岐に渡る本格的なものだ。

 例えば、松が谷の秋葉神社と佐竹の秋葉神社ではお社の神紋が一致しない、という指摘には正直やられた、と思った。
 まったく気がつかなかった。
 やはりきちんとした郷土史研究というのは素養が必要だと痛感した。

 鎮火神社や佐竹秋葉神社に興味のある向きは、このレポートは必読である。
(…ついでに俺の書き込みもちょっと読んでもらえるとうれしい(^^;))

 で、俺がもっとも感動した点。

 酒井さんは巻頭でこう書かれている(強調は引用者)
平成小学校東側に御鎮座の秋葉神社の御威徳によって、第二次大戦後はぼや程度の火災はあったものの複数軒が焼失するような規模の大きい火事もなく、町民は平穏無事に日々を過ごしている。
このような神社でありながら当町内に御鎮座になった由来が今ひとつはっきりしない。
秋葉神社境内に掲げられている由来書も読みようによってはどのようにもとれる書き方になっている。私は以前からもう少し由来を明らかに出来ないかと思い資料集めを心がけてきた。まだ決定的なものは発見できないが今まで収集できた資料によって考えてみようと思う。
私が町会の古老の皆さんから聞いた範囲では、現J R 秋葉原駅付近にあった火伏せの社を遷座したものとの意見が聞かれた。私はこれは事実と違うと思っている。
 話の順序として秋葉原の地名の所縁とそう呼ばれるに至った経緯を考える。
鎮火神社と秋葉原の歴史に関して、そして佐竹秋葉神社との詳細な比較検討を加えられた後、酒井さんはこう結論されている
前節までの諸事実によって、佐竹秋葉神社は現松が谷秋葉神社とは直接の関係はあり得ないことがお分かり頂けたと思う。
これはとても勇気がいることだと思うのだ。
 自分の生活している、まさにその場所で、古くから信じられていることに正々堂々と反証するということは。

 とてもではないが俺のごときヘタレにはまねができない。

 この件に興味を持って以来、身勝手なフラストレーションを感じているのである。

 ちょっと調べりゃ疑わしいと誰でも思えるような「怪しい通説」が、引用元の明示もないコピペコピペで、主語のない「だそうです」「といわれています」でバラまかれ、たまたま「おかしくないですか?」と指摘しただけで削除削除で証拠隠滅…、インターネットの負の部分が目について仕方がないからなのだ。

 そうはいっても生来ヘタレの俺は、せいぜい画面の向うで歯がみするくらいしかできていないのである。ましてや、リアルの世界で、地元の通説に反論するなんて…

 「私はこれは事実と違うと思っている」…本気の凄みというのはやはり違うのだなぁ。
by signal-9 | 2009-09-18 15:56 | 秋葉原 研究(笑)
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