開業間近の東京スカイツリーの足元の押上地区は、十分も歩くと「迷路」に迷い込める。
もともとこのあたりは明治の御世にはまったくの田園だったわけで、おそらくその当時のあぜ道をそのまま反映しているのだろう、道がゆるやかに曲がっているところが多いのである(ツリー以北は特に)。
北に向かって歩いてるはずがいつの間にやら東に歩いてたり、ちょっと油断していると、「はて、俺は今どっちに向かって歩いてるのか知らん」と方向感覚ダダ狂い。

狭い横丁と平屋二階屋モルタルアパートが続く町並みは目印になるものがなく━よく言えば「昭和の下町の面影が残っている」、悪く言えば「時代に取り残された」って奴だな━、俺も町歩き中よく迷ったものだ。
どこから見えるスカイツリーという目印が出来てから、方角は間違えようが無くなった。
「迷う楽しみ」がちょっと減ったのは残念かも。
数週間に一度くらいの頻度で東京スカイツリーの建設過程を撮り溜めた写真、勘定してみたら600枚くらいになってた。
とりあえず
何枚かをPicasaにUpしてみた。PicasaとExciteBlogの相性見方々、貼ってみる。
まずこれが2009年の正月。

2月、土台ができはじめた頃。

言問橋交差点(台東区側)から、2009年8月。

同じ場所の2011年12月。言問橋ビューは遮るものが少ないのでなかなかよろしい。

2009年10月、牛島神社前からツリーに向かう道の途中。普通の住宅地にニョッキリ生えた巨大な塔。違和感バリバリ(笑)

同じ場所、2010年12月。

吾妻橋交差点(台東区側)2009年10月。

2010年2月。

2010年10月。

2011年1月。

とりあえず今日はこんなところで。
個人的には「花見」といえば文字通り桜の花を見ることで、飲んだり食ったりは一切しない。
なので、いわゆる「名所」のタグイにはあまり行かないし、座り込んで長っ尻ということではなく、ブラブラしながら眺められれば満足なのである。
ここ数年良く行くのが、
- 石神井川の下流。
- JR田端駅と上中里の間の、JR操車場の横の道
- 小石川植物園。すぐそばにいわゆる「名所」播磨坂もあるが、300円払ってでもゆっくり見られる方が良い
あたり。
ちなみに、
この写真は今年の石神井川の下流のもの
「名所」に比べると桜の本数も少ないし、川沿いの変化も乏しいので、ブラブラ花見でない向きにはお勧めできないが、散歩にはまことに具合がよい。
「災害と流言飛語-コレラ禍をサンプルに-」というエントリの続き。というか、その後考えたこと。
「コレラ」と並んで日本に甚大な被害を及ぼした伝染病に
天然痘がある。
日本が天然痘(痘瘡)対策の種痘を取り入れたのがいつ頃のことかというと、意外に早いのである。
明治3年には種痘法を実施、翌4年には種痘規則を制定。
明治9年には種痘規則を改定して強制的な種痘実施に踏み切った。
この対応は本家イギリスに遅れることわずか二・三年。世界的に見ても、けっこう早かったのである。
この対応の早さの下地となったのは、明治政府に先立つ江戸幕府がすでに天然痘に対応可能な医療人材を育成していたことがあげられる。
寛政年間に人痘法により成果を得ていた緒方春朔や、文化年間に人の往来を抑制することによって流行を押さえられることを提唱していた橋本伯寿などは有名だ。
万延元年には官立の江戸下谷種痘所で幼児への種痘を開始するなど、江戸時代から種痘に対応できる人材や知見は既にあったのである。
ところが、これだけ対応が早かったにもかかわらず、
明治19年の天然痘死亡者数は東京だけでも169人に上る。
医者は居た。技術もあった。国もそれなりに対応した。にもかかわらずこれだけの人間が死んだのである。
なぜか。
ひとつの理由は、当時はまだ種痘自体に現実にリスクがあったということを挙げなければなるまい。
明治7年7月頃から東京で天然痘が流行し、7月の感染者301人のうち死者154人。7年12月から翌年3月22日までの統計では死者は累計で3377人。
だが、同時期に
種痘で死亡したものが44人。種痘はしたものの結局天然痘に罹患して死亡したものも3人いた。
(ちなみに1974年まで使われていたいわゆる旧ワクチンの乳幼児接種では脳炎・脳症を始めとした中枢神経合併症の副作用によって100万人あたり10~30人程度の死者が出ていた。いわゆる「種痘禍」)。
これは明らかな「リスク」であり、明治期にはこの「リスク」を理由に種痘を忌避する向きもあったようだ。
もうひとつの理由がある、とする見解もある。
種痘をすると牛の角が生えるとか
西洋医は生き血を取るといった
デマが蔓延り、種痘を忌避するものが少なくなかったため、というものだ。
非常に
教科書的な見解を述べるならこういう風になるだろうか。
「牛の角が生えるというあり得ないデマを信じてしまったばかりに、生きるチャンス―しかも極めて高確率のチャンス―を逸してしまった人が確実にいたわけだ。
しかも当人だけじゃなく、デマを信じてしまったことで間接的に自分の子供の命を奪ってしまった親や、伝染病の宿主になることで他人に被害を及ぼしてしまった人も確実にいたわけだ。なんて馬鹿なことだ。無知は罪だなあ」
逆にこういう見方もできるかもしれない。
「牛の角が生えるは確かにトンデモないデマだが、実際に種痘自体で死んだものも居たわけで、その意味ではもしかしたら
「デマを信じて種痘を忌避し結果的に生き残った」人がいたかもしれない。無知は罪なんてばっさり切り捨てていいだろうか?」
うん。わかってる。
確かに後者の意見はリスクの多寡や蓋然性を無視した、非論理的この上もないヒネくれた暴論だ。
だが俺の一部には
「牛の膿を体に植え付けるなんてそんな怪しげなキリシタンバテレンの妖術が信用できるか!」的な、当時の一部の人々の脊髄反射的<気持ち>もわからんでもないなぁ…と感じてしまう部分もあるのである。
東宝特撮映画の傑作『妖星ゴラス』にこんなシーンがある。
地球にゴラスが衝突する。その対策に当たっている科学者がタクシーに乗り、その話題を運転手に振ると、運転手氏はこんな風に答えるのである。
「そりゃあ学者の理屈から割り出すと衝突することになるんでしょうが ね、そう理屈通りにはいきませんや。 今までもそんな話は沢山ありやしたが、ぶつかったためしなんてねえでしょ。 マスコミは騒ぐのが商売だし、学者の理屈からすればそうなるんでしょうけど、理屈どうりになっちゃあ困りますからね…」
この運転手氏のその後は劇中では描かれないが、いよいよゴラスが地球に迫り、天変地異のまっただ中で彼がどんな感想を持ったのか、ちょっと知りたい気もする。
映画の観客としての目線は科学者側に誘導されるにしても、俺の中には確実にこの運転手氏も存在しているのである。
リクツとキモチの間の乖離というのは、ひとりの人間の中でもやっかいなものだ。
俺だってもしかしたら、キモチが先に立って
「げぇ、牛の膿だって」と思ったかもしれない。
だが、
「種痘を植えると頭から牛の角が生えてくる可能性があります! 大事な子どもを守る為に種痘を受けてはいけません!」なんて話を聞いたら眉につばを付けながら本当に牛の角が生えたヤツが居るか調べるだろう。
大抵の人間はそこまでデマゴークに踊らされるものではないだろうとも思う。
天然痘が事実上根絶できたように、リクツの方がキモチより「マシ」(あるいはより正解に近い)なのであれば、最終的にはよりマシな結果にいたるのだろうという希望も持っている。